SGRAイベントの報告
林泉忠「第9回東アジア日本研究者協議会パネル『戦後東アジア分断国家における祖国観』報告」
2025年11月1日から2日にかけて韓国の翰林大学で開催された「第9回東アジア日本研究者協議会」のSGRAパネルに参加した。「戦後東アジア分断国家における『祖国観』」をテーマとし、冷戦が東アジアにもたらした地政学的な断裂と、そこから派生した多層的なアイデンティティの問題を掘り下げた。核心的な関心は、「分断国家」という特殊な状況下で、「祖国」の概念がいかに形成され、変遷し、現在まで流動し続けているのかという点にある。
東アジアにおいては台湾海峡を挟む中台、軍事境界線で隔てられた朝鮮半島、本土復帰前の米国統治下にあった沖縄と日本本土の関係など、多岐にわたる分断が存在した。国家の分断は民族の統合を求める強固なナショナリズムの運動を生み出した一方で、分断された地域が独自の歴史的・文化的文脈を形成し、ナショナルとは異なる地域的・ローカルなアイデンティティを確立する契機ともなった。本パネルでは沖縄、台湾、韓国の3つの事例を取り上げ、各々が「民族や国家の動向に翻弄され」、アイデンティティが絶えず流動化してきた共通の課題を抱えていることを確認しつつ、それぞれの特殊な状況を詳細に検討した。
最初に琉球大学の鳥山淳教授が「戦後沖縄社会の祖国像」と題し、米国の統治政策の変遷を軸に、戦後沖繩における祖国観のダイナミズムを時系列で分析した。鳥山教授は、近代日本国家へ強制的に編入され同化政策を受けながらも、太平洋戦争の末期に地上戦の最大の犠牲地となった沖縄の過酷な経験が、1940年代後半において、日本という「祖国」に対する根源的な懐疑を生み出したと指摘する。この時期には、「独立共和国」や「人民自治政府」の樹立といった、日本からの分離独立を求める主張すら生じ、国家意識が大きく動揺した。しかし、1950年代の米軍統治下に入ると、日本への帰属が歴史的な必然として捉え直され、「沖縄解放」の願望は「祖国意識」へ強力に接続されるに至る。すなわち、「祖国」は占領支配から解放されるための「希求される対象」として認識され、この強い願望は「復帰運動」として結実する。
しかしながら、1972年の本土復帰は分断時代に築かれた米軍基地の固定化という、看過し得ない「軋轢」を内包していた。基地の大幅削減や全面撤去を求めた復帰運動の敗北は、復帰の喜びの裏側で「祖国」という概念に対する複雑な感情を醸成させる。鳥山教授は1970年代以降、沖縄の課題は「祖国」たる日本本土に対し、戦争責任や基地問題という「過去の清算」を求める段階へと移行したと論じ、祖国観の多義的な性格を浮き彫りにした。
台湾中央警察大学の李明俊教授は、「戦後台湾社会の『祖国像』」に焦点を当て、台湾の祖国観が歴史的・地理的にいかに漂移性を伴ってきたかを論じた。報告ではオランダ・スペイン時代、清国統治時代、そして日本植民地支配といった多層的な支配構造を経る中で、台湾のアイデンティティは常に流動的であったことが強調された。特に日本統治時代、台湾人は日本国籍を持ちながらも「内地人」と差別され、自らを「アジアの孤児」と表現するなど、既存のナショナルな枠組みに収まらない独自の意識を形成していった。このアイデンティティの流動性は戦後初期に極点に達する。1945年、台湾人には「祖国(中華民国)回帰」への強い憧憬が存在したが、国民党政権による略奪的統治と1947年の「二二八大虐殺事件」により、この「中国祖国観」は幻滅へと転じた。さらに戒厳時期(1949-1987年)を通じて、政治的な力によって「中国祖国観」の強化が図られたが、この高圧的な統治は、かえって台湾住民と中国との文化的な疎外感を増幅させ、本省人・外省人の対立を深めた。
この反動は1980年代以降の民主化運動のなかで、国民党政権を「外来政権」と見なし、台湾人自身の政権へと転換を図る「台湾本土化(naturalization)」の原動力となる。報告では李登輝元総統の言葉を引用し、台湾における祖国観が政治的な独立性の確立と民主化のプロセスを経て、完全に再構築された様相が分析された。
国立釜慶大学の金崇培教授は、「戦後韓国社会の『祖国像』」について報告し、朝鮮半島における「戦後」概念が1945年の日本からの「解放」と、1953年の朝鮮戦争「休戦」という二つの重要な時点を内包する「複数の戦後」として捉えるべきだと強調した。教授は自身が在日韓国人3世という立場から、在日コリアンのアイデンティティ変遷(名称との関連)も視野に入れつつ、韓国社会における祖国像を考察した。近代韓国は1897年の大韓帝国成立とともに、朝鮮半島全体を一つの管轄権の下におく「朝鮮民族の国」としての祖国概念を確立したが、戦後はイデオロギーの衝突による分断体制へと突入する。韓国社会像は、「祖国の光復」と「祖国統一」という民族的な大義に強く規定されながらも、親日派や共産主義勢力を排斥・浄化しようとする複雑な過程をたどった。
特筆すべきは1991年の南北同時国連加盟が、逆説的に朝鮮半島に「二つのコリア」が存在することを国際的に承認し、統一への道のりにおける一つの大きなパラドックスとなった点である。しかし、統一への希求は止むことなく、2000年の「6.15南北共同宣言」では南側の連合制案と北側の緩やかな連邦制案が「相互に共通性がある」と認められ、漸進的な統一を志向していくことで合意が形成された。金教授は韓国の祖国像が民族の全体性という理念と、固定化された分断の現実との間で、絶え間ない緊張を強いられている現状を結論付けた。
パネルの総括と討論を担当した南基正教授(ソウル大学日本研究所)は「分断国家の祖国は何か、それは何を意味するか?」という根本的な問いを提示し、3地域が共有する構造的な課題を浮き彫りにした。沖縄、台湾、韓国が日本による植民地支配あるいは宗主国関係という「共通の歴史経験」を持ちながら、戦後においては米国との関係や政治的地位の差異から「異なる戦後経験」を辿った点を指摘した。その分析は現在の東アジアが抱える構造的な問題、すなわち、「時間軸と空間軸のズレ」へと集約される。韓国有事、台湾有事、沖縄の米軍基地問題といった安全保障上の危機が地政学的に分断状態を固定化しようとする一方で、各地域の内部では固定化に抵抗する「逆転の想像力」が生まれている。それは敵対的な「二国家」としての相互承認、あるいは台湾独立、琉球独立といった既存の国家フレームを乗り越える試みとして発現している。これらは単なる地方政治の現象にとどまらず、東アジア全体が抱える「国民国家体制の動揺と再構成」という、より大きな歴史的変動の一部であると結論付けた。
このフォーラムは、複雑化する東アジアの国際情勢と国内政治が密接に連動している現状を、マクロな視点からミクロなアイデンティティの問題まで重層的に捉え直す機会となり、過去を真摯に検証し、未来志向の平和な地域関係をいかに構築すべきか、学術的な基盤を提供する有意義な場となった。
<林泉忠(りん・せんちゅう) LIM John Chuan-Tiong>
東京大学博士(法学)。国際政治学専攻、主に東アジアの国際関係、日中台関係、台湾研究、沖縄研究。琉球大学法文学部准教授、台湾中央研究院近代史研究所副研究員、ハーバード大学フルブライト客員研究員、国立台湾大学歴史学科兼任副教授、中国武漢大学国際問題研究院教授、同日本研究センター執行主任、香港中文大学兼任教授、東京大学東洋文化研究所特任研究員、香港「明報」(筆陣)主筆などを歴任。著書に『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』(明石書店、2005年)、『日中国力消長と東アジア秩序の再構築』(台湾五南図書、2020年)、『世界の岐路をよみとく基礎概念~比較政治学と国際政治学への誘い~』(共著、岩波書店、2024年)など。
2025年12月25日配信




