SGRAイベントの報告

陳藝婕「第8回アジア未来会議円卓会議4報告『移動された美術へのまなざし』報告」

 

この円卓会議は第 8 回アジア未来会議の一企画として開催され、早稲田大学社会科学総合学術院准教授の陳璐氏が司会を務めた。大会全体のテーマ「空間と距離:こえる、縮める、つくる」を受け、地理・文化の境界を超えて移動した美術作品を対象に議論を展開。コロナ禍をきっかけに社会的距離の概念が広く共有されたが、文化の領域において距離は単なる隔たりではなく、隔絶と結びつけの両面をはらむ。美術作品が「原産地」から移転することで生じる文脈の剥離、同時に新たな価値や解釈が生まれるプロセスは「距離を超える」行為であると同時に、新たな文化的距離を生み出す現象でもある。移転した作品が持つ二重性を二つの事例から検証し、作品の過去と現在を学術的にどのように接続するかを掘り下げた。

 

最初に大和文華館学芸員の都甲さやか氏より「富岡鉄斎の中国絵画受容―宋末元初の牧谿を中心に―」と題する報告が行われた。富岡鉄斎(1836‑1924)は生涯中国を訪問しなかったものの、日本に伝来した漢籍や古書画を通じて中国文化を吸収し、独自の文人画様式を確立した画家である。都甲氏は鉄斎が牧谿を深く私淑し、作品と文字史料の両面から牧谿像を構築、自身の絵画に牧谿風を取り入れた過程を述べた。

 

牧谿は中国本土では『図絵宝鑑』などにより「粗悪にして古法なし」と低く評価された一方、日本では室町時代以来高く珍重され、水墨画に大きな影響を与えてきた。鉄斎は日本に伝来した牧谿の作品を実見するほか、稀覯本である『松斎梅譜』を所蔵し、その記述を重視した。また、後世の画史が誤って混入した五代僧の逸話をもとに、「酒を好み酔った勢いで墨戯を行う僧」というイメージを形成し、『牧谿嗜酒図』『漁邨暮雨図』『撥墨山水図』などの作品にその像を反映させた。特に大正 9 年に制作された『漁邨暮雨図』と『撥墨山水図』は、辛亥革命後に京都に滞在していた清末民初の知識人、羅振玉へ贈呈された作品である。羅振玉は中国の画史観に基づき牧谿をさほど重要な画家とは捉えていなかった。日中それぞれの歴史の中で育まれた牧谿に対する評価のギャップが、京都という地で両者が交わることで顕在化し、互いの文化的蓄積を再認識する契機となった、と都甲氏は指摘する。報告の最後では、鉄斎が唐の王墨らの潑墨画法のイメージも重ね合わせて牧谿を理解し、自身の画風形成に活用した点が強調された。

 

続いて京都大学人文科学研究所外国人特別研究員の閻志翔氏より「欧米所蔵の宋元木彫像について―その制作地区と制作年代の全体像―」が報告された。宋・元期の木彫像の多くは近代に海外へ流出し、現在は欧州や米国の美術館・博物館に収蔵されている。作品の多くは山西省を中心とする華北地域の造像と推定され、一部は江南地域の作品と考えられている。しかし流出に伴い制作地、制作年代といった歴史・地理的情報の大半が失われ、造形・技法・作者に関する彫刻史研究は十分に進んでいない。閻氏は、造形表現と制作技法による分類、中国国内に残る同時代の寺観塑像・石窟造像との比較、基準作例の整理や新たな基準作例の提示を通じ、海外に流失した木彫像の制作地域と年代の全体像を再構築する構想を提示した。作品が故地から切り離されることで生じる断絶の問題と、学術調査によって失われた情報を回復する試みについて述べた。

 

報告後は陳璐氏の司会のもとディスカッションと質疑応答が実施され、上海大学上海美術学院講師の陳藝婕、東京藝術大学研究員の朱若麟氏が議論に参加した。

 

まず陳が都甲氏の報告に対して問題提起を行った。富岡鉄斎が憧憬した牧谿は、歴史的事実としての実在の牧谿ではなく、真偽混在するテキストを通じて日本側が作り上げた想像上の牧谿であると指摘した。とりわけ「酒を嗜み酔いから絵を描く」というイメージは記録にはなく、他の潑墨画家の伝説が複合して生まれた虚像で、作品が国境を越えて伝わる際に原典の情報が変質・再構成され、受容側の文化的願望が投影されるプロセスをよく示していると論じた。この意見に対し都甲氏は、鉄斎自身も史料の異同をある程度認識しつつ、自らの理想の文人画像を投影して牧谿を読み解いていた点を補足し、テキストとイメージの創出関係について応答した。

 

朱若麟氏は閻志翔氏の共同研究者として、海外での宋元木彫像の調査現場における知見を補足した。実際の博物館資料調査では、旧来の展覧会カタログや旧収集家の記録に根拠の薄い年代・産地推定が踏襲され続けている実態や、木彫の補修・後世の改造が作品の様式判断を困難にしているという課題を紹介し、閻氏の研究の実践的な難点と可能性を論じた。

 

続いて会場より国際文化研究センターの稲賀繁美名誉教授、東京芸術大学の荒井経教授、東京大学の塚本磨充教授、京都大学の呉孟晋准教授をはじめとする参加者から活発なコメントや質問が寄せられた。各氏からは本円卓のテーマである「移動された美術作品」をめぐって示唆に富む意見が出され議論を深めた。

 

会議は美術作品が地域を超えて移り変わる現象について、二つの異なる角度から事例を提示することを目的に組まれた。一方では作品の伝来を契機とした受容側におけるイメージや解釈の再編成、もう一方では流出によって失われた作品の歴史的―地理的文脈をいかに探り戻すかという課題を取り上げた。報告者やディスカッサント、会場参加者の間でこれらの論点をめぐるやり取りが行われたのち、司会の陳氏により会議は締めくくられた。

 

<陳藝婕 CHEN Yijie>

2022年度渥美国際財団奨学生。中国浙江省出身。2023年、総合研究大学院大学国際日本研究博士号取得。現在は中国上海大学講師を務めている。研究分野は、日中絵画の交流や受容。論文には「旭日江山:傅抱石の絵画における赤い太陽の図像と中日韓古代絵画の関係について」(『美術観察』2024年第4号)、「高島北海『写山要訣』の中国受容:傅抱石の翻訳・紹介を中心に」(『日本研究』64集,2022年3月)、「記美術史家鈴木敬」(『美術観察』2018年5月号)など、著作は『黄秋園 巨擘伝世・近現代中国画大家』(中国北京高等教育出版社、 2018 年)などがある。

 

 

 

2026年9月17日配信