SGRAイベントの報告

閻志翔「第9回東アジア日本研究者協議会パネル『東アジアからみた日本美術―外来文化輸入の再検討―』報告」

 

「東アジア日本研究者協議会第9回学術大会」は、2025年10月31日から11月2日にかけて、韓国春川市の翰林大学で開催された。発表者4人、司会者1人、討論者1人の構成で「東アジアからみた日本美術―外来文化輸入の再検討―」をテーマにパネル発表を行った。

 

古くから日本文化は外来文化の影響を受けてきた。特に近世までは、中国を中心とした大陸からの影響が強く認められる。しかしその受容は外部から日本へ、という一方的なものではなく、常に重層的な様相を示している。日本における外来文化の移植と変容の考察は、東アジアの中に日本を再定位することに繋がる。本パネルでは、主に飛鳥時代から平安時代までの日本の美術が外来の影響を受け入れる独自の姿勢に焦点を絞った。発表する4人は中国、台湾、日本の若手研究者で、それぞれ彫刻、絵画、書法、染織の作例を取り上げ、東アジアという広域の視点から、外来文化の輸入における日本の主体性を議論した。

 

本パネルは2日目の最初のセッション(9:00〜10:30)で、司会は武瀟瀟(東京文化財研究所)が担当し、討論者には王雲教授(中央美術学院人文学院)を迎えた。発表は時代順に決めた。馬歌陽(復旦大学):「5~7世紀弥勒菩薩像の坐勢についての再考―東アジアの半跏倚坐像を中心に―」。廣谷妃夏(東京国立博物館):「日本製緯錦の特質に関する一試論」。閻志翔(京都大学):「神変からみた東大寺大仏蓮弁線刻画」。陳雪溱(東京大学):「桓武・嵯峨朝における王羲之受容論再考―入唐僧の請来書跡との関わりから―」。

 

馬歌陽氏は5〜7世紀東アジアにおける半跏倚坐の弥勒菩薩像を取り上げ、思惟相と施無畏印という2つの主要な表現型の成立を検討した。日本・朝鮮半島・中国およびインドの造像例を考察した結果、思惟相の弥勒像は、インドのガンダーラやマトゥーラ地域から伝わるもので、当初「弥勒」と直接的に関連するものではなかったが、後に東アジアにおいて弥勒菩薩としての意味を帯びるようになった一方、施無畏印の弥勒像は、中国において初めて弥勒菩薩と結びついた形態である可能性が高く、6世紀半ば頃現われるようなったと指摘した。いずれも弥勒菩薩の成道への道程や、内面的な修行、または衆生を救う誓願を示しており、これらは、単に一つの固定的なイメージではなく、複数の側面を持つ多義的な存在としての弥勒を反映していると述べた。

 

廣谷妃夏氏は7世紀以降、東西ユーラシア大陸全体に広まった緯錦(複様綾組織緯錦)に着目し、特に日本製緯錦の特質を検討した。奈良時代、錦綾などの高級織物生産は律令制に組み込まれた。法隆寺や東大寺正倉院に伝わった染織品の中には、中国からの輸入品のほか、この日本製の緯錦が多く含まれているとみられ、先行研究では、主に紋様表現や類例の多寡から判別されてきた。廣谷氏は日本古代の錦類を調査した成果をもとに、ユーラシア大陸の東西の出土品との比較を行い、紡織技術の地域的差異により、同じ複様綾組織緯錦であっても糸質や表現の細部は異なると新たに指摘した上で、日本製緯錦の特徴を明らかにした。

 

私(閻志翔)は東大寺大仏台座蓮弁の請花に刻まれた線刻画(天平勝宝8歳〔756〕8月から翌年正月までの間に制作)を取り上げ、図様の典拠を考察した。蓮弁線刻画の図様が『梵網経』に説かれる世界観とよく一致しており、鑑真来朝に伴う『梵網経』重視の影響が及んでいると早くに指摘されたが、本発表は、蓮弁線刻画の独特な図様を『華厳経』「十地品」に説かれる第十地に至った菩薩の神変によって新たに解釈し、第十地の菩薩の神変と『梵網経』の世界観が蓮弁線刻画に重層的に表現されていると述べた。そして、このような日本における『梵網経』受容の独特な様相は、東大寺の華厳思想の底流とされる「十地思想」を背景としたものであると指摘した。

 

陳雪溱氏は平安前期における王羲之書風の受容と変貌について再考した。平安時代の桓武・嵯峨朝における入唐僧の請来品や正倉院の出蔵記録といった史料に基づき、現存する尺牘、銘文、勅額、仏教関連文書などを照合・分析することによって、空海と最澄が請来した書跡や拓本は初唐期に規範化された様式に関連しており、特に王羲之様式については、唐代宮廷において集積された王羲之遺墨を基盤に再編集された「集王行書」様式の作品が請来品に含まれていたと推察した。一方で、東アジア全域を視野に入れ、平安前期における天皇権威と文化的受容の関連性について多角的に分析し、唐代から伝来した書風の展開や王権形成の過程における規範の在り方を明確に示した。

 

発表後、王雲先生がそれぞれにコメント・質問した。馬氏に対しては、発表で取り上げた弥勒像の坐勢は一般的に「半跏坐」と呼ばれているが、今回の発表で弥勒像の坐勢を「半跏倚坐」と呼ぶ理由について説明を求めた。私には「神変」に関する仏教思想史の研究成果をそのまま援用するのではなく、今後は仏教原典に基づき、美術史の視点から「神変」に対する全面的な考察を進めてほしいとコメントした。廣谷氏には、日本製の錦の糸質が異なることは理解したが、地域ごとに糸や技術に傾向が見られる点にはどのような背景が考えられるか、地域により異なる根拠は何であるか説明を求めた。最後の陳氏に対しては、正倉院所蔵の光明皇后「臨楽毅論」は、一般に知られている王羲之拓本の典型的な書風とはやや異なっており、両者の関連性が分かりにくいように思われるが、それらの異同について、具体的な説明を求めた。後半は王雲先生からのコメント・質問に対して、発表者がそれぞれ答える形で自由討論が行われた。

 

最後にフロアからのコメントも受けた。当日、会場には東北大学特任教授の長岡龍作先生がいらっしゃった。長岡先生からは、各発表では「作品と人との関係性」が見えないとの指摘があり、今後、「この作品は私に何をしてくれるか」という視点から、研究を進めてほしいとのご助言をいただいた。

 

本パネルは古代の日本美術を中心に、彫刻、絵画、書法、染織という多様な研究領域から日本美術にみられる外来文化の輸入を再検討した。若手研究者らは新たな成果を提示し、有意義な発表会となった。終了後、王先生、長岡先生を囲んで参加者全員が会場内に設けられたカフェで議論をさらに深めることができた。また、午後に全員で国立春川博物館を見学できたことも有意義な時間となった。

 

当日の写真

 

<閻志翔(えん・ししょう)YAN Zhixiang>

中央美術学院人文学院美術史専攻学士、東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻日本・東洋美術史研究分野修士、同大学院美術研究科美術専攻芸術学研究領域(日本・東洋美術史)博士。2021年4月〜2023年9月、日本学術振興会特別研究員(DC2)。2024年度渥美奨学生。現在、京都大学人文科学研究所外国人特別研究員。