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2020.02.06
2018年8月、台風襲来の韓国ソウルで開催された第4回アジア未来会議のクロージングパーティーで、僕たちは一生懸命参加者を舞台に誘ってフィリピン版カンナムスタイルを一緒に踊って第5回アジア未来会議への参加を促した。実は、これは用意してきた企画では物足りないと言われたので、急遽YouTubeの投稿を参考にセッションの合間に慌てて練習したものだった。普段このようなことをしたことのない僕にとって大変だったが、現在所属しているフィリピン大学ロスバニョス校(UPLB)や渥美財団の関係者を含めた会場の皆さんが大いに盛り上がってくれたので手応えを感じた。練習用の動画のように、年齢や性別や職業や人種が違っていても、とにかく一緒に楽しくやろうということがアジア未来会議の目的に合致したのだろう。
1年半の準備期間には、さまざまなネットワークが動員された。日本側では渥美国際交流財団のネットワークから鹿島フィリピンとフィリピンプラザ・ホールディングスが応援してくださった。今西淳子常務理事(Tita Junko)は数回に渡ってマニラとロスバニョスを訪問して打合せを行った。角田英一事務局長(Kuya Eiichi)が率いるロジスティクスのサポートも力強かった。2004年からマニラで行っている共有型成長セミナーの支援者であるSGRAフィリピンの仲間たちも積極的に協力してくれた。そして、UPLB公共政策・開発大学院(CPAf)のローランド・ベリョー学院長からは大学院を挙げて全面的な支援・協力をいただいた。ソウルの突然の踊りから2020年1月12日の花火(火山噴火)まで、皆さんいろいろ大変なことがあったと思うが、いつも優しい言葉とポジティブな態度で対応してくださり心から感謝を申し上げたい。
実際、カンナムスタイルの踊りから始まって、この会議は、僕が普段したことのないことばかりだった。そして、母国フィリピンの発展を振り返る機会にもなった。
2020年1月9日、円卓会議A「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」で、唯一の東南アジア人として、しかも歴史が専門ではない僕が、大変光栄にも開会の挨拶をさせていただいた。三谷博先生と劉傑先生の暖かい歓迎を受けながら、19世紀初まで250年間も続いた「マニラ・アカプルコ間のガレオン貿易」について日本語で発表した。マニラは長期に渡って中継貿易のハブとして繁栄していたのに、なぜ今はそれが続いていないのか、AFC5のテーマを念頭に置きながら、母国の発展を振り返ってみる良い機会となった。(発表資料は下記リンクからご覧いただけます)
10日の開会式の前に記者会見が開かれた。僕が司会を務め、アジア未来会議の明石康大会会長、渥美財団の今西常務理事、UPLB CPAfのべリョー学院長がメディアの皆さんからの質問に答えた。今回はアジア未来会議の中でも、マスコミの参加が一番多かったのではないかと思う。1月5日には僕とべリョー先生がマニラで一番古いラジオ局の番組への出演依頼を受けたし、10日の記者会見の後でも熱心な記者たちが廊下や会場で参加者にインタビューしていた。基調講演をしたラウレル駐日フィリピン大使のインタビューが急遽手配され、5つのテレビ局が報道した。
UPLBの報道関係事務所からの報告
開会式に続くシンポジウムは僕が企画から担当し、当日は司会と問題提起を務めさせていただいた。そもそも第5回アジア未来会議のテーマである「共有型成長」は、僕がずっと追究し続けている研究課題で、マニラにおいてもSGRAフィリピンの事業として2004年から毎年セミナーを開催している。今回のシンポジウムでは、既に27回開催したマニラセミナーを振り返りながら、研究やアドボカシーに協力してくださっている先生方(UPLBのCPAfのべリョー学長、UPLBの大学院研究科のドング・カマチョ学長、UPLBのCPAfのジョーパイ・ディゾン教授、フィリピンのアジア・太平洋大学の経済学院のピター・ユ元学長、フィリピン大学ディリマン校の建築学部の都会設計ラボのマイク・トメルダン研究所長)と一緒に「持続的な共有型成長:みんなの故郷、みんなの幸福」を検討した。
問題提起として、僕は、なぜ持続可能共有型成長がフィリピンだけではなく世界に必要なのかを訴えた。これも母国の発展を振り返ってみる機会であった。(発表資料は下記リンクからご覧いただけます)
11日、UPLBの森林学部の森の中のキャンパスで行われた分科会で、僕は、フィリピン政府の要請で関わったR&D機関の研究について発表した。これはUPLB・CPAfの同僚であるジェング・レイエスとマイラ・ダビド先生との共同プロジェクトの結果であり、組織構築論を使って母国の発展についての問いかけである。長年共同研究を続けている平川均先生に招かれ、2019年12月に神奈川大学で日本語で発表したものの英語版である。実は、同じ時間帯に、ベスト・ペーパーを受賞した地域通貨についての共著論文と、地価税についての共著論文の発表もあったが、ジョン・ペレス先生とセサー・ルナ先生それそれに発表を任せた。
突然の日程変更があって、次のセッションの座長がダブル・ブッキングになってしまったが、ラクーン(元渥美奨学生)に救われた。狸(ラクーン)のパワーを今まで以上感じて心から感謝。日本、中国、韓国、台湾、モンゴル、ミャンマー、タイ、インドネシア、トルコ、イタリア、イギリス、ウクライナ、ナイジェリア、オーストラリア、コスタリカからわざわざフィリピンに集まってきてくださった仲間たちは、本当に心強かった。閉会式での「マ・キ・ト」コールは最高だった!
100年に1回の火山噴火に襲来されたマニラで開催した第5回アジア未来会議はとても大変だったと思うが、参加してくださった皆さんが少しでも楽しい思い出を作ってくださったのであれば幸いである。渥美財団の素早い対応は印象的で、ホテル延泊の一泊分を財団が負担したのは海外から一番早い災害援助であった。僕らもすごく安心した。
タール火山の祝福を受けたアジア未来会議の炎を台湾へお渡しします。
フィリピン大学ロスバニョス校(UPLB)撮影の写真
<フェルディナンド・マキト Ferdinand C. Maquito>
SGRAフィリピン代表。SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学ロスバニョス校准教授。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師、アジア太平洋大学CRC研究顧問を経て現職。
2020年2月6日配信
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2020.01.30
フィリピンと言ったら、皆さんはどんなイメージでしょうか。マンゴ?パイナップル?英語は公用語?それとも出稼ぎの労働者でしょうか。今の私にとって、フィリピンと言ったら「優しい」という言葉が真っ先に頭に浮かびます。それは2020年1月12日のある出来事の実体験からの感想です。
2020年1月9日―13日にマニラで第5回アジア未来会議が開催されました。閉会の翌日に、恒例のスタディツアーが行われました。今回、私は5つのツアーの中でCツアーを選びました。
Cツアーを選んだのは、このコースは一人では行きにくいからこの機会を利用して、という単純な理由でした。
アジア未来会議の会場に着いて知り合いとおしゃべりをしていると、まだ迷っている人たちから何度も私のツアーの選択を聞かれました。そして、その後、何人もCツアーを選んでくれました。後で分かったのは、予定していたツアーを変えた人までいるほどでした。結局、Cツアーの3分の1から2分の1の参加者が私の影響で参加したようです。責任の重大さを感じました。
出発当日の朝「面白くないツアーだったら、あなたを火山に置いていくよ」と皆に冗談を言われましたが、その時は誰一人その後起きる事態を予想だにしていませんでした。
いざ出発し、目的地のタガイタイに向かいました。馴染みのない地名かもしれませんが、先日フィリピンで起きた自然災害のニュースの主役で、世界で一番小さい活火山と言われるタール火山の所在地です。
はい、その通り、Cツアーは火山を見学するツアーです。
1911年に噴火してから休眠している火山を見学しようとする私達でした。
Cツアーでは、まず火山を眺めるレストランでゆっくり昼食をとり、昼食後、火山を眺める展望台に向かい、写真撮影を楽しむというスケジュール。昼食の時には穏やかに見えた火山ですが、私たちが展望台に移動してから少しずつ変化を見せ始めました。
【展望台での会話】
私:ほらみて、あそこから煙が出始めましたよ!
参加者1:いや、あれは雲だよ
私:雲は下から出ないじゃないの、煙だよ!
参加者1:....
続いて、他の参加者に
私:ねえねえ、あそこから煙が出ているのが見える?
参加者2:あれは水蒸気だよ
私:...
さらに
私:徐先生、煙が大きくなっているわ、記念写真を撮りましょう。
徐先生:まあ、いいか、撮りましょう。
ベンチに腰を下ろして休んでいる徐先生が無理矢理私にひっぱられ、記念写真を撮りました(汗)。
その時には、私たちはまだその煙は日常茶飯事の出来事としか思っていません。
その次の観光スポット(お土産買うための場所)ではトイレ休憩だけにして、節約できた時間を使って火山の真正面から見えるスターバックスに寄りたいと皆が路線変更を要求しました。コーヒーがほしい人とグッドフォトを撮りたいという参加者の一致した要望です。
その時です!私は人生初の火山灰に降られました。
腕や服に、ぽつりぽつりと降ってきた雨らしきの跡がくっきり残っています。写真を撮っていたので携帯電話を指でなぞったら砂だらけ。しかし、当時はただ雨が汚いと思い、火山灰の意識はありませんでした。
次から次へと参加者たちが汚い格好で帰ってきて、皆は初めて火山灰だと気づきました。
しかし、まだ、日常茶飯事と思っている我々ツアーの参加者です。
そこからです。
バスの窓越しに見える煙は壮大な大きさになり、火山灰もひどく降ってきます。
その時はまだ予定変更通りに10ー15分ほどスターバックスに寄ると思っていました。
しかし、ガイドさんが「会社から早く戻るようにという指示があった」ということで帰ることになりました。面白い経験をシェアしたいので、火山から立ち上がった煙の写真を今西さんに送った直後のことです。
スターバックスを渋々断念し、帰ることにした私達の車の中に突然携帯電話の警報が鳴り始めました。3級から4級に警報のレベルが上がるにつれ、皆がやっと事の重大さに気づきました。これは冗談ではないと気づいた私たちは急いで帰ることにしました。
しかしながら、結局大渋滞に遭い、立ち往生状態に陥り、やむを得ず遠回りして、脇道から帰ることになりました。
そのときの出来事です。不思議な行動を目の当たりにしたのです。
近くの住民が集まり始め、何か情報交換している姿が見えました。晩ご飯後の世間話かなと思いきや、集まっていた人たちが一気にばらばらになって、通りかかる車にあるポーズをし始めます。
突然、私たちが乗っていたバスもスピードダウンしてその中の一人の前に止まりました。住民はバケツをもって水をフロントガラスに向けて撒いてくれ始めます。必死に掃除しても掃除しきれないほど火山灰が厚く積もったフロントガラスがやっと辛うじて前が見えるようになりました。
お金をどれぐらい取るかなと私は思っていましたが、なんとそのまま車は動き出し、走り続けました。
帰る途中、このような光景を何度も見ました。
あまりにも不思議なので、私は思わずフィリピン人のガイドさんにその行動の理由を聞きました。
お金でもなく、何かお返しをほしいということもない、フィリピン人が優しいからだそうです。
自分が逃げるのを後にして、通りかかる車を掃除してくれる住民の行動はフィリピンの最も暖かく、美しい風景だと思わせるワンシーン、第5回アジア未来会議で、一番私の心に刻み込む出来事でした。
<陳姿菁(ちん・しせい)Chen Tzu-Ching>
SGRA会員。お茶の水女子大学人文科学博士。台湾教育部中国語教師資格、ACTFL(The American Council on the Teaching of Foreign Languages)のOPI ( Oral Proficiency Interview)試験官(日本語)。台湾新学習指導要領(第二外国語)委員。開南大学副教授。専門は談話分析、日本語教育、中国語教育など。
※フィリピンの火山噴火に関する他の参加者の報告を下記リンクよりご覧ください。
ランジャナさんの報告(フェイスブックより転載)
于暁飛さんの報告
陳エンさんの報告(フェイスブックより転載)
2020年1月30日配信
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2020.01.22
2020年1月12日(日)第5回アジア未来会議最終日の午後、スタディツアーの1グループがフィリピンの首都マニラから約70キロ南にあるタガイタイ観光を楽しんでいた正にその時に、タール火山が噴火しました。この規模の噴火は1911年以来とのこと。噴煙は一時、高さ1万5000メートルに達し、火山灰は会議場となったマニラ市南郊のアラバンにも達しました。翌13日(月)の帰国日、マニラの国際空港では欠航や遅れが相次ぎ、200名以上の会議参加者に影響を及ぼし、70名以上が会議場ホテルで延泊、それ以上が空港ターミナルや市内のホテルで長時間の待機を余儀なくされました。
1月9日(木)~13日(月)、フィリピンのマニラ首都圏アラバンにあるベルビューホテルと、ラグーナ州のフィリピン大学ロスバニョス校において、21ヵ国から294名の登録参加者を得て、第5回アジア未来会議が開催されました。総合テーマは「持続的な共有型成長―みんなの故郷、みんなの幸福」。今日、世界はこれまで経験したことがないほどの経済成長をとげているものの、この成長は受入れがたい貧富格差の拡大と環境破壊を伴っているという問題意識に基づき、「持続的な共有型成長」のビジョンを議論すると共に、その実現を目ざすために必要と思われるメカニズムを多角的な視点から考察し、実現のための途を探ることを目標に、基調講演とシンポジウム、招待講師による円卓会議、そして数多くの研究論文の発表が行われ、広範な領域における課題に取り組む国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。
9日(木)午前9時から、同時通訳設備の都合で本会議に先立ち、円卓会議A「第4回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」が開始されました。東アジアの歴史和解を実現するとともに、国民同士の信頼を回復し、安定した協力関係を構築するためには歴史を乗り越えることが一つの課題であると捉え、日本の「日本史」、中国の「中国史」、韓国の「韓国史」を対話させる試みです。4回目の今回は19世紀の歴史に焦点を当て「東アジアの誕生-19世紀における国際秩序の転換-」というテーマで活発な議論が展開されました。(日中韓同時通訳)
10日(金)午前9時30分から開会式が始まりました。高校生の合唱隊によるお祈りの後、明石康大会会長が第5回アジア未来会議の開会を宣言しました。共催のフィリピン大学ロスバニョス校のF.C.サンチェス学長の歓迎の挨拶に続き、羽田浩二駐フィリピン日本大使とフィリピン大学のD.L.コンセプション総長より祝辞をいただきました。
引き続き、J.C.ラウレル駐日本フィリピン大使の「ソーシャルメディア時代に持続可能な開発目標を達成するために」と題した基調講演ありました。その後、渥美財団の第1期奨学生でフィリピン大学ロスバニョス校助教授のF.C.マキトさんの進行で、フィリピンにおけるSGRAの活動の5名の協力者の先生方と一緒に「持続的な共有型成長」というテーマについて検討しました。
午後には円卓会議A、Bと5つの分科会セッションが並行して開催されました。
円卓会議B「東南アジアの叡智-社会倫理とグローバル経済-」では、市場資本主義経済に乗って東南アジア諸国はかつてない経済成長と発展をおう歌しているが、富と権力は一極に集中し、地域コミュニティーは疲弊しているという問題意識に基づき、フィリピン、インドネシア、タイから宗教家と経済学者を招いて、民族、宗教、文化のるつぼである東南アジアには過去の人々が成功と失敗に基づく経験知を通じて築き上げてきたさまざまな叡智やシステムがあり、それらは「混迷する」と言われる現代の経済学や経済社会にどのような光をあてるのだろうかという議論が展開されました。(使用言語:英語)
第5回アジア未来会議プログラム
11日(土)午前8時、参加者は全員7台の大型バスに約1時間乗ってフィリピン大学ロスバニョス校に向かいました。今回の会場は、広大なキャンパスの中の森林学部で、参加者は冷房の効いたホテルの会議室から自然の中に解放され、円卓会議Bと40にわたる分科会セッションが開催されました。お昼には参加者は植物園まで散策し、森の中でお弁当を楽しみました。
第5回アジア未来会議では、グループセッション、学生セッション、一般セッションを合わせて50セッションが行われ、173本の論文発表が行われました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しており、各セッションは、発表者が投稿時に選んだ「共有型成長」「平和」「環境」「イノベーション」などのトピックに基づいて調整され、学術学会とは趣を異にした多角的で活発な議論が展開されました。
一般セッションと学生セッションでは、セッションごとに2名の座長の推薦により優秀発表賞が選ばれました。
第5回アジア未来会議優秀発表賞受賞者リスト
優秀論文は学術委員会によって事前に選考されました。2019年1月20日までに発表要旨、7月31日までにフルペーパーがオンライン投稿された127本の論文を13のグループに分け、65名の審査員によって査読しました。ひとつのグループを5名の審査員が、次の5つの指針に沿って審査しました。投稿規定に反するものはマイナス点をつけました。(1)論文のテーマが会議のテーマ「持続的な共有型成長」と適合しているか、(2)わかりやすく説得力があるか、(3)独自性と革新性があるか、(4)国際性があるか、(5)学際性があるか、という指針に基づいて査読しました。各審査員は、グループの中の9~10本の論文から2本を推薦し、集計の結果、上位20本を優秀論文と決定しました。
第5回アジア未来会議優秀論文リスト
分科会セッションの後に参加者は再びバスに乗って山の上のアートセンターに移動して、午後6時30分からクロージングパーティーを開始しました。学生サークルによる歌とダンスの宴もたけなわの頃、優秀賞の授賞式が行われました。授賞式では、優秀論文の著者20名が壇上に上がり、明石康大会委員長から賞状の授与がありました。続いて、優秀発表賞50名が表彰されました。
パーティーの終盤では、第6回アジア未来会議の概要の発表がありました。台湾の中国文化大学の徐興慶学長による招待の挨拶とビデオによる大学案内がありました。
12日(日)、参加者はそれぞれ、マニラ観光ツアー、ケソンシティー観光ツアー、そして冒頭のタガイタイ観光ツアーに参加しタール火山の噴火に遭遇しました。
第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷、みんなの幸福」は、(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催、フィリピン大学ロスバニョス校公共政策開発学部の共催、文部科学省、在フィリピン日本大使館、在日本フィリピン大使館の後援、(公財) 高橋産業経済研究財団の助成、フィリピン大学連合および50を超える日本とフィリピンの組織や個人の方々からご協賛をいただきました。とりわけ、フィリピンプラザ・ホールディングスの皆様からは全面的なサポートをいただき、華やかな会議にすることができました。
第5回アジア未来会議主催・協力・賛助者リスト
運営にあたっては、渥美元奨学生を中心に実行委員会、学術委員会が組織され、フォーラムの企画から、ホームページの維持管理、優秀賞の選考、写真撮影まであらゆる業務を担当しました。特に2名しかいないフィリピン出身の渥美フェローは企画の最初から最後まで大活躍でした。
300名の参加者のみなさん、開催のためにご支援くださったみなさん、さまざまな面でボランティアでご協力くださったみなさんのおかげで、第5回アジア未来会議を成功裡に実施することができましたことを、心より感謝申し上げます。
アジア未来会議は、国際的かつ学際的なアプローチを基本として、グローバル化に伴う様々な問題を、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化など、社会のあらゆる次元において多面的に検討する場を提供することを目指しています。SGRA会員だけでなく、日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっている研究者、その学生、そして日本に興味のある若手・中堅の研究者が一堂に集まり、知識・情報・意見・文化等の交流・発表の場を提供するために、趣旨に賛同してくださる諸機関のご支援とご協力を得て開催するものです。
第6回アジア未来会議は、2021年8月27日(金)から31日(火)まで、台湾の中国文化大学と共催で、台北市で開催します。皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。
第5回アジア未来会議の写真(ハイライト)
第5回アジア未来会議フィードバック集計
第5回アジア未来会議報告(写真入り)日本語
The 5th Asia Future Conference Report
第6回アジア未来会議チラシ
明石康氏コラム(秋田魁新報2020年1月24日朝刊)
Newspaper Column by Mr. Yasushi Akashi
(文責:SGRA代表 今西淳子)
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2018.10.25
2018年8月26日の午後に開催された第4回アジア未来会議自主セッション「現代モンゴル地域における社会変容」は、激変する北東アジア社会の複雑な状況を視野に入れながら、最新の資料を駆使して、モンゴル地域における社会変遷を焦点に特色ある議論を展開することを目的とした。同セッションでは、国立政治大学民族学部准教授の藍美華(LAN Mei-hua)先生と私が共同で座長をつとめた。
SGRA会員、内モンゴル大学モンゴル研究センター准教授のリンチン(仁欽、Renqin)氏の報告「20世紀後半の内モンゴルにおける草原生態系問題の検討」は、20世紀後半の内モンゴルにおける放牧地開墾問題の実態はどうだったか、その背景と要因は何であったか、放牧地開墾問題はモンゴル人地域社会に何をもたらしたか、さらに今日の内モンゴルにおいても生じている環境、漢化、自治区の自治権の低下、人口、言語教育など非漢民族の生存権問題と如何に関連しているのかなどについて考察した。
リンチン氏は、結論として、下記の事を指摘した。
第1に、「大躍進」運動では、農業地域か牧畜業地域かを問わず、内モンゴル地域では「農業を基礎にする」という方針のもと、「牧畜業地域の食糧と飼料の自給」という名目で、中華人民共和国建国以来最大規模の放牧地が開墾された。
第2に、「文化大革命」期間の「牧民はみずから穀物を生産すべき」のスローガンのもとで、内モンゴル生産建設兵団による2回目の大規模の放牧地開墾が行われた。しかし、その結果、食糧と飼料の自給が成し遂げられるどころか、むしろ穀物は減産したのである。
第3に、草原生態系への破壊的影響をもつ開墾により、放牧に利用できる草原の面積が縮小したため、牧民たちは生産手段でもある放牧地を失い、生活の困窮状態に陥った。
第4に、近年、北京、天津にとどまらず、はるか朝鮮半島、日本にまで猛威を振るっている「黄沙」の主な発生源は内モンゴルとされているが、そう簡単に結論づけることはできない。内モンゴルにおける環境問題は、実際このようは政治的・社会的・人為的要因があった。
SGRA会員、昭和女子大学国際学部国際学科教授のマイリーサ(Mailisha)氏の報告「観光化の中における文化伝承」は、甘粛省粛南ヨグル族自治県白銀モンゴル自治郷(1930年代に外モンゴルから河西回廊に移住したハルハ・モンゴル人の村落)における「伝統文化の担い手と継承のための工夫」の事例を検証した。言語や文化の消滅の危機にさらされている少数民族の生存戦略と、その潜在的な可能性について検討し、「民族風情園」など「中国的な見せる観光」における問題点を指摘し、たいへん興味深かった。
東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程ソルヤー(Suruya)氏の報告「フルンボイル地域における民族衣装の再創造――ダウル人を中心に――」は、日本における文化人類学の先端的な研究成果を吸収し、ホブズボウムとレンジャーの「伝統の創造」論を踏まえ、先行研究を批判的に参考にしながら、民族表象の問題として民族衣装に焦点をあてた。フィールドワークで得た成果に基づいて、ダウル人の民族衣装を中心に、内モンゴル・フルンボイル地域におけるモンゴル系サブグループの民族衣装が、20世紀以降、いかに衰退から「再生」へと発展してきたのか、それがフルンボイルのモンゴル系サブグループのアイデンティティの再構築とどのような関係をもっているかなどについて検討をおこなった。今日、ダウル人は伝統を取り戻そうと、その民族衣装を再構築し続けているが、そのプロセスにおいて、実際は、多くの伝統が失われ、また新たな「伝統」が生まれ続けていることなどを指摘した。
桐蔭横浜大学FIJ欧米・アジア語学センター非常勤講師ボヤント(Buyant)氏の報告「内モンゴルにおける土地紛糾の一考察」は、モンゴル人社会の現状を踏まえ、映像資料を含む第一次資料を用いて、2010年以降、内モンゴル地域で農民・牧畜民と地方政府の間で起きた土地・生態環境をめぐる紛糾を焦点に、さまざまな矛盾や葛藤を抱えている多民族国家中国の民族問題の現状について考察し、検討した。1978年に「改革開放政策」が提唱されて40年が経過した現在、少数民族地域におけるインフラ整備や資源開発、経済成長、党幹部養成等は目覚ましい勢いで進んでいる一方、「党国家」をおびやかす事件が多発し、少数民族をとりまく状況は急速に変わっている。氏の報告は刺激的であり、関心をもたらせた。
セッションの最後に、藍美華氏がセッション報告の成果をまとめ、今後の研究の展開について期待をかけた。
当日の写真
<ボルジギン・フスレ Borjigin_Husel>
昭和女子大学国際学部教授。北京大学哲学部卒。1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員、昭和女子大学人間文化学部准教授などをへて、現職。主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、共編著『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2016年)、『日本人のモンゴル抑留とその背景』(三元社、2017年)他。
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2018.10.25
第4回アジア未来会議の一環として、私が企画責任者を務めるグループセッションが8月26日(日)午後にソウルのThe_K-Hotelで開催された。セッションのテーマは「東アジアのナショナリズムを再考する――日・中・韓の近代史からの問い」である。
今日、東アジア諸国の相互依存が一層深まる一方で、感情的摩擦が次第に表面化するようになった一面も否定できない。それは、それぞれ周辺文化への理解の未熟さや、「東アジア」という空間形成の歴史的経緯の軽視などに由来したところが多いと言えよう。そこで、文化のグローバリゼーション(光と影の両面)などに対応しうる「国民国家」というシステムのより広い文脈での位置づけ、および総合的な見通しが問われている。このような問いに検討を加えるために、狭義の一国史に限定することなく、「東アジア」という「場」を多様な文化が接触・連鎖する「舞台」として複眼的・動態的に認識し考察する必要があるように考えられる。
このような問題意識のもとで、今回は3名の発表者と2名の討論者を迎えてセッションを組んでみた。
まず、李セボン氏(延世大学比較社会文化研究所・専門研究員)は「儒者の視点から見た「文明」とナショナリズム――中村正直を中心に」という題で発表した。主に幕末から明治初期にかけて活動し儒学というレンズを通して西洋を見た中村正直(1832~1891)の思想を手がかりに、儒者のいう「文明」とナショナリズムの関係について考察している。
ついで、黄斌氏(早稲田大学地域・地域間研究機構・次席研究員)は「アジア主義・ナショナリズムとマルクス主義の狭間――李大釗の葛藤」という題で発表した。中国ナショナリズムの系譜を時系列に整理した上、その系譜の中に中国共産党の創立に参加した李大釗(1889~1927)の思想を位置づけ、その思想の変容および影響などを分析している。
3番目の発表者は柳忠煕氏(福岡大学人文学部東アジア地域言語学科・専任講師)であり、発表題目は「朝鮮知識人の戦争協力と〈朝鮮的なもの〉――尹致昊と李光洙を中心に」である。帝国日本の戦争遂行に協力した植民地朝鮮の知識人の政治的想像力とはどのようなものだったのかという問題提起を行い、尹致昊(1865~1945)と李光洙(1892~1950)の二人のそれぞれの戦争協力の理由と論理を明らかにし、〈帝国/植民地〉という状況における〈朝鮮的なもの〉の保存への試みとその逆説を解析している。
討論者として、平野聡氏(東京大学大学院法学政治学研究科・教授)と劉雨珍氏(南開大学外国語学院・教授)を迎えた。3名の発表内容について逐一、感想とコメントをされただけでなく、的確なアドバイスもいただいた。
セッションとして、必ずしも最初から意識していたわけではないが、結果的に明治・大正・昭和の3つの時期をカバーし、そして日・中・韓の3国の知識人の思想的葛藤と苦闘を凝縮的にそれぞれの発表に反映させたことになり、よくバランスがとれた。発表者と討論者に加え、聴衆も積極的に参加してくれたおかげで、大変濃密な議論の時間を過ごすことができた。
聴衆に福島大学のある教授がおられ、会議後、ここソウルでこんなに高いレベルの発表およびコメントを聞けるとは思わなかったという。この言葉を励みに、今後できればよりよい企画を提案できるよう協力していきたい。
*発表者、討論者、そして、何よりも渥美国際交流財団の関係者の方々のおかげで、セッションを成功裏に開催できたことを心より感謝申し上げます。皆さま、本当にどうもありがとうございました!
当日の写真
<朱 琳(シュ・リン)ZHU_Lin>
東北大学大学院国際文化研究科准教授。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門はアジア政治思想史。
2018年10月25日配信
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2018.10.18
渥美国際交流財団関口グローバル研究会は、バンコク、バリ島、北九州、ソウルに続き、マニラ近郊にて第5回アジア未来会議を開催します。アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心のある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。アジア未来会議は、学際性を核としており、グローバル化に伴う様々な課題に対して、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化の課題も視野にいれた多面的な取り組みを奨励します。毎回400名以上の参加者を得、200編以上の論文発表が行われます。活発な議論の場を創るため、皆様の積極的なご参加をお待ちしています。
日時:2020年1月9日(木)~13日(月)(到着日と出発日を含む)
場所:フィリピン国マニラ首都圏アラバンとラグナ州ロスバニョス
総合テーマ:持続的な共有型成長-みんなの故郷(ふるさと)、みんなの幸福(しあわせ)
http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/
アジア未来会議は下記の要項にしたがって論文・小論文・ポスター/展示の発表要旨を募集しています。アジア未来会議は、特定分野の学会ではないので、一般の人々にもわかる発表を心掛けてください。
〇上記総合テーマに含まれる下記トピックに関連する研究発表の提案を募集中。
【効率】成長と繁栄 地域貿易と統合 グローバル化 移動 連携性 技術/社会革新
【公平】平和 公共/民間ガバナンス 紛争解決 人権 公平性 倫理
【環境】持続性 環境 生物多様性 気候変動 被災リスク管理
【人間】特別支援 文化/宗教研究 健康 教育 歴史 特別枠 共有型成長のメカニズム
〇発表言語
第5回アジア未来会議の公用語は英語と日本語です。登録時に、まず口頭発表およびポスター/展示発表の言語を選んでいただきます。英語で発表する場合の発表要旨は250語以内に纏めてください。日本語で発表する場合は、発表要旨のみ日本語(600字)と英語(250語)との両方で投稿していただきます。論文および小論文は日本語のみでけっこうです。
〇発表の種類
1.小論文(2~3ページ)
2.論文(5ページ以上10ページ以内)
3.ポスター/発表展示
〇分科会セッションの割り当て
分科会は、2020年1月10日(金)にアラバンで、1月11日(土)にフィリピン大学ロスバニョス校で開催します。
1.一般セッション(個人投稿:アジア未来会議実行委員会が割り当てる)
2.グループセッション(グループで独自のセッションを作る)
3.学生セッション
〇発表要旨の提出期限
[A] 奨学金・優秀論文賞の選考対象となる論文の発表要旨の投稿
2018年10月17日から2019年1月1日
[B] 論文・小論文・ポスター/展示の発表要旨の一般投稿(奨学金・優秀論文賞の対象外)
2018年10月10日から2019年6月30日
詳細は下記ウェブサイトをご覧ください。
画面上のタブで言語(英語か日本語)を選んでください。
http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/
2018年10月18日配信
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2018.10.11
(第4回アジア未来会議円卓会議報告)
2018年8月25日から26日、ソウルのThe_K-Hotelで第3回「国史たちの対話の可能性」円卓会議が開かれた。今回のテーマは「17世紀東アジアの国際関係ー戦乱から安定へー」で、「壬辰・丁酉倭乱」と「丁卯・丙子胡乱」という国際戦争(戦乱)や大規模な戦乱を取上げ、その事実と研究史を確認した上で、各国が17世紀中頃以降いかに正常化を達成したかを検討しようという趣旨であった。各国が熾烈に争った戦乱と、相互の関係を維持しながらも、各自の方式で安定化を追求した様相を一緒に考察しようとしたのだ。
8月24日夕方のオリエンテーションでは国史対話に参加する方々の紹介があり、翌朝から2日間にわたって熱い議論が繰り広げられた。三谷博先生(跡見学園女子大学)の趣旨説明に続いて、趙珖先生(韓国国史編纂委員会)の基調講演があった。17世紀に朝鮮で危機を克服するために起きた数々の議論を参照しながら、17世紀のグローバル危機論の無批判的な適用を避けて、東アジア各国の実際の様相を内的・外的な観点から包括的に検討すれば、3国の歴史の共同認識に到達できると提言した。
第2セッションの発表テーマは「壬辰倭乱」だった。崔永昌先生(国立晋州博物館)は「韓国から見た壬辰倭乱」で、韓国史上の壬辰倭乱の認識の変化過程を具体的に分析した。鄭潔西先生(寧波大学)は「欺瞞か妥協か―壬辰倭乱期の外交交渉」で、従来は「欺瞞」と解されていた明と日本の講話交渉について再検討し、明と日本の交渉当事者が真摯に事に当っていたことを明らかにした。また、豊臣秀吉は講話交渉のなかで日本を明の下に、朝鮮をまた日本の下に位置させようとして朝鮮の王子などの条件を提示したが、明はそれを拒否したと報告した。荒木和憲先生(日本国立歴史民俗博物館)は「『壬辰戦争』の講和交渉」で、壬辰倭乱後の朝鮮と江戸幕府との間の国交交渉における対馬の国書偽造とこれを黙認した朝鮮の論理に注目した。壬辰倭乱というテーマは3国ですでに多くの研究が蓄積された分野であり、対立点も比較的に明確である。各国の史料に対する相互の理解が高まっているので、今後、より実質的かつ発展的な議論が期待されている。
第3セッションの発表テーマは「胡乱」だった。許泰玖先生(カトリック大学)は「『礼』の視座から見直した丙子胡乱」で、朝鮮が明白な劣勢にあっても清と対立(斥和論)した理由を、朝鮮が「礼」を国家の本質と信じていたことによると分析した。鈴木開先生(滋賀大学)は「『胡乱』研究の注意点」で、韓国の丙子胡乱の研究で「丁卯和約」と「朴蘭英の死」を扱う方式について紹介し、史料の重層性と多様性を理解するために利用できる事例とした。祁美琴先生(中国人民大学)は「ラマ教と17世紀の東アジア政局」で、清朝が政治的混乱を収拾していく過程でラマ教を利用しており、ラマ教もこれを利用して歴史の主役になれたことを明らかにした。清朝が中原を支配する過程で当時存在したいくつかの政治体や宗教体の実情も視野に入れなければならないという事実を再認識させてくれた。
本テーマは、倭乱に比べて3国間共同の対話が本格的に行われていない分野であると思う。史料の共有と検討はもちろん、3国の思想(あるいは宗教)にも大きな変動をもたらした事件として、一緒に議論する部分が多い研究分野と考えられる。
第4セッションの発表テーマは「国際関係の視点から見た17世紀の様相(社会・経済分野を中心に)」だった。牧原成征先生(東京大学)は「日本の近世化と土地・商業・軍事」で、豊臣政権後、江戸幕府に至る財政制度と武家奉公人の扱いの変動を分析した。変化の起きた点を明快に指摘し、専門でない人でも容易に理解することができた。崔ジョ姫先生(韓国国学振興院)は「17世紀前半の唐糧の運営と国家の財政負担』で、壬辰倭乱当時、明の支援に対する軍用糧食を意味した「唐糧」が、「胡乱」を経て租税に変化する様相を具体的な分析を通じて説明した。趙軼峰先生(東北師範大学)は「中朝関係の特徴および東アジア国際秩序との繋がり」で、「東アジア」と「朝貢体制」という概念について問題を提起して、本会議が対象としている17世紀以降の韓中関係の特性を紹介し、該当の概念語に対する代案が必要であることを提言した。
政治の動きの下にあって社会を動かす根元、社会・経済に対する関心は、本主題の発表者相互間はもちろん、他のテーマを担当した発表者や参加者たちも積極的な関心を示した分野だった。政治と同様に各国の経済構造は相当な差異を見せるという事実を確認し、これも今後の「国史」間の活発な交流が期待される分野であることを確認した。
セッション別の相互討論と、第5セッションの総合討論では、発表者が考える歴史上から具体的な論点まで多様な範囲の質疑応答が続いた。より熱烈な討論を期待した方たちが物足りなさを吐露したりもしたが、これは決して発表会が無気力であったという意味ではないと考えている。「国史」学者たちが自分の意見を強調する「戦闘的」討論から、外国史の認識を蓄積しつつ、さらに一段階上のレべルに進み始めたことを証明するものだったと思う。
また、「公式討論」の他に、他の国の異なる様相を理解して、その根源がどこにあるか再確認しようとする個別の討論があちこちで行われていたことを目撃した。そして、研究者間の個人的な交流も不可欠であるという考えを持つようになった。
3国の参加者たちが定められた発表と討論時間外にも長時間、共に自由に話し合う時間が必要だと思った。もちろん現実的には仕事が山積の状況で、さらに長い時間を一緒に過ごすのは難しいだろうが、3国以外の土地で会議を開催したり、オンラインを通じた持続的な対話をしたりして、問題意識の共有を進める方式も有効であろう。
また、今までの対話を通じて、自分の専門分野がもつ独特の用語や説明方式に固執せず、これを他の専門分野の学者にどうすれば簡単に伝えられるか、さらに、一般の人たちも理解できるようにする方式を考える必要があるという気がした。筆者もまた同じ義務を持っている。
3回の「対話」に参加しながら、ずっと感じるのは、言語の壁が大きいという事実だった。3国は「漢字」で作成された過去の史料を共有することができるという長所を持っている。歴史的にも近い距離で共通の歴史的事件をともに経験した。互いに使用する史料では疎通できるが、史料に根拠した自分の見解を伝えて相手の意見を聞くには「通訳」という手続きを経なければならなかった。3国の研究者たちがお互いの問題意識を認識してこれを本格的に論議を始める直前に会議の時間が尽きたような惜しい気持ちが残ったのは事実である。
しかし、多大な費用と努力を傾けた同時通訳は確かに今回の3国の国史たちの対話に大きく役立った。十分ではないが、2回目に比べて1歩、1回目に比べて2歩前進したという感じがした。
対話の場を作っていただいただけでなく、言語の障壁を少しでも低めるための努力をしてくださった渥美国際交流財団に感謝する。当初より5回で計画されている「対話」だが、その後も、たとえ小規模でもさらに踏み込んだ対話を交わすことができる、小さいながら深い「対話の場」が随時開かれることを期待する。
韓国語版報告書
会議の写真
関連資料
*報告書は2019年春にSGRAレポートとして3言語で発行する予定です。
<金キョンテ☆Kim Kyongtae>
韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学校韓国史学科博士課程中の2010年~2011年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014年高麗大学校韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員を経て現在は高麗大学校人文力量強化事業団研究教授。戦争の破壊的な本性と戦争が導いた荒地で絶えず成長する平和の間に存在した歴史に関心を持っている。主な著作:壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)
2018年10月11日配信
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2018.10.04
2016年秋の第3回アジア未来会議での円卓会議「東南アジア宗教間」の対話では、グローバリゼーションに翻弄される東南アジア各国の諸課題への宗教の対応が議論された。
この時に、重要なトピックの一つとして提示されたのが、宗教間の「対立と和解」であった。今回、2018 年8月24日から28日までソウルで行われた第4回アジア未来会議では、「寛容と和解」をテーマとして円卓会議「東南アジア宗教間の対話『寛容と和解-紛争解決と平和構築に向けた宗教の役割』」を開催した。
対立や紛争では、その原因が政治経済的な課題であるにもかかわらず宗教の対立としての様相を帯びることが多い。宗教が民族や集団の基層文化のなかに深く根ざしているからにほかならないからである。民族、宗教のモザイクといわれる東南アジアにおいても、その傾向が顕著に表れ、対立が暴力的な宗教間の紛争に至ることも少なくない。
しかし、その一方で東南アジアでは、平和的な手段により対立や紛争を解決した事例も多く、和解に至るプロセスの経験も蓄積され始めている。今回の円卓会議では、東南アジア及び日本在住の宗教者、宗教研究者が集い、タイ、ミャンマー、インドネシア、ベトナム、フィリピンにおける紛争解決、平和構築の経験、事例をベースとして和解、平和構築に向けた宗教および宗教者の役割を探った。
【各国からの事例発表】(円卓会議は英語で行われた)
発表1:タイ
Vichak_Panich(Vajrasiddha_Institute_of_Contemplative_Learning)
“Buddhism_of_the_Oppressed:_Restoring_Humanity_in_Thai_Buddhist_Society”
「虐げられし者達の仏教へ−タイ仏教に人間性の回復を」
発表2:ミャンマー
Carine_Jaquet(The_Research_Institute_on_Contemporary_Southeast_Asia)
“Brief_Report_on_the_Situation_of_Rohingya_People”
「報告−ロヒンギャの人々の現状」
発表3:インドネシア
Kamaruzzaman_Bustamam-Ahmad(Ar-Raniry_State_Islamic_University)
“The_Dynamics_of_Muslim_Society_in_Aceh_after_Tsunami”
「津波災害後のアチェのイスラム社会のダイナミズム」
発表4:ベトナム
Emmi_Okada(The_University_of_Sydney)
"Reaching_Beyond_the_Religious_Divide_for_Peace: The_Experience_of_South_Vietnam_in_the_1960s"
「平和と宗教の分断を超えて−1960年代の南ベトナムの経験から」
発表5:フィリピン
Jose_Jowe_Canuday(Ateneo_de_Manila_University)
"Muslim_and_Christian_Dialogues_in_the_Southern_Philippines:
Enduring_Grassroots_Inter-religious_Actions_in_a_Troubled_Region”
「南部フィリピンのイスラム教とキリスト教の対話−試練に耐える紛争地域におけるグラスルーツの宗教間対話の試み」
(文責:角田英一)
◆小川忠「第4回アジア未来会議円卓会議『東南アジア宗教間の対話』に出席して」
会議テーマは「異なる宗教間」の対話であったが、「同じ宗教内」での対話こそ必要とされている。これが、今回の会議に出席して強く感じたことだ。
監修者の島薗進先生が会議冒頭で述べられた通り、世界中で宗教復興ともいうべき現象が顕著になっている。多様な宗教が混在する東南アジアも例外ではない。そして「イスラム過激派テロ」「ロヒンギャ問題」「ミンダナオ紛争」等日々接する東南アジア報道から、冷戦終結直後に政治学者ハンティントンが提起した通り、宗教を基盤とする文明が互いに対立し、流血を生んでいるかの如き印象をもってしまう。特にイスラム教については、その狂信性、好戦性ゆえに対立、暴力を拡散させているというイメージが、世界中に拡がっている。
しかし、イスラム教、仏教、キリスト教と様々な宗教的背景をもつ本会議出席者たちは、「宗教紛争」とされるものの多くは、植民地支配の負の遺産、国民国家建設の失敗、政治権力の宗教動員等によるものであって宗教が根本原因ではない、と指摘した。さらにイスラム教のみならず、平和的な宗教とされる仏教においても、排外的ナショナリズムと結合し他宗教に対する敵意を煽る強硬派が次第に勢力を拡大している。
そしてイスラム教、仏教内部において、政教分離を拒否し宗教とナショナリズムの結合を目指す動きが強まっている一方、これに抗し、宗教を政治から切り離し一定の距離を置き人権、民主主義を育てていこうというリベラル派が存在することも浮き彫りにされた。両者の亀裂が深まっているのが昨今の状況だ。それゆえに同一宗教内の対話が重要なのである。
対話の鍵を握るのは、宗教教義を「解釈する力」である、という指摘もあった。同じ宗教のなかにも相反する教義が存在する。宗教の有する多面性を理解した上で、今日の世界にあう創造的な解釈力が、それぞれの宗教において求められている。
グローバリゼーションが宗教にもたらしている衝撃も議論となった。グローバリゼーションとは、欧米発の情報、文化、価値観が世界中に拡がり、世界の画一化が進行するというイメージがあるが、ことはそれほど単純ではない。グローバリゼーションには様々な潮流が存在する。中東発のワッハーブ主義、サラフィー主義という厳格化、原理主義的イスラム思想が、インドネシアのアチェ他東南アジアで影響を強めている状況が報告された。
そしてグローバリゼーション時代に発達したソーシャル・メディアが、国境を越える大量の情報流入を東南アジア地域にもたらしている。それは国際的な対話と相互理解を育む機会を増大させるとともに、テロを煽る過激組織プロパガンダの影響力拡大にもつながっている。またグローバリゼーションに反発する排外感情の高まりという副作用も看過できない。ソーシャル・メディアは世界の平和にとって諸刃の刃のような存在、という見方が参加者のあいだで共有された。
各報告を聞くにつけ、東南アジア各国において宗教と社会の関係は多様かつ複雑であり、それを一般化して語るのがいかに危険であるかを再認識した。また対立から和解への道のりが容易ではない、とも感じた。しかし、ミンダナオの事例報告で述べられた通り、平和的手段により紛争を解決しようという模索がこれまで何度も試みられ、そのなかで和解に至る経験も蓄積され始めている。今できることを一歩一歩進めていくしかない。
多様な宗教的背景をもった東南アジアと日本の知識人が虚心坦懐に議論する場はありそうで実はさほど多くない。そうした貴重な機会を提供してくれた主催者の渥美国際交流財団関口グローバル研究会の見識に敬意を表し、感謝したい。
<小川 忠(おがわ・ただし)OGAWA_Tadashi>
2012年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 博士。
1982年から2017年まで35年間、国際交流基金に勤務し、ニューデリー事務所長、東南アジア総局長(ジャカルタ)、企画部長などを歴任。2017年4月から跡見学園女子大学文学部教授。専門は国際文化交流論、アジア地域研究。
主な著作に『ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭 軋むインド』(NTT出版)2000、『原理主義とは何か 米国、中東から日本まで』(講談社現代新書)2003、『テロと救済の原理主義』(新潮選書)2007、『インドネシア イスラーム大国の変貌』(新潮選書)2016等。
英文の報告書(English Version)
円卓会議の写真
2018年10月14日配信
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2018.08.31
2018年8月24日(金)~28日(火)、韓国ソウル市のThe_K-Hotelにおいて、21ヵ国から379名の登録参加者を得て、第4回アジア未来会議が開催されました。総合テーマは「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」。朝鮮戦争の後、韓国は絶え間ない努力と海外からの多大な援助によって「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げました。歴史的経験から、開発にともなう苦痛や悩みをよく理解している韓国のソウルで開催されたこの会議が、これからのアジアの「平和と繁栄、そしてダイナミックな未来」に寄与することを願って、広範な領域における課題に取り組み、基調講演とシンポジウム、招待講師による円卓会議、そして数多くの研究論文の発表が行われ、国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。
アジアだけでなく世界各地から参加者が到着予定の8月24日(金)は、韓国では6年ぶりという台風19号がソウルを直撃するという予報が早くからだされ、東南アジアからの便が数本キャンセルになりましたが、台風の進路は東に逸れ、殆どの参加者はこの日に会場までたどり着くことができました。
翌、8月25日(土)の午前中は2本の円卓会議と同時進行で10の分科会が行われました。円卓会議の概要は以下の通りです。
◇円卓会議A「第3回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」(助成:東京倶楽部)
この円卓会議では、東アジアの歴史和解を実現するとともに、国民同士の信頼を回復し、安定した協力関係を構築するためには歴史を乗り越えることが一つの課題であると捉え、日本の「日本史」、中国の「中国史」、韓国の「韓国史」を対話させる試みです。今回は5回シリーズの第3回めで、「17世紀東アジアの国際関係ー戦乱から安定へー」というテーマで議論が展開されました。さらに、最後のセッションでは、早稲田大学の「和解学の創成」プロジェクトの一環として、今までに行われた歴史対話の試みについて振り返りました。(日中韓同時通訳)
◇円卓会議B「第2回東南アジア宗教間の対話」では、「寛容と和解-紛争解決と平和構築に向けた宗教の役割」をテーマに、対立や紛争の原因が政治経済的な課題であるにもかかわらず、宗教の対立としての様相を帯びることが数多くあるが、それは宗教が対立する民族や集団の基層文化のなかに深く根ざしているからにほかならないという問題意識により、ミャンマー、タイ、インドネシア、フィリピン、ベトナムの紛争解決、平和構築の経験及び研究をベースとして和解、平和構築に向けた宗教および宗教者の役割、そして「平和と和解」への途を探りました。(使用言語:英語)
昼食休憩の後、午後2時から開会式が始まり、明石康大会会長が第4回アジア未来会議の開会を宣言しました。共催の韓国未来人力研究院の李鎮奎理事長の歓迎の挨拶の後、長嶺安政在韓国日本大使より祝辞をいただきました。
引き続き、「AIと人間の心、そして未来」と題した基調講演およびシンポジウムが開催されました。慶熙サイバー大学の鄭智勲教授「AIの今、そして未来」、ソウル大学の金起顯教授「AIと人間の心」の2本の基調講演の後、共催の韓国社会科学協議会の朴賛郁会長の進行で、韓国政治学会の金義英会長、韓国社会学会の申光榮会長、大韓地理学会の李勇雨次期会長、国際開発協力学会の權赫周時期会長、韓国国際政治学会の金錫宇会長を討論者に迎え、AIが社会に与える影響を検討しました。(韓英同時通訳)
最後に、400人を超える参加者は、HONAというグループによる韓国伝統楽器を用いたジャズのコンサートを楽しみました。
第4回アジア未来会議のプログラム
その後、台風一過で快晴の屋上庭園で開かれたウェルカムパーティーは、ジャズ演奏を聴きながら夜遅くまで続きました。
8月26日(日)午前9時から、12の小会議室を使って、分科会が行われました。前日の午前中と合わせて、7グループセッション、6学生セッション、43一般セッションが行われ、224本の論文発表が行われました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しており、各セッションは、発表者が投稿時に選んだ「平和」「幸福」「イノベーション」などのトピックに基づいて調整され、学術学会とは趣を異にした、多角的で活発な議論が展開されました。
一般セッションと学生セッションでは、各セッションごとに2名の座長の推薦により優秀発表賞が選ばれました。
優秀発表賞の受賞者リスト
優秀論文は学術委員会によって事前に選考されました。2017年8月31日までに発表要旨、2018年2月28日までにフルペーパーがオンライン投稿された137篇の論文を14グループに分け、ひとつのグループを4名の審査員が、(1)論文のテーマが会議のテーマ「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」と適合しているか、(2)わかりやすく説得力があるか、(3)独自性と革新性があるか、(4)国際性があるか、(5)学際性があるか、という指針に基づいて査読しました。各審査員は、グループの中の9~10本の論文から2本を推薦し、集計の結果、上位19本を優秀論文と決定しました。
優秀論文リスト
クロージングパーティーは、同日午後6時半からピアノの演奏で始まり、今西淳子AFC実行委員長の会議報告のあと、共催の韓国社会科学協議会の朴賛郁会長のご発声により乾杯をして会の成功を祝いました。宴もたけなわの頃、優秀賞の授賞式が行われました。授賞式では、優秀論文の著者19名が壇上に上がり、明石康大会委員長から賞状の授与がありました。続いて、優秀発表賞48名が表彰されました。
パーティーの終盤に、第5回アジア未来会議の概要の発表がありました。フィリピン大学ロスバニョス校総長自らの歓迎ビデオと、実行委員会からの挨拶、そしてフィリピンからの参加者全員が会場も巻き込んでフィリピン版カンナムスタイルを踊り、会場は大いに盛り上がりました。
8月27日(月)、参加者はそれぞれ、非武装地帯スタディツアー、ソウル伝統建築ツアー、ソウル市内観光、南漢山城スタディツアー、NANTA鑑賞などに参加しました。
第4回アジア未来会議「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」は、(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催、韓国社会科学協議会と(財)未来人力研究院の共催、文部科学省、在韓日本大使館、ソウルジャパンクラブの後援、(一社)東京倶楽部の助成、CISV_Korea、(公財)本庄国際奨学財団、Doalltec(株)、グローバルBIM(株)の協力、そして、POSCO建設(株)、HAEAHN_Architecture(株)、(株)NIスティール、中外製薬(株)、三菱商事(株)、東京海上ホールディングス(株)、コクヨ(株)、鹿島道路(株)、大興物産(株)、鹿島建物総合管理(株)、イースト不動産(株)、Kajima_Overseas_Asia_Pte(株)、鹿島建設(株)のご協賛をいただきました。
運営にあたっては、渥美フェローを中心に実行委員会、学術委員会が組織され、フォーラムの企画から、ホームページの維持管理、優秀賞の選考、当日の受付まであらゆる業務を担当しました。特に韓国出身の渥美フェローには翻訳やビザ招待状の手配から、当日の会議進行における雑務まで、多大なご協力をいただきました。
400名を超える参加者のみなさん、開催のためにご支援くださったみなさん、さまざまな面でボランティアでご協力くださったみなさんのおかげで、第4回アジア未来会議を成功裡に実施することができましたことを、心より感謝申し上げます。
アジア未来会議は、国際的かつ学際的なアプローチを基本として、グローバル化に伴う様々な問題を、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化など、社会のあらゆる次元において多面的に検討する場を提供することを目指しています。SGRA会員だけでなく、日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっている研究者、その学生、そして日本に興味のある若手・中堅の研究者が一堂に集まり、知識・情報・意見・文化等の交流・発表の場を提供するために、趣旨に賛同してくださる諸機関のご支援とご協力を得て開催するものです。
第5回アジア未来会議は、2020年1月9日(木)から13日(月)まで、フィリピンのマニラ市近郊で開催します。皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。
第4回アジア未来会議の写真(ハイライト)
フェアウェルパーティーの時に映写した写真(動画)
第5回アジア未来会議チラシ
写真付き報告書 日本語 English
(文責:SGRA代表 今西淳子)
2018年8月31日配信
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2018.03.01
第3回アジア未来会議が、日本政府観光局(JNTO)の平成29年度国際会議開催貢献賞をいただきました。開催にあたり会議運営、地域貢献などにおいて、今後の模範となる実績を上げた国際会議6件が表彰されました。ご支援ご協力いただいた皆さんに、心からお礼を申し上げます。
授賞式の写真
国際会議開催貢献賞の詳細