SGRAイベントの報告

第8回フォーラム「グローバル化の中の新しい東アジア」報告

初めての試みとして軽井沢での開催を2月に決定してから、鋭意準備を進めてきた第8回SGRAフォーラム「グローバル化の中の新しい東アジア」は、2002年7月20日(土)盛会のうちに終了しました。スタッフの祈りが効き過ぎたくらいで、前日までの雨も止み、参加者が到着した19日(金)から、最後の21日(日)昼の渥美財団理事長別荘でのバーベーキューまで、軽井沢は暑いほどの晴天に恵まれました。今回のフォーラムは、従来よりも幅広いご協力をいただき実現しました。鹿島学術振興財団、韓国の(財)未来人力研究センター、渥美財団から協賛、名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済動態研究センター、フィリピンのアジア太平洋大学経済学部、そして朝日新聞アジアネットワークから後援をいただきました。そして、現役の渥美奨学生を含むSGRA会員等60名の積極的な参加もフォーラムを大成功に導きました。

フォーラムは20日(土)午後1時より、ホテルメゾン軽井沢内の軽井沢セミナーハウスで、日本語を公用語として開催されました。今西SGRA代表の開催趣旨とゲスト講演者の紹介後、本フォーラムを担当するSGRA「グローバル化のなかの日本の独自性」研究チームの顧問、名古屋大学の平川均教授が「通貨危機は東アジアに何をもたらしたか」というテーマで基調講演し、一般にあまり知られていないアジア通貨危機から芽生えた東アジア地域協力の経緯が報告されました。李鋼哲SGRA研究員からの「北東アジアの地域協力をどのように東アジアの地域協力に位置づけるか」という質問に対して、平川先生は「北東アジアの経済協力は重要であるが、ASEANを含め多角的な関係にしたほうが良い」と答えました。次に、本フォーラムの協賛者である韓国の(財)未来人力研究センターの理事で、高麗大学の李鎮奎教授が「韓国IMF危機以後の企業と銀行の構造改革」について英語で発表しました。アジア通貨危機後のIMF政策の成功例を紹介しながら、会場からの笑いも引き出して、とても明るい発表でした。他の英語による発表と同様、SGRA研究員が用意した日本語スライドを利用しながら発表は進められ、英語の質疑は日本語に通訳されました。金雄熙SGRA研究員の「何故韓国はこれほど早く危機から回復できたのか」という質問に対して、李教授は「一時的に大量の資金の国外流出に対応できなかったが、韓国の経済基礎は強いので早く危機を乗り越えることができた」と説明しました。3番目の発表者はインドネシア銀行構造改革庁主席アナリストのガト氏で「経済危機と銀行部門における市場集中と効率性―インドネシアの経験」について英語で発表し、統計と統計的分析法を利用しながら、インドネシアの事例をIMFの失敗例として取り上げました。F.マキトSGRA研究員の「何故IMFは失敗したか」という質問に対して、ガト氏は「IMFは政治的問題を経済政策と混同した」と指摘し、さらに「AMF(アジア通貨基金)のようなIMFの代替国際機関も検討しても良いのではないか」という考えを示しました。

青空のもと、木々に囲まれたホテルの庭で、コーヒーと高原の空気を満喫した休憩の後、4番目の発表者は中国清華大学で日本の経済産業研究所ファカルティーフェローの孟健軍教授で、「アジア経済統合の現状と展望」について日本語で発表しました。孟教授は、中国大陸を舞台に欧米と日本が投資を競い合っているデータを示し「中国は日本なしでもやっていける」という刺激的な分析を発表しました。また、中国人の国際的人材移動について頭脳流出(Brain Drain)から頭脳還(Brain Circulation)に変化しているという認識が示されました。金香海SGRA研究員は孟教授が中国政府の政策立案に関わっていることに関心を示しながら、「この地域での経済統合は果たして可能であるか」という疑問を投げかけましたが、孟教授は、「何千年の中国統合の歴史の中で、中国は異文化異民族を纏めてきた」と前向きな姿勢を崩しませんでした。5番目の発表者、フィリピンアジア太平洋大学のヴィレイガス教授は「中国と競争と協力」について発表し、協力しながら競争する「協争(Co-opetition)」というキーワードを紹介しました。徐向東SGRA 研究員からの「どの分野でフィリピンが中国と競争できるか」という質問に対して、ヴィレイガス先生は「付加価値が高い農業品や衣類品など、つまり安い労働に依存度が高くない市場の隙間をフィリピンが見つけないと勝ち目がない」と答え、同時に中国と協力するためにフィリピンの華僑の活躍に期待を示しました。

その後の自由討論では発表者のあいだで活発な議論が交わされましたが、焦点は「アジア共有の価値観は何か」ということでした。そしてこの「アジア共有の価値観」については、その晩のオープンディスカッションでも、その他の場面でも、軽井沢での熱い議論のテーマになりました。最後に、平川教授が総括を行い、第一部は終了しました。

第2部は、宮澤喜一元総理大臣をお招きし、アジア通貨危機における新宮沢構想、中国との貿易、地域協力、高齢化・少子化等、幅広いテーマについて、率直なご意見を聞かせていただきました。新宮澤構想は日本が外貨が多かったので、少しでもアジア諸国のお役にたてばという気持で行ったこと、日本は戦前アジアと一緒にやろうとして失敗し、近隣諸国に多大なご迷惑をおかけしたのだから、リーダーシップをとるのは相応しくないと思うこと、アジアはヨーロッパと違って宗教や文化を共有しないし、政治体制が違うのだから、アジアの地域協力にはそれほど楽観的ではないこと、しかしながら近年は情報化等により社会の変化が早いので以前よりは協力体制への道は近いかもしれないこと、対中セーフガードは恥ずかしかった、あのようなことをやっているのだから自由貿易協定への道は遠いだろう、少子高齢化であるが老人は負担ではなく資産と考えるべきではないか、等等、控えめな姿勢ながらもまさに鋭い洞察力に、参加者は大変深い印象を受けました。

フォーラムの後、夕方の涼風の中、ホテルの庭に集まった参加者は、ビールやワインを飲みながら、さらに歓談を楽しみました。その中には、東アジアの地域協力において、SGRAのようなNGOの役割は大きいではないかという意見がありました。フォーラムでも示されたように、国家の違いを越えることができるのは、世界の人々と仲良くし平和な世界を作りたいという市民ひとりひとりの熱意による、ということがもっとも印象的でした。

<原文:F.マキト、編集:今西>