SGRAイベントの報告
第28回SGRAフォーラム in 軽井沢「いのちの尊厳と宗教の役割」報告
2007年7月21日(土)、第28回SGRAフォーラム in軽井沢が、鹿島建設軽井沢研修センター会議室で開催された。今回は、SGRA「宗教と現代社会」研究チームが担当する第2回目のフォーラムで、テーマは「いのちの尊厳と宗教の役割」であった。
まず、東京大学文学部宗教学宗教史学科教授の島薗進先生が「いのちの尊厳と日本の宗教文化」というテーマの基調講演を行った。医療技術の発展によって安楽死、臓器売買、代理出産などが可能になり、人の生命が道具のように扱われている。一方、自殺者数は減らず、教育の現場では、子供たちが自分より弱いものをみつけていじめる、さらには「社会を掃除するために」ホームレスを虐待するという社会問題がおこる。これらの現象は根元で繋がっているのではないか。「生命の尊厳」の問題に対して欧米では様々な議論がなされており、カトリック教会などははっきりした立場を示している。しかし、日本の宗教やアジアの宗教文化の立場からの対応はまだ欠如している。アジアの宗教文化の観点から生命倫理を考える必要があるのではないかという問題提起がなされた。
島薗先生の発表に対して兵庫県立大学看護学部心理学系准教授・韓国出身の金外淑さんの質問は、いのちの尊厳をどのように教えることが出来るのかということであった。島薗先生は、いのちの大切さは様々な分野で教えられているが、いのちを尊重する文化を育むことが必要であり、そこで宗教の役割が重要になると回答した。
富山大学経営法学科教授の秋葉悦子先生は「カトリック<人格主義>生命倫理学の日本における受容可能性」について発表を行った。秋葉先生は、中絶問題や生命の誕生(初期胚)や臓器移植について、受精卵を新たな人の命としてみなすカトリック教会のいわゆる人格主義的生命倫理について、ヴァチカンの公式見解を説明した。そして、このような生命倫理的価値観は、生物学の科学的な研究と第二次世界大戦後の国際法の精神に基づく合理的な結論であり、日本での受容の可能性は高いと語った。
秋葉先生に対する東京医科大学大学院博士課程在学生・中国ウィグル出身のアブドジュクル・メジテさんの質問は、ES細胞から人工的に器官を作ることは可能で、それによって様々な病気を直すための実験を行うことができるが、受精卵を新たな人の生命としてみなすというカトリック教会の立場はこの分野の研究を妨げているのではないかということであった。秋葉先生の回答は次の通りであった。ナチス時代には人体が医学実験のために使われていた。カトリック教会が示す生命倫理は科学や技術的発展のために人間の命や人権が奪われないように守ろうとしている。カトリック教会は死後の臓器移植を認めている。
コーヒー休憩の後、高野山大学文学部スピリチュアルケア学科准教授の井上ウィマラ先生による「悲しむ力と育む力:本当の自分に出会える環境づくり」というテーマの発表で、人間は悲しいことをどのように育む力に変えることが出来るのかという内容のものであった。フロイトの対象喪失理論やボウルビィの愛着理論などを紹介し、悲しみを充分に体験しながら人は許しや思いやりなどを獲得し、いのちを育む力を培ってゆくと論じた。井上先生によれば母子関係には人間を育む力があり、それを証するように中島みゆきの「誕生」という曲を聞かせた。
日本社会事業大学大学院博士課程在学生・中国出身の権明愛さんからは、子供ころの精神障害やトラウマは大人になっても残る可能性があるが、それを解決するためにもどのように自分の体験に向かい合うことが出来るのかという問いだった。井上先生は子供への様々な方法でのスピリチュアルケアの必要性を強調した。
最後の発表者は立命館大学産業社会学部教授の大谷いづみ先生だった。「『尊厳ある死』という思想の生成と『いのちの教育』」という題名の発表で、まず尊厳死と安楽死の相違について説明した。そして、様々な事例を通じて欧米や日本社会における「尊厳死」と「安楽死」の受けとめ方について述べた。尊厳死は当事者の自己決定によるものであるとされている。しかし、その自己決定には様々な問題があり、それは「いのちの教育」において課題とされるものであると論じた。
大谷先生の発表に対して東京大学大学院博士課程在学生・韓国出身の李垠庚さんは、韓国では「消極的安楽死」という言葉が使われることを紹介し、尊厳死が安楽死と区別され肯定的に取られてしまう可能性があるのではないかと問いかけた。大谷先生の答えは、死に関する自己決定は「科学的ヒューマニズム」とされており、日本でも道徳的行為とみなされていることに問題を感じると再度強調した。
当フォーラムの前半はこのように4人の講演者による発表と約定質問者による質疑であった。後半(夕食休憩の後)には、フロアからの質問を踏まえながら、「いのちの尊厳と宗教の役割」というテーマのパネルディスカッションが行われた。4人の講演者がパネリストとなり、名古屋市立大学准教授のランジャナ・ムコパディヤーヤが進行を務めた。フロアから様々な質問があった。いのちに関する教育は可能か、そのような教育をどのように行うべきか、文化によって死生観や「いのち」に対する考え方が異なるのに共通な生命倫理は可能か、個人主義を重視するキリスト教的・西洋的な「いのち」観は「無我」を説く仏教的考え方やアジアの文脈において適用しうるのか、宗教的文化的特徴を尊重しながら「いのち」の尊厳を訴えることは出来るのかというような質問があった。パネリストらによる回答がパネルディスカッションをさらに盛り上げ、フォーラムは大盛況であった。
フォーラムの写真は以下のURLをご覧ください。
http://www.aisf.or.jp/sgra/photos/
(文責:ランジャナ・ムコパディヤーヤ)