SGRAイベントの報告

陳藝婕「国際和解学会パネル『美術と美術史による和解』」報告

2025年7月14日から18日にかけて、国際和解学会が韓国ソウル大学において開催された。私が企画したパネルセッション『美術と美術史による和解』には、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)の派遣チームとして参加した。

 

本パネルの開催趣旨は、国際和解を促進し戦争の傷を癒す上で、美術と美術史が果たした独特の役割を探ることだった。発表はすべて英語で、研究テーマに関連する時代順に行われた。司会は元渥美奨学生の陳エン氏(京都精華大学准教授)。

 

最初の発表は私、陳藝婕(元渥美奨学生、上海大学講師)の論文「1958年に日本で開催された敦煌展:文化による和解の始まり」。(戦後初期かつ最大規模の中国美術展の一つである「中国敦煌芸術展」)を中心に、冷戦期における日中民間文化交流の歴史的意義を分析した。国交が未回復だった日中両国において、日本中国文化交流協会や毎日新聞社などの民間主導で実現したこの展覧会は、約10万人の来場者を集める大成功を収めた。特に敦煌美術が共有する仏教文化的基盤(飛鳥・奈良時代の日中芸術交流)が共感を呼び、井上靖の小説『敦煌』(1959年)やNHKドキュメンタリー「シルクロード」(1980年)など、戦後日本における「敦煌ブーム」を生み出した点が強調された。政治的に困難な時代にも、文化外交が相互理解を促進し、学術・文学・映像メディアにわたる持続的影響力を発揮した事例として評価されている。展示された敦煌美術の文化的価値が、政治的な対立を超えた共感を呼び起こしたと言えるだろう。

 

エフィ・イン氏(Effie Yin、Ringling College of Art and Design講師)の「写実か近代か?1950年代の雪舟展と日中芸術交流」は、1956年に日本と中国で開催された雪舟の作品展とその背景にある日中の文化的・政治的課題についての考察だった。雪舟は室町時代の禅僧画家で、1956年は没後450年にあたり、世界平和評議会によって「世界の十大文化人の一人」に推挙された。東京と北京で展覧会が開かれ、展示の文脈や意図が異なっていたにも関わらず、国交正常化前の文化交流における画期的な瞬間だったと指摘した。特に中国にとって、この展覧会は日中間の友好的な文化交流を促進し、関係正常化に貢献する一助となった。中国は当時、ソビエト連邦への過度な依存から脱却し、「百花斉放、百家争鳴」を提唱し始めていたが、雪舟の芸術は中国絵画伝統との関連から受け入れられ、中国発祥の芸術的リアリズムの推進にも寄与した。両国の展覧会は文化的・政治的課題を反映していたが、日中の文化交流の架け橋となり、外交関係の修復と正常化への重要な一歩となった。

 

張帆影氏(中国美術学院講師)の報告は、20世紀初頭にベルンソンやシーレン、矢代幸雄が初期ルネサンス研究で確立した形態や様式を重視する形式主義的分析手法を活用し、東洋美術の西洋における受容の過程を分析した。この結果、東洋美術の西洋認知が進む一方、作品の文化的・歴史的文脈が軽視され、普遍化される傾向が生じた。このアプローチは東洋美術の認知度向上にも寄与した半面、文化的・歴史的文脈を犠牲にし伝統を形式化・普遍化する傾向をもたらした。画期的な異文化研究手法でありながら、形式主義的視点はオリエンタリズム的傾向とも密接に結びついていた。張氏はグローバル美術史における形式主義的方法論の限界を考察し、これらの制約を乗り越えるために、より広範な文化的・歴史的次元の統合を提唱する。

 

3人の報告を終えた後、王怡然氏(浙江外国語学院講師)が討論者としてそれぞれコメントし、議論が行われた。会場の参加者からも複数の質問があり、美術や美術史の「和解」に対する作用を検討した。美術展や学術研究を通じて、紛争下にある国家間の文化的対話を提唱し、非合理な憎悪と誤解が徐々に解消されることを願った。

 

当日の写真

 

<陳藝婕 CHEN Yijie>

2022年度渥美国際財団奨学生。中国浙江省出身。2023年、総合研究大学院大学国際日本研究博士号取得。現在は中国上海大学講師を務めている。研究分野は、日中絵画の交流や受容。論文には「旭日江山:傅抱石の絵画における赤い太陽の図像と中日韓古代絵画の関係について」(『美術観察』2024年第4号)、「高島北海『写山要訣』の中国受容:傅抱石の翻訳・紹介を中心に」(『日本研究』64集,2022年3月)、「記美術史家鈴木敬」(『美術観察』2018年 5月号)など、著作は『黄秋園 巨擘伝世・近現代中国画大家』(中国北京 高等教育出版社、 2018 年)などがある。