SGRAかわらばん

  • エッセイ480:モハメド・オマル・アブディン「大学院生の苦悩」

    初対面の人間に「お仕事は何ですか」と言われ、「研究をやっています」と苦しまぎれの返事をすると、「大学の先生ですか」と詰め寄られ、「いいえ、大学院生」とあまり明かしたくない事実の表明を余儀なくされる。そうしたら、これまで熱心に聞いてきた相手が、落胆して、「あぁ、学生さんですね」と声のトーンを急降下させるのだ。   日本は仕事をしていない人間にとって居心地の悪い国である。将来研究者として社会に還元しようと思っていても、さすがに30代半ばになって学生を名乗ると、周囲の冷めた視線は見えずとも感じられるのだ。長くて孤独な作業の博士論文執筆に嫌気がさしてしまいそうな毎日。その上に、周囲の評価がわかると寂しい思いをしてしまうことは、多くの大学院生が経験していることではないか。   「何の役に立つ?」と思われている、私のような人文社会科学系の研究をしている身としては、なおさらその冷ややかな視線を感じる。そして、その冷たい視線は一般人の間の共通認識に留まらない。数か月前に、文部科学省は、国立大学の人文科学系の学部の見直しを進めることを宣言している。卑屈になっている私からみれば、この動きは「コストばかりかかって、お金になる成果物を出せない学問はいらない」を意味している。それでは、人文科学、または社会科学系の学問は本当に役に立たないのか。私の友人Hさんの研究を例に挙げて考えてみたい。   Hさんは30歳ぐらいの女性研究者で、専門は文化人類学だ。これぞ、おそらく文科省がターゲットにしている研究分野だろうと思われる。Hさんの研究テーマは、南スーダンのヌエール族の預言者の語りである。「へー」と言いたくなるような研究分野。いったいこの研究は、誰の何のためにあるものだろうかと思われても仕方ない分野だ。本人も、いつも研究テーマについて聞かれると、顔をひきつったまま、「ヌエールの預言者」について調べていますと答え、聞き手を圧倒してしまう。彼女は10年もこのことについて調査し続けており、南スーダンの僻地と思われる街に2年ほど住み着いて、粘り強く一生懸命ヌエールの預言者について研究してきた。そのために、学術振興会の奨励費、あるいは、民間財団の研究助成金を獲得している。彼女は、研究の重要性を認識しつつも、やはり周囲の冷ややかな視線を感じて、あまり積極的に研究内容について発言しようとしてこなかった。だが、ある出来事をきっかけに、彼女の研究の重要性が認識されることになった。   それは、2013年末の南スーダン内戦のぼっ発である。南スーダンがスーダンから独立した2011年以降、日本の自衛隊が南スーダンの国連PKOミッション活動の一環として送り込まれ、道路補修などの業務を展開している。自衛隊員の安全は、当然ながら日本人の最大の関心事だと誰しも思うだろう。そして、隊員の安全を保障するためには、当然ながら、現地の情報をいかに正確に獲得するかが重要なポイントであろう。自衛隊の活動が始まってから2年たった2013年12月に、デンカ族出身のサルファ大統領派と、ヌエール族出身の元副大統領のマチャール派が、首都などで軍事衝突し、その後、瞬く間に暴力が南スーダン全土に広がっていった。Hさんが研究の対象としてきた「ヌエールの預言者」らの語りは、まさに、ヌエールの人々を戦争に先導する大きな役割を担ったという見方もある。今回は、日本の自衛隊の隊員には被害がなかったが、仮に、犠牲者が出た場合には、きっと国民は「何であんな危ないところに派遣したんだ」と政府を攻め立てただろう。   何が言いたいかというと、自衛隊の派遣をする前に、南スーダンの専門家に、政府がもっときちんと南スーダンの現状について聞き取り、かつ意見を求める必要があったにも関わらず、「ヌエールの預言者」についてのHさんの研究と紛争の可能性の関連性について、政府などは気付いていなかった。要するに、彼女のこの地味な研究が役に立たないのではなく、その研究を活用する工夫や努力が政府などになかったということだ。   10年間以上、地道に紛争と関連の強いヌエールの預言者について調べてきたHさんの研究成果は、まさに、この時でなければ活用される機会がなかったかもしれない。たまたま日本の自衛隊がスーダンに派遣されなければ、彼女の研究の意義を理解してくれる人はいなかったかもしれない。   つまり、ことが起きてから研究するのでは意味がない。若い研究者が様々な分野で研究を積み上げて、初めて、その研究が活用される可能性が出てくる。仮に、実用化されなかったとしても、その研究成果が全く無駄かといわれると、そうではない。いま役に立たなくても、今後10年、20年、あるいは、もっともっと後に、いつかその研究が何かのために重要な参考となるかもしれない。だからこそ、国は、目の前の利益ばかり追求するのではなく、どっしり構え、研究に太っ腹になるべきではないかと思う。   それとともに、人文社会科学などの分野の研究者側も努力する必要がある。自分の研究の内容、または重要性について、国民に分かりやすく発信していくことが急務となっている。   ~日本政府へ~ 経済協力開発機構(OECD)加盟30か国のうち、教育機関に対する公的支出比においては、日本は最下位周辺をうろうろしている。これで良いのでしょうか?様々な分野の若手研究者が、自身の研究に劣等感を感じることなく、堂々と研究できる環境を国が作っていくべきではないのでしょうか?   「無意味な研究には金を出せない」と決めつけているようでは、先進国としてあまりに寂し過ぎます。限られた資金が、幅広い研究分野に適切に配分されるよう、国と研究機関の間で、もっと建設的な議論がなされることを切に願うばかりです。   尚、本エッセイはすべて私の主観に基づいて考えを述べたもので、科学的調査に基づいていないことをご了承ください。   <アブディン モハメド オマル Mohamed Omer Abdin> 1978年、スーダン(ハルツーム)生まれ。2007年、東京外国語大学外国語学部日本課程を卒業。2009年に同大学院の平和構築紛争予防修士プログラムを終了。2014年9月に、同大学の大学院総合国際学研究科博士後期課程を終了し、博士号を取得。2014年10月1日より、東京外国語大学で特任助教を務める。特定非営利活動法人スーダン障碍者教育支援の会副代表。   *本エッセイは、渥美国際交流財団の奨学期間終了時のエッセイとしてご提出いただいたものですが、執筆者の了解を得てかわらばんで配信します。     2015年12月24日配信
  • エッセイ479:李てい「無断撮影から考える子供の人権」

    品川駅で無断撮影の一部始終を目撃した。小学校の放課後の時間帯で、制服姿の私立小学校の男子生徒2人がホームで電車を待っていた。かわいいなあと思って、ホームを歩きながら、遠くから眺めていた。すると、子どもたちのそばを通りかかった2人の西洋人の女性が目に入った。彼女たちは子供の制服姿を珍しがって、スマホで男の子たちを真正面から撮ろうとしていた。子供たちはその行動に気づき、撮られないように後ろを向いたのだが、女性たちは目の前まで近づいて、バシバシと正面から写真を撮った。女性たちは嬉しそうに、お互いのスマホに収めた写真を見せ合いながら、はしゃいでエスカレーターに乗り、ホームを後にした。一方で、子供たちはどうしたらよいか分からない不安な表情で電車を待ち続けていた。   それを目の当たりにして、すぐにでも「やめなさい!」と叫んで止めたかったし、女性たちを追いかけて「写真を削除しなさい」と要求したかった。しかし、行動に移すことはできず、ただ素通りしてしまった。結局、何もできなかった。目撃者は少なくとも20人以上はいたと推測されるが、私も含めて、女性たちの行動を止める人は1人もいなかった。子供たちに「守れなくてごめんなさい」と言いたいくらい、罪悪感に襲われてしまった。   一瞬、自分自身が無断撮影された嫌な記憶もよみがえってきた。小学校を卒業した夏休み、北京の親戚を訪問した時、人生初の北京ダックを堪能することになった。大人2人と子供7、8人というやや変わったお上りさんのような組み合わせで、高級感のあるレストランに入った。値段があまりにも高く、北京ダックと僅かな料理しか注文できなかったが、私たち子供は素直に喜んでいた。やっと北京ダックが出され、一番盛り上がっている時に、どこからかフラッシュを感じ、外国の観光客に様々な角度から撮影をされていることに気づいた。外国人の目にどのように映ったのか、撮られた写真は外国のどこでどう見られ、何を言われるのだろうかと気になり、恥ずかしくて不快だった。しかし、誰一人やめてくださいと抗議する勇気がなく、気まずい雰囲気の中、気づいていないふりをするしかなかった。   20年以上も経った今も、子供の無断撮影がまだ続いているんだと感じた。人権が叫ばれて久しい今日において、子供の人権に対する意識がまだ高くないことを垣間見ることとなった。   近年、インターネットの発達で、SNSなどで無断撮影ないし盗撮した写真がアップされるようになってきた。地域や国も違えば、使用許可がなくてもばれない、問題にはならないだろうというのは、当事者の心理かもしれない。写真自体がいくら自慢できたとしても、無断撮影や盗撮という行為は許されるものではなく、人にどのような印象を与えてしまうのか要注意ではないだろうか。写真の悪用はないにしても、子供を尊重しようとしない態度と行動はやめてほしい。   単に無断撮影だけに過ぎないということで、看過されてしまうのはどうかと思う。また、外国人だからそこまでの語学力がないというのも言い訳にすぎない。無断撮影ではあるが、たまたま外国人が異国のことを珍しがって、記念に残したいという気持ちを理解できなくもない。それにしても、本当に写真を撮りたいのであれば、大人であれ子供であれ、簡単な言葉かボディランゲージで許可を取ってから撮るようにしたい。そうすることで、お互いに素敵な思い出になるし、相互尊重のできる社会づくりにも貢献できるだろう。   ------------------------------------- <李てい(り・てい)Li_Ting> 早稲田大学大学院日本語教育研究科博士後期課程在籍。中国の曲阜師範大学で日本語教員として4年間教鞭をとり、2009年キャリアアップのため来日。 -------------------------------------   2015年12月17日配信
  • エッセイ478:マックス・マキト「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」

    ハロウィーンの夜、コスチュームなしの普通の格好で、今西さんを囲んで渥美財団一期生4人(Jin、Shi、Yaku、Max)が新宿の中華料理店に集まった。3人は悠久の歴史をもつ中国大陸から、1人は東アジアの若き島国のフィリピンから来て、20年前に渥美財団で出会った。今回は北京に住むJinさんが来日していることがわかって、今西さんが東京に住む同期生に呼びかけてくれた。   混雑する店内に4時間も居座り、健康や子どもの教育など話題は尽きなかった。集まりに行く前に僕の頭に浮かんだことは、言うまでもなく現在進行中の南シナ海の領土問題である。中国やベトナムやフィリピンなどが南沙諸島(SPRATLY_ISLANDS)の領有権を巡って争っている。実効支配を図るためにどの国も島々に建設を進めてきた。ただ、この数年間に中国は軍事基地としても利用できる埋め立て建設を急ピッチで進めており、地域外の先進国まで巻き込まれて、緊張感が高まっている。   ビールと紹興酒が少し進んだところで、この話題が取り上げられた。12.5%中国系である僕は今のフィリピン政府の強硬姿勢を批判し、中国がいかに好きかについて話した。中国人と結婚している親戚もいる。この夏、フェイスブック上でこの問題について熱い議論をしたことがあった。僕は一所懸命理性的な議論を促したが、フィリピン人の大半は、やはり凄く中国に脅威を感じ、アメリカや日本などの域外先進国の支援を大喜びしている。   実は、僕は、以前、米国などの軍事存在がなくても東アジア地域が繁栄できると信じていたときがあった。フィリピンの反共政策に影響を受けた中国脅威論の中でずっと育てられた僕にとっては、自分でも意外なことであった。   しかしながら、ハロウィーンの夜に中国の友達にも話したように、中国は最近、南沙諸島を両手で掴みとろうとしているが、その砂は指の間から溢れでてしまっている。昨年バリ島で開催した第2回アジア未来会議での基調講演に対して、僕は、「中国は可愛いパンダから凶暴な龍に変身した」とコメントした。つまり、東アジアの団結は僕も心から望んでいるが、それは互いに尊重する友好関係に基づかないと成り立たないと思うのだ。数学が好きなShiさんもこの中国の行動について疑問を述べていた。   20年前と一番変わっていないYakuさんが、SGRAの「良き地球市民の実現」に言及し、最近、地球市民の理念が弱くなってきているのではないかという心配を分かち合ってくれた。僕はすぐに反応して、こんな時代だからこそ、この理念をもっと大事にして発揮しなければならないと言った。通じたかどうか、わからないが、本当に僕はそう思っている。僕らに続く渥美奨学生たちが、このことをどのぐらい意識しているのか、ちょっと心配である。   来年の2月10日、SGRAフィリピンが、マニラのアテネオ大学で企画している第20回共有型成長セミナー(テーマ:Human_Ecology_and_Sustainable_Shared_Growth人間生態学と持続可能共有型成長)を開催すると今西さんが告知すると、お酒が一番強いJinさんが「行こう!行こう!」とみんなを誘ってくれた。その半分は10杯を超えるビールの勢いだったと思うが、とても嬉しく思っている。たとえ実現しなくてもこうやってみなさんと話せれば幸いである。   夜が更けてお別れの時間がきた。僕の頭によく残っている20年前からのイメージ変わらない、陽気で酔っ払いの同期の仲間のJinさんを、仮装した人々で溢れている東京の街で、その賑やかな人込みで迷わないように地下鉄に乗せるまで見送った。   -------------------------- <マックス・マキト ☆ Max Maquito> SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。SGRAフィリピン代表。フィリピン大学機械工学部学士、Center_for_Research_and_Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。 --------------------------   2015年12月10日配信
  • エッセイ477:李 鋼哲「【までい】の精神は生きている」

    「飯舘村の人々は原発被害に立ち向かって一所懸命闘っている。彼らは【までいの力】(「までい」とはこの地方の方言であり、漢字では「真手」と書く。両手を動かして頑張れば、いかなる困難も乗り越えられるとの意味)を発揮し、【までいの精神】でふるさとの再建に立ち向かっている。その精神に感銘を受けました。」これは、3年前(2012年10月19~21日)にSGRA(関口グローバル研究会)の第1回福島被災地ツアーのレポートに書いた感想文の一部である。SGRAはその後も毎年このツアーを催してきたが、私は都合がつかず、3年ぶりに再び被災地に入ることができた。今度のツアーは10月2~4日の3日間で、前回と同じように飯舘村に向かった。秋晴れの天候に恵まれ、有名な観光地へツアーする気分とさほど変わらない。違うのは、3年前に出会った菅野宗夫さんご家族と村人達、そして田尾さんたちの「ふくしま再生会」のメンバー達と再会できるという思いが、久しぶりに里帰りする気分にさせると同時に、被災地復興が進んでいるだろうとの期待感を抱きながら、福島駅からレンタカーに乗って飯舘村に向かった。ところが、被災地に近づき車窓から見えるのは、黒いビニール袋詰めの除染土が田んぼの真ん中に並べられ、また積み上げられた、ゴミの野原ばかりであった。「あのゴミ袋はどうするのですか?」と田尾さんに聞いたら、「分かりません。国が莫大なお金を投入して除染作業を進めていますが、除染土を何処に処分するかはまだ決まっていないようです」。震災と原発災害で日本全国の原発稼働を一時期停止したが、除染土やゴミ処理の方法が見つからないまま進めていた原発を、政府は再開するという不思議な暴挙。国民が怒っていても無視される日本の政治。除染土の処理方法が見つからないまま、やたらに莫大な規模(約3兆円規模だという)の国民の税金を使って、進めている除染作業。しかし、それは被災地の人々に復興の希望すらも与えない。被災地の人々の独自の復興事業には目も耳も貸さないで、ゾンビが野原をやたらに歩き回るような幻の「震災復興策」。日本国民の多数が納得しているのだろうか?里帰りの気分は吹っ飛ばされ、心の中から怒りが込み上げてくる。日本の政治、行政がここまで堕落していることを、改めて深く感じた。とはいえ、飯舘村に入り、菅野さんの家に着き、再生実験で栽培した黄金色の稲の田んぼと野菜栽培のビニールハウスを見たら、なんとか里帰りした気分になった。そして、被災地がわずかでありながら復興に向かっていることを確認できた。近くの田圃や畑には「ふくしま再生の会」の飯舘村再生モデル事業の「イネ栽培実験田」がある。実験用で栽培した稲が3年前は田圃に干され、それはただの実験用に提供されるものだったが、今度は、その稲刈り作業を皆さんと共同で行うこともできた。我々が刈った稲(米)は、検査を受けて安全が確認されれば、仲間内での食用になるという。   昨年収穫された米も、検査の結果は基準値以下で安全性が確認されている。今年も検査に合格して、12月になったら、われわれもこの米を食べられるかも知れない。 また、実験用ビニールハウスでイスラエルの技術である「点滴水耕栽培」で作られた菜っ葉類をご馳走になった。この「点滴栽培」による菜っ葉作りも見事に成功して、通常の基準値以下の放射線量をクリアーし、安全性が確認されているそうだ。   全国または外国では、未だに風評被害で福島産の農産物が敬遠されるなかで、我々は何の心配もなく、被災地この飯舘村で作った米と野菜を食べる日が、いつかくるだろう。多くの住民が避難し、他の地域に移住し、自分の故郷に戻って昔ながらの生活ができない情況のなかで、ここ飯舘村の菅野さんたちの努力と「ふくしま再生会」の応援で一筋の希望の光が見えてきた。「までいの精神」は生きているのだ。百聞は一見に如かず。私だって、ここに来なければ、5年経っても10年経っても、福島産の農産物を絶対に口にしないだろうと、想像してみた。今では福島産でも平気で買って食べることができるようになった。3年前と同じように、線量計を携帯し、ところどころで放射線量を測りながら回ってみた。原発事故の30キロ圏の近くの立ち入り禁止区域まで移動し、そこで測ったら放射線量は最高約25マイクロシーベルトで、3年前の最高31マイクロシーベルトに比べると若干下がっていた。雨や風などにより放射線量は土に染みこんだり、他の地域に飛んだりしていたということ。自分たちの方法で除染作業を行い、そこに農作物だけではなく、「桜の園」を作って、全国の支援者達にさくらの木を植えてもらい、毎年そこで花見ができるような事業を考えた金ちゃんの発想もユニークで魅力的だった。人間とは逆境に立たされたときにこそ、その精神力の強さが見えてくる。ここ飯舘村での「までいの精神」を再確認しながら、「里帰り」のツアーは終了した。来年もまた里帰りしてこの山の中で花見大会をしたいなと思いながら、「さようなら飯舘村!」。<李 鋼哲(り・こうてつ)Li Kotetsu>1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学経済学部博士課程修了。東北アジア地域経済を専門に政策研究に従事し、東京財団、名古屋大学などで研究、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、現在、北陸大学教授。日中韓3カ国を舞台に国際的な研究交流活動の架け橋の役割を果たしている。SGRA研究員。著書に『東アジア共同体に向けて――新しいアジア人意識の確立』(2005日本講演)、その他論文やコラム多数。★SGRAふくしまスタディツアー報告は下記リンクよりご覧いただけます。http://www.aisf.or.jp/sgra/active/news/2015/5388/   2015年12月3日配信
  • エッセイ476:宮野原勇斗「ふくしまスタディツアーレポート」

      飯舘村に行き農業をして、人と触れ合って、私が抱いた感想は想像していたよりもシンプルでポジティブなものだった。未来は明るい。素直にそう感じたのだ。「あるいは自分が被災していた側かもしれない」湊かなえの『絶唱』という本を読み、“被災者”という言葉の持つ偶有性に気づかされた私は、飯舘村に向かう心持ち新たにした。“被災者”という必然的な事象は存在しない。“被災者”というラベルを見るのではなく、飯舘村の人、1人ひとりの持つ物語に想いを馳せようと決めた。そして、たくさんの人に出会った。帰村が実現した後の飯舘村再興のために、“ふくしま再生の会”による自主除染後の水田で水稲を育て、その有用性を検証している宗夫さん。古くからの農家の知恵も活かしながら、放射線性物質という現代の科学技術から生み出された負の産物に打ち勝ち、自主除染を成功させた。(しかも彼の作る米は安全というだけでなく、これがまたとても美味しいのだそうだ。)「次の世代に何を残すか」朗らかな笑顔で話しながらも彼の瞳には強い想いが宿っていた。ピンク色のコルチカムという花が咲き乱れるなかで、金一さんは語った。「水芭蕉、水仙、桜…四季を楽しめるハナゾノをいつか作る。」彼は、再生の会のマキバのハナゾノ計画の中心人物だ。飯舘村を美しい花溢れる村にすることで、村に帰ってきた人々や訪れた人々の心を豊かにする。ボランティアや支援者たちが桜に思い思いの名前を付けてハナゾノに植樹している。その苗木たちはまだ細かったが、飯舘村の豊かな復興への第一歩を象徴しているようにも見えた。「21世紀の地球におけるフィロソフィを作り上げよう」再生の会の目標をそう語った理事長の田尾さん。彼の目指すところは飯舘村の復興だけにとどまらない。科学者、物理学者としての視点から放射線汚染の問題に挑む彼の視界は世界に、未来に広がっていた。放射線による汚染問題、環境問題、農業、地域活性化…彼は飯舘村の復興を通して現代社会の様々な課題を解決の糸口を模索している。「財政や産業の復興だけでなく、豊かな文化の復興をしたい」稲刈りが終わった収穫祭の席で、村民やボランティアに向けて復興の展望を述べた東京大学院生の聡太さん。彼は将来飯舘村の村長になりたいという。夢に燃える彼を見守る周囲の目はとても温かく希望にあふれていた。ふくしまスタディツアーに参加して、学んだことは数多い。被災地の現状はもちろんだが、放射線による汚染問題や復興の方向性、今後の農業のあり方など、復興のその先を見据えた視界を一部分ではあるが共有することができた。また、同ツアーに参加した渥美国際交流財団の外国人研究者の方々と話す中で、日本人以外の人の意見や様々な学問分野の知見等を得ることもできた。実際に再生の会の方々と協働作業をすることも多く、稲刈りを始めとする農業の大変さや収穫の充実感も体験的に実感することができた。これから社会に出て働く私に多くの刺激と縁と、未来を担っていくものとしての責任感を与えてくれた本ツアーに感謝したい。飯舘村、そしてそこで出会った人々が感じさせてくれた未来と希望を必ず社会に還元していきたい。<宮野原勇斗(みやのはら・ゆうと)MIYANOHARA Yuto>大阪大学 人間科学部 人間科学科 臨床死生学・老年行動学講座学部4回生。伊藤謝恩育英財団奨学生。宮崎県出身。 ★SGRAふくしまスタディツアー報告は下記リンクよりご覧いただけます。http://www.aisf.or.jp/sgra/active/news/2015/5388/   2015年12月3日配信
  • エッセイ475:謝 志海「中国の一人っ子政策廃止で思うこと」

    自国を離れて暮らすことは、文化も言葉も違うので容易ではない。しかし良い面もある。それは自分の国を客観的に見ることができるという点である。先日中国が一人っ子政策を中止した。日本の新聞、テレビでもトップニュースで取り上げていた。そして思い出した。中国人留学生としてはじめて海外(日本)で暮らし、日本人や様々な国籍の人と触れ合いはじめた頃のことを。中国がしている政府による人口のコントロールを、はじめて彼らと一緒に客観視することができたのだ。外国人にとってこの政策がどれほど異質に映るのかと気付くのに、正直少し時間がかかった。   私の場合、一人っ子政策がすでに履行されていた80年代前半に生まれたので、周りが一人っ子であることに違和感も疑問もなかった。実際のところ、自分の国、中国が世界で唯一、一人っ子政策をとっているという意識すらなかったのだ。中国以外の国では家族計画は個人の意思で決めることができる。こんな大きな違いを、さして気にもせずにいたとは。これは何というか、今思えば恥ずかしいような気分だ。留学生時代は時間があれば、日本語や英語で書かれた一人っ子政策に関しての書物や記事をたくさん読んだ。   驚くべきことに、英語の言説は、一人っ子政策にともなう中絶の増加や、男性が多く女性が少ないという性別のバランスを欠く結果となった中国社会を痛烈に批判し、一人っ子政策が失敗だったとまで言い切っている。特に妊娠中絶の強制を深刻な人権の侵害であるとし、すぐに止めるべきだとの声も多い。さらに驚いたことは、これらはヨーロッパやアメリカ在住の中国人によって書かれたものが多かったことである。私には、まだその頃、自分の国で起きていることを直視し、言葉に書き出す勇気がなかったので驚きもひとしおだった。しかも、それらの英語で書かれていることは誇張ではなく、農村まで出向き取材し、事実に基づいて書かれている。私が住んでいた農村でも予定外に二人目の子どもができてしまった人々の苦悩をよく耳にしたりした。二人目の子を持つ家庭に課せる罰金も決して安くない。本や論文で、中国の一人っ子政策を失敗だったと嘆く中華系学者たちは、中国国外へ出てこの異様な政策に感情を揺さぶられ、研究をはじめたのだろうか?   もちろん中国国内の人口学者も以前から、一人っ子政策を続けることによる労働人口の減少や高齢化を憂慮し、政策変更を訴えてはいた。経済学者たちの中でも、一人っ子政策が高齢化を引き起こし、国が豊かになる前に経済が減速するという見解は多かった。しかし地方都市や農村では、一人っ子政策違反の罰金が地方政府にとっての捨てがたい大きな収入となっていたり、学校などを増やすことの負担への懸念などで、対応は遅れていた。そうこうするうちに、都市部では一人の子に教育費等お金をかけて育てるスタイルが定着してしまった。2013年には、夫婦のどちらかが一人っ子なら、二人目を持つことを認められた。しかし、こちらは人口増加にさして変化が見られなかったようだ。たった2年で一人っ子を完全に廃止したことが答えだろう。   中国国内では一人っ子政策廃止のニュースを遅すぎたと冷ややかに受け止められている。我々80、90年代生まれは唯一の一人っ子世代となってしまった。これまで罰金を払った多くの人にとっても、今さらという感じだろう。ジャパンタイムズの2015年11月6日付、裴敏欣(Minxin Pei)氏の記事の最後の段落に「単純に、一人っ子政策が二人っ子政策になっただけ」とある。そう、あくまでも二人までという制限。一人っ子政策の廃止は国民に自由をもたらすものではないのだ。世界最大の人口国、中国の今後の動向を引き続き世界が固唾を呑んで見守るだろう。   <謝志海(しゃ・しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。     2015年11月26日配信    
  • エッセイ474:アブディン、モハメド オマル「2015年スーダン総選挙・大統領選挙からアフリカでの選挙の意義を問い直す」

    調査期間:2015年2月4日から3月26日 調査地:スーダン共和国ハルツーム   今回は、2015年4月に実施されたスーダン総選挙、大統領選挙に向けた各勢力の動員戦略に焦点を当てることが調査の大きな目的であった。特に、選挙キャンペーンの状況と各種政党のマニフェスト分析を調査対象の中心とした。選挙キャンペーンが始まる前、2月4日にスーダンへ渡航した。選挙キャンペーンが始まる2月中旬に向けて、毎日の新聞チェック、ラジオ、テレビのニュースや討論番組の視聴が欠かせなかった。さらに、政治家、研究者、ジャーナリストなどへのインタビューも重要な調査活動の一つであった。   しかし、私が調査地であるハルツームに到着すると、主要な野党の選挙ボイコットが確実となってしまっていた。調査する身として、何のために来たのかなと失望を覚えたが、念のためそのまま続けることにした。   まず、スーダン政治に詳しい研究者、ジャーナリスト、および若者への非公式なインタビューを通じて、今回の選挙の意義を問うことができた。しかし、5年前の2010年の選挙と比べて、インタビューの対象者は、匿名での取材を希望したり、慎重に発言したりしていると感じた。それは、政権が選挙キャンペーンに合わせて、締め付けをし始めたからである。   さらに、選挙キャンペーンの観察を通じて、与党の政治動員戦略に関する情報を手に入れることができ、それを分析して、現在論文にまとめる作業をしている。   さて、野党が不在ならば、はたして選挙キャンペーンの分析は意味のあることだろうか。最初はそう思ったが、野党の不在が、逆に現政権にとって思いがけぬ形で負の影を落としたといえる。   ◇選挙の正当性   特定の候補者の支持者が車列を作ってクラクションを鳴らしながら、候補者の宣伝をする姿は、過去に実施された複数政党制選挙の特徴だったともいえるが、今回の選挙においては、このような華やかなパフォーマンスが確認できなかった。選挙キャンペーンも、街頭演説もほぼ確認できなかった。   さらに、私が20名程の有権者に対して「投票する?」と聴いたところ、投票に行くという有権者は1名にとどまった。   以上のことから、今回の選挙が正当性を得られなかった原因は二つあると考えられる。一つ目は、2010年4月の選挙に勝利して大統領に再選されたバシール大統領は、2015年の大統領選挙に立候補しないと国民に約束したにも関わらず、2014年10月に、「国民の声に応えるよう、再度立候補する」ことを発表した。そのことが、国民の間でバシールへの信頼性に大きなダメージを与えたと考えられる。   二つ目は、2011年7月の南スーダン独立以後に、石油収入の激減の結果、スーダンの人々の暮らしが逼迫して、政府に対する不満が、若者を選挙ボイコットへと導いたといえる   ◇分裂の危機   今回の調査の間、発行される新聞の選挙報道を毎日チェックしていたが、そこで以下のようなことがわかった。   野党の完全ボイコットが、政権党である国民会議党(NCP)内の足並みがそろっていない現実を露呈した。党内の意見の衝突がもっとも明らかになったのが、NCPの州知事の任命を巡るグループ間の意見の不一致である。   そもそも、2005年に制定された暫定憲法において、州知事は直接選挙で州民によって選ばれることになっていたが、NCPの州支部が党本部に推薦する候補者は、必ずしも党本部が予定していた候補者とは一致していなかった。州支部の推薦を受け入れれば、その分地元志向の強い知事が誕生してしまう。党本部の支持に完全には従わないことが党本部にとって懸念材料の一つであった。一方では、党本部が、別の立候補者を公認してしまうと、選挙における州支部のサポートを得られず、NCPの候補者が落選する可能性が高まるので、党本部は厳しい選択肢を迫られていた。   実際に、2010年の選挙以降、NCPの党本部の支持に背く州知事が多くあらわれ、大統領が憲法に反する形で知事を更迭したり、州の再編を行ったりして、党本部の考えに近い人物を、更迭した知事の後に据えるケースが紅海州、ゲジラ州、および、ダルフールの三つの州で見られた。   2015年選挙に先立ち、NCPが大多数派を占める連邦議会が、これまでに選挙で選ばれた知事を大統領任命制に選挙法を変更したことが、NCPの本部と地方との不和を物語っている。   ◇選挙の結果   私は3月中に調査を終えて日本に帰ってきたが、4月中旬に実施された選挙は案の定、バシール大統領の94%の支持率による再選と、NCPとともに与党を形成していた小政党の連合の圧勝に終わった。投票率は46%と選挙管理委員会が発表したが、この数字は多くの専門家によって疑問視されている。   ◇終わりに   選挙の意義は、国民の真意を問うことであるが、近年アフリカ各地でも見られるように、現職による選挙プロセスの操作、不正、野党政治家への暴力が、選挙本来の意義に大きな疑問を投げかけている。スーダンの選挙キャンペーンを通じて、ここでも、同じ傾向がみられたことを報告する。民意を反映しない選挙は、税金の無駄遣いだけといっても過言ではないが、このような選挙の結果でも、結局、国際社会は容認している。そのことは、現職による選挙操作に拍車をかけている。もう一度、アフリカにおける選挙の意義を問い直す必要が出てきているように思う。今後とも、学術雑誌において、積極的に論文を発表していきたいと思う。     <アブディン モハメド オマル Mohamed Omer Abdin> 1978年、スーダン(ハルツーム)生まれ。2007年、東京外国語大学外国語学部日本課程を卒業。2009年に同大学院の平和構築紛争予防修士プログラムを終了。2014年9月に、同大学の大学院総合国際学研究科博士後期課程を終了し、博士号を取得。2014年10月1日より、東京外国語大学で特任助教を務める。特定非営利活動法人スーダン障碍者教育支援の会副代表。   *本エッセイは、渥美国際交流財団の海外学会参加等奨学金の報告書としてご提出いただいたものですが、執筆者の了解を得てかわらばんで配信します。     2015年11月12日配信
  • エッセイ473:謝 志海「アメリカに見るスピード感:同性婚の容認」

    アメリカ連邦最高裁判所は2015年6月に同性間による結婚を認めた。すなわち同性婚は全米50州と首都ワシントンで合法となった。この判決は、アメリカだけでなく、世界中で大きな反響を呼び、ソーシャルネットワーク(SNS)上ではLGBT(性的少数者)の象徴である虹色を自身のプロフィール写真にスクリーンカラーとしてのせる人がたくさん現れた。ホワイトハウスが虹色にライトアップされた写真も同性婚容認のニュースと共に世界中に配信された。この写真を見て、私は米国民と政府の距離に親しみを感じた。法の改正をホワイトハウスそのもので表わす。国民にとってとても伝わりやすい。このような光景を日本や中国で見られる日はいつ来るだろう。アメリカの多様性の受け皿の大きさを痛感する。アメリカという国を少しうらやましく思う。そしてこの判決は単に同性婚が認められたという一つの事実以上にたくさんの事を教えてくれる。   まず始めに、この同性婚容認で一番感心したのは、アメリカ政府が世論の急速な変化に対応したというスピード感だ。2004年にマサチューセッツ州で初めて同性婚が認められたが、保守的な州では根強く同性婚禁止が制定されていて、後が続かなかったイメージだったのに。単にオバマ大統領が同性婚の支持を表明したからというだけではない。何かもっと大きな目に見えないものに動かされた判決のような気がする。先述の通り世論の変化だ。   アメリカではドラマの中でLGBT役の人物がよく登場する。大抵はそのドラマを面白くするキーパーソンとして、まるで自分の周りにもこういう友達がいればいいなと思わせるキャラクターが多い。主役でも悪者役でもなく、物語に自然に溶け込んでいる。ドラマの中ではLGBTが「普通」に存在している。日本や中国のドラマを観ていても遭遇しない登場人物達だ。また実生活でも俳優に限らず有名人がLGBTであることをカミングアウトしている。勇気ある行動だと思う。このようにアメリカでは法で認められるよりずっと前からLGBTの存在が大きくなってきている。政府がその「普通」な存在を見逃さなかったことは、LGBTの人に限らず、アメリカ国民にとって大きな意味があるのではないだろうか。   もちろんアメリカが同性婚容認に傾いたのはメディアや有名人のカミングアウトだけでない。アメリカの大企業が同性愛者をはじめ人種差別などの社会問題に関わりはじめたことが大きい。今年3月の最高裁に提出した意見書には379の企業・団体が名を連ね、国際的有名企業も含まれている。同性婚容認は、大手企業の(社会問題に関わろうという)姿勢の変化が政府にちゃんと届くのだ、ということを証明したとも言えるのではないだろうか。もちろん、企業はあらゆる層の顧客を獲得しなければならないし、政治家は票が欲しいから同性愛者を支持するまでだという見方もできる。一理はあるだろうが、企業が世の中の変化に対応して、社会問題を経営のテーマに取り込むことは、利益ばかり追うだけよりもずっとよいことではないだろうか。   経済学や政治学というサブジェクトにとどまらず、それらに同性愛者、人種差別、男女の賃金格差等の社会問題が含まれることは、広い視野で物事をとらえるチャンスであり、今の時代には必要なことだろう。日本版ニューズウィークの2015年7月14号によると、実際のところ、アップルやウォルマート(米国小売最大手)のような大企業はできるだけ多様な人材を雇い、消費者の変化に対応しようとしているそうだ。大手企業が始めると世の中のトレンドになってゆくので影響は大きい。従業員を雇う際、人種どころか同性愛者を差別していては優秀な人材を見逃すかもしれない。その優秀な人材がオープンな社風の他社に採用されてしまったら?世の中の変化に敏感になっておくことは経営のリスクを避けることができるのだ。同性婚支持の意見書に署名した企業の一つであるゼネラル・エレクトリック(GE)のCEOジェフ・イメルト氏は(LGBTについて)「ビジネスの観点で言えば、ダイバーシティは競争力であり、文化そのもの」と言う(日経ビジネス_2015年8月24日号より)。   もう一つ、アメリカらしいエピソードとして、政治家と国民の距離が近いと感じた瞬間を紹介したい。日本経済新聞2015年8月4日の記事「同性婚容認_米の変化」の中に、同性愛を公言する人が増えたことも世論に大きな影響を与えたとして、例を挙げている。同性婚禁止派のブッシュ政権時代のチェイニー元副大統領は、次女が12年に女性パートナーと結婚し、容認派に変わった。オバマ氏が同性婚支持を表明した理由も、娘からの抗議がきっかけ。娘の友人の両親が同性カップルで、「(同性婚禁止は)納得できない」と娘に言われたのだという。このような政治家、ましてや現職の大統領の私生活からのエピソードがアメリカ国民どころか、海を越えて日本の新聞にまで掲載されるとは。日本や中国の国民にとっては、首相や国家主席のプライベートな部分は知る由もないのだが。   世論の変化のスピードに国が追いつき、国を変える。日本や中国では国民の声が政治家に届くと国民が実感できるのはいつになるだろう。大国ゆえ解決すべき問題が山積みのアメリカ。同性婚が全州で合法にはなったものの、アメリカは州や裁判所の管轄区によって政令が違うので、LGBTに対する結婚以外の差別、例えば住居、雇用については完全に平等とはまだ言えない。引き続き、州や地方レベルで平等への戦いは続く。同性婚容認の流れに乗って、引き続き市民の声を吸い上げて欲しい。そしてそのムーブメントが今後アジアに影響を与えるようになるといい。   <謝 志海(しゃ・しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。     2015年11月5日配信  
  • エッセイ472:金 銀惠「飯舘村、再生のジレンマを乗り越えて」

    1.日本研究者として福島にどう向き合うべきか。   震災から4年半、SGRAふくしまスタディツアーも4回目になりました。   私は、2011年の渥美奨学生として、東北大震災以降の、日本国内外での大混乱を生々しく経験しました。それは、一生忘れられない経験でした。その年、「石巻の炊き出し」にも参加して、震災地の住民たちの力になりたいという気持ちも少しは晴れました。一方で「福島原発事故」には、如何なる形で向き合うべきかと悩みましたが、その頃は、直後の事故収束で緊迫していて、「再生」は、まだ私の心には響かない言葉でした。   私は、帰国して博士号を取得した後、「グローバリゼーション時代の東アジア都市の危機と転換」というテーマの研究チームで、共存とサステナビリティが可能な東アジアの都市を模索しています。勿論、他の日本研究にも関りながら、原発が生み出す「危険景観(Riskscape)」を巡る北東アジア(日本・中国・台湾・韓国)での対応や変化を分析しています。特に、私は、「福島原発事故以後、日本市民社会の変化と模索」の研究に集中しています。   2.2014年冬、 パイロットスタディ   私は、去年(2014年)12月に、初めて飯舘村を訪ねました。それまでも「福島の対応」に関心を持ちながら、マスコミ報道や資料を読み続けていました。だが、自分が現地で目の当たりにしたフレコンバックのピラミッドは、言葉に尽くせない凄まじい光景でした。2日間の訪問の中で「ふくしま再生の会」の田尾陽一さんが、最初の飯舘村民との出会いから、NPO法人に至るまでの経緯を詳しく説明してくれ、菅野宗夫さんは、事故直後の混乱から抜け出して、再生に向かう決意を語ってくれました。   何よりも私にとって印象的だったのは「科学技術への信頼回復」のために、被災した農民とボランティアと科学者が共同作業をする姿勢でした。   「反原発・脱原発」という言葉をよく使いますが、実際、現場で住民と手を組んで、一歩ずつ踏み出す団体は数少ないのが現実です。目に見えない放射能だからこそ、科学技術との連携が必ず必要です。その点で「ふくしま再生の会」は、世界最先端の科学技術者の集まりではないかと思いました。   その夜の交流会では、工学と農学・林学の研究者、そしてボランティアの方々が一緒に、原発事故の原因、事故収束などについて、激論が続きました。人災に近い原発事故。そこから立ち上がるため、農民の知恵と多様な専門の融合の中から生まれ出たアイディアを少しずつ実験して、そのプロセスや結果を世界に発信するという考えに、私も共感しました。特に、「農学(農業)の力で福島を再生したい」という熱い思いに感動し、自然の再生を生かす科学こそが、人を生かす学問になると思いました。雪が積もった寒い朝、管野さんの奥さんの千恵子さんから暖かい靴下を貰って、明大農学部が設置した「ビニールハウスでの作業」を手伝いしなら、「農学に才能がある」と褒められて、再生のための実験に少しでも力になりたいと思いました。   3.2015年秋、再参加と協働作業   今回のスタディツアーには、渥美財団の仲間や関係者など国籍や分野、性別も世代も多様なメンバー達と共に参加しました。ツアーの2週間前に「豪雨のニュース」を聞いて本当に心配でした。「再生の会」からのメールでは、「再生の会」の拠点である菅野宗夫さんのお宅の周りの道路は破壊され、実験用ビニールハウスから収穫前の田んぼまでが被害を受けたことも伝えられました。実際、行ってみたら、道路やビニールハウスは復旧されていましたが、力を注いだ田んぼの1/5位の稲は、降雨で倒れてしまっていました。   2日目の協働作業体験は、その倒れた稲を起しながらの稲刈り作業と収穫の祭でした。   慣れない農作業の途中、周りで落穂拾いをしている二人に出会いました。将来飯舘村長の夢を持つ若い世代の代表、佐藤聡太君は、不安や期待が交差しながらも、飯舘村の再生に熱い抱負を語ってくれました。もう一人は、千葉からのボランティアの方で、今回が2年目の「稲刈りへの参加」で、落穂をお宅に飾って「福島の再生」を祈念していると話してくれました。   正直、昨年初めて参加した時には、「再生」という言葉自体に大きな疑問もありましたが、今回は「再生の力は、人の力だ」と強く感じました。   「イネ(畑作)試験栽培」の田んぼの稲刈り作業の中で、「コオロギ、ミミズ、オケラ、お腹が赤いイモリ」まで生きていて、「こんなに多様な生き物の居場所でもあった」と日本語の名前や子供の頃の思い出なども話し合いました。「生命の居場所としての土地」を再生することが、本当の再生の第一歩だと再確認した瞬間でした。しかし、向こうの田んぼにはびこる雑草を除去する作業からは、一日中凄い音が聞こえていました。骨の折れる除染作業、私が出会った政府から派遣されている作業員も、みんな若者でした。こうした厳しい労働を「再生の喜び」と結び付ける政策は本当にないのかと思いました。   4. 厳しい現状を乗り越えて   しかし、「再生の念願」を無駄にしないためにも、幾つかの矛盾を考えたいと思います。 まず、直接に測ってみても「放射線量」はまだまだ高くて、場所や条件別に相当の差があり、その実態を乗り越える除染方法を政策に転換する制度改革が切実に求められているのです。東京に戻る新幹線の中ではTPPの交渉で、日本の都市消費者は、海外から安い食糧を輸入出来ることに喜んでいるというニュースが流れていました。   日本政府の無理な帰還政策だけではなく、厳しい現状に囲まれた「福島農業と住民に本当に役に立つ帰還政策の中身は何か」、「帰還した他の地域の問題(高齢者中心、訴訟など)と、飯舘村の帰還は、どのくらいの差別性をみせるのか」などを議論する必要があると思います。   最後に、国土面積に比べて世界で一番密集した「韓国の原発」、30km圏域だけで300万以上の人口が住んでいることを思い出しました。現在の日本が原発事故以降直面した厳しい現実から、挑戦しつつある科学的・社会的な実験をどのように活かすか、これからも飯舘村の再生の道に注目すべきだと思いました。     英語版はこちら --------------------------------------------------------------------------------------------------------- <金銀惠(きむ・うね)KIM Eun-hye> 韓国全州出身。ソウル在住。2013年に韓国ソウル大学社会学科より博士号(社会学)取得。専門分野は、都市・文化・日本社会学(メガイベント・世界都市論・開発主義)。現在、ソウル大学アジア研究所、SSK東アジア都市研究団選任研究員。最近は、東アジア都市の比較研究を発展させ、都市の危機を新しい転換の機会として模索している。SGRA会員。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------     2015年10月29日配信
  • エッセイ471:外岡 豊「JIフォーラム『戦後70年Ⅱ:歴史記憶と歴史認識を考える』に参加して」

    SGRAと関係が深い2名の講師、木宮正史氏(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授、韓国政治史)と劉傑氏(早稲田大学社会科学総合学術院教授、近代日中関係史)を招いて、構想日本代表の加藤秀樹氏がコーディネータを務めたJIフォーラムに参加した。 私は、フォーラムの最後の質疑応答の時に、劉傑氏の言う公共知の構築による国民的和解をネット上のプラットフォームを作って推進すべきであるという意見を述べたが、その後の交流親睦会において自分の発言が意に反して逆の意味にとられかねないことが判明したので訂正しておきたい。 東アジアの歴史を概観すると、中国ではアヘン戦争以来の混乱があり、韓国では朝鮮戦争で南北に分断されたままの異常事態が続いており、日本は明治維新以来、日清、日露、日中戦争、太平洋戦争と戦争が続き、敗戦になったが、それらの社会的混乱はすべて欧米列強の植民地支配をねらった進出がもとになっている。 台湾、韓国、満州での異民族地域支配を決して正当化できるものではないが、日本はペリーの黒船来航以来、欧米人の東アジアへの進出に対して、アジア人として対抗する必要があり、侵略戦争とされている度重なる戦争も、各地への進出も(少なくとも初心においては)アジアを守るための戦いであったと、はっきり主張すべきであるとの意見も根強い。 日本における戦後の歴史教育はアメリカに都合のよいように仕向けられて、すべて侵略戦争だとして説明され、それが日本人に自虐史観を植え付けてきたという説もある。これは敗戦後、アメリカ占領軍がかつての日本人の団結力を恐れ、日本が再び好戦的な国として立ち上がることがないように、民族の誇りを持たせないように、ゆがんだ歴史教育を強いて、それが今も続いているのだ、という。世界の世論調査で国際比較すると日本の若者は愛国心が薄弱、親を尊敬しない、自分に自信がない点において先進国中突出しているというが、これはアメリカの占領後の対日戦略の結果だとされ、こうした現状を打破して日本人の誇りを取り戻そうとする活動も最近活発化しているようである。私は積極分子ではないが、いろいろな考え方の人がいることを知るために、この数年その手の勉強会にも参加している。 歴史は常に時の為政者に都合の良いように書かれるものだとされるが、それでは国民感情としての歴史認識問題は解決できない。劉傑氏の提案のようなアジアの公共知としての歴史を構築するには、そのための客観的な、各国政治に影響されない共通歴史資料の蓄積が必要である。残念ながら日本人は歴史基礎知識が不足していて、近隣諸国占領の歴史を知らない人も多く、まして占領支配された側の苦しみを実感できるような知識も情報も不足している。 政府はどうしても政権に都合のよい歴史を国民に押し付け、外国にも主張しようとするが、現在のネット社会では政府とは無関係な市民間情報の共有ができるので、国境を越えた客観的な歴史資料を公共知の基礎として市民が構築すべきである。矛盾する様々な説があるだろうが、それらを互いに客観的な根拠を添えて主張し、誰にもわかりやすく説明し、その基礎知識を提供する役割が歴史学者に求められている。各国市民はそれらを見て、政府発表とは違う諸説があることや、各国に様々な見方があることを知り、それらを総合した客観的な認識を得ることによって、政府の歴史観のもとに市民間で対立していても意味がないことと実感し、自然にわだかまりが解けるような効果を期待したい。 一方、歴史認識問題を含め政府間の対立を解決するのは外交官の仕事であり、最近、日中韓でそれがうまくいっていない現実は、各国ともに外交官の交渉能力が低下しているのではないかと懸念される。 毛沢東は「存在が意識を決定する」と言い、政治に関与する者は各階層(特に貧農下層中農)の人民の立場に立って考えよと説いたが、それは、意識しないと、とかく自分の立場の限られた視点だけでものを考えてしまいがちだという指摘である。支配される側の他国民の立場や感情を日本人が想像することは難しい。 このことが念頭にあったので、発言の中で、「日本人は植民地にされた経験がないので韓国、中国、台湾の非支配者の立場を理解しがたい」と言ったが、無頓着な態度を反省なく肯定しているかのように受け止められかねない言い方であったと後から気が付いた。 それは講演後の懇親会で、日本も米軍に占領支配された経験があるではないか、と言われて、その人と話すうちにどうも誤解を招く発言であったようだと思った。確かに沖縄では多くの市民が犠牲になった。本土では爆弾を落とされて市民多数(原爆と東京大空襲だけで30数万人)が死亡したが、長期間の植民地支配を受けたわけではないので、支配された経験がないと言ってしまった。 しかし、考えてみれば、戦後70年の日米関係は、巧妙な支配でいまだ敗戦国から抜け出せていない。70年経っても米軍基地は残り、いつなくなるのか展望もないままである。アメリカはイラクを日本のように柔軟に支配して何でも聞いてくれる国にしたかったのだ、という説も聞いた。日本は隠れ植民地支配されているも同然と言うべきかも知れない。 ローマ法王は現代の企業は人から収奪し環境を傷めつけていると明言している。現在の先進国の企業活動は合法的に巧妙に利益吸収して、1%の富裕層が貧しい99%を支配しているという構図はトマ・ピケティーが指摘している通りであり、金融派生商品の発達や、会社の重役の持ち株の売却に際して、その税制がアメリカでも大きな不平等を生んでいるとの指摘もある。世界的に一部の人が彼らの利益追求のために国家にも影響力を持ち暗躍していて、実はそれが世界各地の紛争をあおっているとするうがった説もある。 世界を支配する一部の人達のあくなき利益追求の下でアジア人同士がいがみあっていても始まらない。共に協力してより多くの収穫が得られるよう努力してきた稲作協働文化社会であり、儒教社会でもある日中韓においては和解しやすい基礎は元来あるはずである。 皆さん御承知のように渥美国際交流財団ではまさに劉先生が提唱する公共知構築に寄与する国際的な研究会を各地で開催してきていることは関係者として誇らしいものである。渥美財団の奨学支援で育った優秀な人材が各地で活躍しており、彼らと共に人の輪を広げて、相互理解を深め、アジアが率先して互恵社会を作り上げて行けるよう、EUに負けないアジア経済社会圏を早く実現できるように期待したい。この勉強会はその一歩となる有意義なものであった。 <外岡豊(とのおか・ゆたか)Yutaka TONOOKA>神奈川県出身 湘南高校卒業、早稲田大学理工学部建築学科卒業、同大学院終了、工学博士 埼玉大学大学院人文社会科学研究科教授 早稲田大学招聘研究員、大連理工大学と西安交通大学の客座教授、元Imperial_College、Visiting_Prof. 建築学会地球環境委員会、同倫理委員会委員、低炭素社会推進会議(18団体で今年設立)幹事、森街連携会議代表、エコステージ協会理事、日本都市問題会議世話役他 専門分野は都市環境工学、環境政策、とくにエネルギーと環境のシステム分析 最近は気候変動対策評価研究を発展させて、持続可能社会について考察中 SGRA会員  <参考>JIフォーラム「戦後70年Ⅱ:歴史記憶と歴史認識を考える」共催報告 2015年9月28日、渥美財団評議員の加藤秀樹氏が主宰する構想日本のJIフォーラムを共催した。「事業仕分け」を始め、日本国内の課題について検討することが多い構想日本だが、国際的な課題も議論したいということで共催のお話をいただき、また、SGRAとしても国際的な問題をもっと多くの日本の方に考えていただきたいと思っていることから、このフォーラムが実現した。構想日本は7月に「戦後70年 戦前の昭和期に学ぼう」というフォーラムを開催したので、今回は、同じ時代を中国と朝鮮半島の方からみてみようということで、SGRAを長年応援してくださっている劉傑先生(早稲田大学)と木宮正史先生(東京大学)にお願いし、『戦後70年Ⅱ:歴史記憶と歴史認識を考える』というテーマが決まった。 劉先生は、1972年に毛沢東・周恩来と田中角栄・大平正芳が日中国交正常化した時の親密な写真と、昨年11月に安倍晋三と習近平がよそよそしい顔で握手をしている写真を比べ、日中友好の後退をビジュアルに示した。さらに、政治家だけでなく、両国の意識調査で80%以上の国民が、互いの国を嫌いだと言っていることに言及した。そして、近年中国の学会で歴史の再認識の動きがあることに触れたうえで、この状況を改善するためには、知的レベルの交流を推進し、日本研究においては、戦前も含めた日本の成功と失敗の経験をアジア全体で共有しうる公共知とする必要性を主張した。 木宮先生は、日韓関係は1965年の日韓基本条約で、それ以前の問題をきちんと解決できないまま締結したことが火種になっているが、現在の問題の背景には、垂直から水平へ(日本が旧支配国、経済発展先行国から平等な力関係へ)の日韓関係の変化があること、韓国の多様化、多層化に伴う韓国国内の対立が鮮明化していること、更には、批判を恐れて日本と妥協しにくい状況があることを指摘した。その解決方法として、日本は狭義の歴史問題に積極的に取り組み、一方、韓国は日本の取り組みを認めることで、日韓問題の「歴史問題化」を自制する必要がある、また、共に対中認識、対中政策における接近の可能性を追求すべきだと主張した。 モデレーターの加藤氏から、「歴史問題は、あまり細かいことにこだわらずに、大きく見るようにしたい」という前置きがあったが、両先生のお話はまさに現代史の大きな流れを俯瞰したものだった。アンケートにも「ディスカッションの通り、何が真実か分からず自分の意見が持ちにくいテーマです。こういう機会を増やし、少しでも真実に近づけるように、また個人の意見としてもはっきり言える考えが持てるようにしたい」というコメントがあり、主催者側の望んだ効果があったと思われる。「正義」とか「正しい」がでてくると窮屈になって自由な空間が失われる、外国はわからないが昨今の日本は確実に窮屈になっている、という加藤氏の指摘が印象に残った。当日ご参加くださった方、共催にあたってご協力いただいた方々に御礼を申し上げたい。 (SGRA代表 今西淳子)英語版はこちら 2015年10月22日配信
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