SGRAイベントの報告

張 桂娥「第1回日台アジア未来フォーラム報告(その2)」

思いがけない盛況ぶりで午前の部は予定時間を少しオーバーして終了した。それから小一時間のランチタイムには、総勢150人の参加者たちが、お弁当で空腹を満たしながら積極的に交流を図り、懇談に花を咲かせた。熱気と活気にあふれる話し声が、雷を伴う激しい雨の音にも負けず、会場全体に溢れ、台湾名物の夜市も顔負けのダイナミズムさえ感じさせた。

短いハッピーアワーを惜しむ間もなく、午後の部は13時40分から定刻開始し、二つの会場に分かれて、パネル(2)とパネル(3)がパラレルに行われた。パネル(2)「言葉の力:言葉の日中往来」では、語彙研究と語学教育の新しい方法論を検討した。

先陣を切った謝豊地正枝女史(台湾大学日本語文学科教授)は、「『アニメ』等の視覚資料に用いられる日本語の日本語教育に与える影響について」を題に、日本語学習の立場からみるアニメ教材のメリットや功罪について詳しく分析した。

林立萍女史(台湾大学日本語文学科副教授)が発表した「アニメに見られる日本昔話の語彙」では、日本語教育関係の日本語語彙表を通し昔話語彙の難易度、意味分類を通し昔話語彙の意味的分布を明らかにすることによって、ビデオアニメ化される昔話の語彙特性の一側面を把握しようと試みた。林先生は今回のフォーラム開催の実現にもっとも尽力してくださった立役者であり、台湾大学日本語学科の素晴らしいスタッフ陣を率いながら、事務連絡や論文収集なども率先して全力投球した上、研究発表も自ら進んで引き受けてくださった。この場を借りて厚くお礼を申しあげたい。

3番手の孫建軍氏(北京大学外国語学院日本言語文化学部副教授)は、「西洋人宣教師と中日における欧米諸国の漢字表記の成立」という課題を究明するため、西洋人宣教師の中国語著作(漢訳洋書) を手がかりに、欧米主要国家の漢字表記の変化、成立過程及び日本語とのかかわりを整理し、近代漢語の成立における西洋人宣教師の歴史的役割を探った。

パネル(2)最後の発表は、方美麗女史(お茶の水女子大学外国語教員)による「表現教授法――効果的な外国語教授法」の実践報告だった。方先生は、 “表現教授法”における2つ目の学習段階であるドラマ教育をテーマに、特にドラマを言語教育に導入する目的・ドラマ指導するステップ・ドラマの効果を、実際の教室活動の映像とともに紹介する予定であったが、会場設備の機械トラブルの影響で一時中断された。

座長の頼錦雀女史(東呉大学日本語文学科教授兼外国語文学院院長)はパネルの進行に支障が出ないように機敏な対応で難局を切り抜けたが、最後まで、納得のいった発表成果が得られなかったし、発表後の質疑応答の時間も十分とれずに、セッションを終了せざるを得なくなった。不本意ながらも発表者にとって消化不良の発表になってしまったことに対し、どんな理由があったにせよ許されない大ミスとして真摯に受け止め、主催側を代表してこの場を借りて、あらためて深くお詫びを申しあげたい。次回開催時は、今回の教訓をしっかりと肝に銘じて反省させていただく所存である。

一方、文学作品の研究をメインにしたパネル(3)「ストーリーの力:夏目漱石から村上春樹まで」では、ジェンダーを始めとする日本文学作品の新しい切り口、あるいは日本文学の翻訳や受容について検討した。

まず、「漱石の初期小説にみる「トレンディ女性」像:彼女らの運命を追いながら」をテーマに発表された范淑文女史(台湾大学日本語文学科副教授)は、漱石の小説に登場した三人の女性――『草枕』の那美、『虞美人草』の糸子、及び『それから』の三千代の生き方を考察しながら、明治社会を生きようとする「トレンド女性」像の一端を明らかにすることを主旨とした。

横路明夫氏(輔仁大学日本語文学科副教授)は、フォーラムのサブテーマである「トレンド・ことば・ストーリーの力」に基づき、ポップカルチャーを視野に入れた「内面としての物語―夏目漱石、村上春樹、そして「ONE PIECE」―」という題目で発表された。ある人物の精神的位相を物語として表現するという方法に視点をおいて、夏目漱石・村上春樹・「ONE PIECE」の三者を貫くストーリーテラーとしての共通性を探った。

かわって蕭幸君女史(東海大学日本語文学科助理教授)は、「悪女物語の行方————漱石と谷崎の場合」というテーマを取り上げ、ジェンダーの観点からではなく、漱石の『虞美人草』を中心に、谷崎の『痴人の愛』に登場する悪女との比較を通して、悪女物語の行方、物語の力と「悪女」というキャラクターの関連性を追った。そして、近代に入ってから、創作者の男女を問わず、いわゆる悪女物語がいまだにその魅力の衰えを見せないのはなぜか、という謎解きにも挑んだ。

パネル(3)のアンカーはSGRAフォーラムでも活躍している孫軍悦女史(東京大学教養学部講師)であり、「世界はあなたたちのもの、また私たちのもの――中国大陸における『ノルウェイの森』について――」を題に、世界の村上春樹という現代日本文学の巨匠がトレンドとして中国に広がったプロセスを解明した。日本人に対する憎しみが絶対永久に風化しない中国本土における村上春樹作品の受容プロセスを、「政治×文化×市場」というグローバル経済事情の視点から読み解くというインパクトのある発表だったが、こうした文学作品を受け容れた若者たちの考え方の変容が把握できるようなさらなる発表成果を、期待せずにいられなくなるのも、孫先生の指摘された「ナイーブさ」であろうか。

盛りだくさんの素材を取り入れた4本の論文発表が終わった後、パネル(3)の座長を務めた朱秋而女史(台湾大学日本語文学科副教授)は、熟練かつ軽妙な司会ぶりを発揮し、スムーズで内容の充実した質疑応答が繰り広げられた。

まず台湾の文化大学の齋藤正志教授から、同じく漱石の「虞美人草」を取り上げた二人の先生に、物語の本質に迫る直球勝負的な鋭い質問を投げかけた。明治大学の宮本大人先生は、漱石や村上春樹の作中人物の価値の勘違いに注目し、「ONE PIECE」の人物造形について、橫路先生と意見交換した。最後は座長の范教授に特別指名された基調講演者の太田登先生が発表者全員に投げかけた観察眼という問題提起であり、近代化という大きな歴史的流れにそって視野を広めてほしいという期待を込めたご示唆であった。

2つの会場に分かれた参加者たちは、回廊に合流し、午後のティータイムを楽しんだ後、再び大講堂に戻り、16時から始まるオープンフォーラムに臨んだ。まず、スペシャルゲストとして遥々イタリアから来台したMaria Elena Tisi女史(ボローニャ大学、ペルージャ外国人大学契約教授)による報告であった。Tisi先生は、「イタリアにおける日本文化:日本学のトレンドと日常生活にみる日本文化」を題に、誰が日本文化をイタリアに紹介したのか、日本文化はどのようにしてイタリアに渡ったのか。イタリアにおける日本研究の流れを簡単に紹介した後、イタリアの日常生活に見られる日本文化を概観してくださった。参加者の皆さんは、この報告を通して、東アジア人の思考回路とは全く異なる感性と発想でとらえたイタリア発の日本観を発見していただけたと思う。
報告に続き行われた3つのパネルの総括が終わった後、本フォーラムのクライマックスを飾るフロアとの質疑応答&意見交換のコーナーに移り、今回の主催ホストでもある徐興慶氏(台湾大学日本語文学科教授兼主任)に座長をお願いした。

序盤から、質問の矛先は遠路遥々来場されたTisi先生に集中し、徐興慶先生も齋藤正志先生もイタリアの大学における日本研究の最新状況や、イタリアで日本語を勉強した大学生の進路などに興味を示した。それに対して、Tisi先生は「イタリアの大学の日本語学科の卒業生には殆ど仕事が見つからない。なんのために日本語を勉強したのか、学生のモチベーションもインセンティブも低下しつつある厳しい状況かも」と即答し、会場一同を驚かせた。その延長として、日本と中国のアカデミックな学術研究現場における漫画・アニメ研究について、宮本先生と孫建軍先生にもそれぞれ簡単に紹介していただいた。限られた時間であったが、熱意のこもったムードに包まれながら、濃密な意見交換が行われる中、フォーラムも順調に終盤を迎えた。

SGRAが初めて台湾で開催したフォーラムは、こうした議論を通して、グローバルに研究領域を広げた国際日本学研究の土台を固めるだけでなく、まだ学問として成り立っていない日本のサブカルチャーの受容研究においても、多角的な視野を提供できたと願うが、次回からは、閉会式で今西淳子SGRA代表も指摘していたように、「もっと学際的な分野にチャレンジして議論の場を広めたい」という目標を目指し、日台アジア未来フォーラムの新たな展開に向けて活動を続けていきたい。

振り返ってみると、一年間以上も費やして辿りついた長い道のりであったが、国際交流基金・中鹿営造・台湾日本人会より温かいご支援をいただいた上、台湾SGRAメンバーからも心強いご協力を、そして何よりも、徐興慶先生・林立萍先生の率いる台湾大学日本語学科の素晴らしいスタッフ陣の労を惜しまないご奉仕をいただいたお蔭で、フォーラムが成功裏に終わった。この紙面を借りて報告すると共に、改めて心より深くお礼を申しあげたい。

第1回日台アジア未来フォーラム報告(その1)と当日の写真
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<張 桂娥(チョウ・ケイガ)☆ Chang Kuei-E>
台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本近現代文学、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科助理教授。授業と研究の傍ら日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。
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2011年7月20日配信