SGRAイベントの報告

第22回フォーラム「戦後和解プロセスの研究」報告

第22回SGRAフォーラム
「戦後和解プロセスの研究」

 

2006年2月10日(金)午後6時30分から9時まで、第22回SGRAフォーラムが東京国際フォーラムにて開催された。SGRA「東アジアの安全保障と世界平和」研究チームが担当した今回のフォーラムには、市民や学生ら48名が参加し、東アジアの平和を願う人々の高い関心を示した。

 

「戦後和解プロセスの研究」というテーマで、山梨学園大学法学部助教授の小菅信子先生が日本と英国の民間レベルで行われた戦後和解活動について、またSGRA研究員で桜美林大学国際学部助教授の李恩民先生が花岡和解をテーマに講演を行った。二つの主題は、戦後和解の観点から東アジアの平和の道を展望するもので、「歴史清算問題」をめぐって対立している東アジアの和解の可能性を模索したテーマでもある。

 

SGRA代表の今西さんは、開会挨拶の中でフォーラムの主題を「戦後和解」にした主旨や意義について説明したが、渥美財団の母体ともいえる鹿島建設が訴訟対象となった花岡裁判をフォーラムのテーマとして扱う難しさが感じられた。「八方ふさがりの状況に対して何かできることはないか探りたい」という今西さんの言葉は、今の東アジアの現実を何とか打開しようとする強い思いがうかがえた。「戦後和解」という、人類普遍的な平凡なテーマが、それを願う人々の心に重くのしかかるのは、東アジアにおける相互理解と平和の定着がいかに難しいのかを物語っている。

 

英国との関係修復を中心に戦後和解のプロセスを紹介した小菅先生の講演では、日本と英国の戦後和解の思想・歴史的背景を踏まえ、その影響や成果など、「和解」をめぐる総合的な考察が行なわれた。民間交流を通じての相互の理解、さらにそのプロセスに関する研究は、国家間の交渉では解決し得ない人々の感情的な対立を解消していく実例を提示した点に大きな意義がある。過去の「敵国」であった日本と英国の和解のように、東アジアの国々も普遍的相互理解の観点からの共有認識が必要であるとした小菅先生の見解は、国家間の相互不信や葛藤が根強い日・中、日・韓の関係に示唆するところが大きい。もちろん、日本と英国との戦後和解のプロセスが、中国や韓国
との関係で同様に適用されるとは言いがたい。この問題については、英国と東アジアは異なる歴史的背景を持っており、より慎重な問題への取り組みが必要であるという旨の指摘を懇親会で小菅先生からいただいた。しかし、日本と英国との和解のプロセスは、政治的交渉による「歴史清算」が限界を露呈している東アジアがその突破口を考究するに当たり、参考に値する十分な価値があるのではなかろうか。その意味で、小菅先生の講演は、東アジアにおける平和構築の可能性を、和解に達した成功例を通じて提示できたといえる。

 

引き続き、李恩民先生から花岡裁判の和解のプロセスに関する研究報告がされた。日本民間企業の戦時中の責任問題を取り扱った花岡裁判は、中国のみならず、日本との間に同様の問題を抱えている韓国でも関心を集めた。そのため、花岡和解がもつ意義や影響は極めて大きい。強制連行や過酷な労働と弾圧によって多くの犠牲者を出した悲劇的事件の戦後和解は、単に日・中の二国間の問題ではなく、韓国を含む東アジアの「歴史清算」と平和共存の可能性を模索している人々に示唆するものがある。一方で花岡和解については、憎悪と不信を乗り越えて和解に至ったという肯定的な評価とともに、「和解」という結果にたどり着いたことに対する批判的な意見も存在する。
李先生はこの点について、この和解がすべての訴訟当事者を満足させることはできなかったと言及する。しかし、第2次世界大戦中の日本企業の責任をめぐる「歴史清算」の問題が、当面の課題として東アジア社会の平和構築に影を落としていることを鑑みると、花岡和解を捉える意見の相違はあるにせよ、そのプロセスや成果までを看過してはいけない。その点で、李先生の研究は高く評価できる。

 

フォーラム参加者は、東京国際フォーラムの地下1階にあるレストランで開かれた懇親会に場を移して意見交換を行った。今回のフォーラムは、東アジアが過去の呪縛を解き解していく可能性を提示したことで重要な意義がある。敵対や憎悪に満ちた対決、もしくは自己の主張を一方的に貫徹させようとする解決策は、双方において相当な反発を招きかねない。加害者と被害者という二分的な認識に、人類の普遍的な幸福と共存のための努力が加えられるとき、東アジアの真の平和はもたらされるのである。忘却なき平和を願う多くの参加者がその解決策をともに考えたことは、今回のフォーラムの大きな成果といえる。(文責:金 範洙)

 

尚、SGRA運営委員のマキトさんが取った写真のアルバムは、
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