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エッセイ604:木宮正史「日韓関係の危機をどう克服するのか」

2019年6月末、G20大阪会議の開催直後、板門店で3回目の米朝首脳会談が行われた直後、その余韻も覚めやらぬ中、7月1日、日本政府は対韓輸出規制措置を発表した。当初は、そのタイミングからして、日本企業に対する元「徴用工」の損害賠償請求を認めた、2018年10月の韓国最高裁の判決に対して、有効な対策を提示できない韓国文在寅政権に対する「対抗措置」であるという見方が支配的であった。今後、日本企業に賠償を行わせるため在韓資産の現金化が強制執行され、日本企業に可視的な被害が及べば、韓国に対する「対抗措置」を日本政府が選択することは十分にありうることだと予想された。

 

救済を受けられなかった被害者の人権は回復されるべきだが、それは、1965年の日韓請求権協定という「国家間の約束」の枠内で行われるべきだろう。韓国最高裁は、協定の対象範囲を、協定の締結当事者の「立法者意思」よりも非常に狭く解釈することで、協定の「完全かつ最終的に解決」という文言による制約を乗り越えようとした。しかし、それは、韓国国内での支持は得られたかもしれないが、交渉当事者の一方である日本政府、社会の同意を得られたとは言い難かった。換言すれば、外交問題として取り組まざるを得ないものであった。したがって、交渉を通して日本政府や社会の合意を取り付けるのか、それとも、判決と協定の双方に違背しない何らかの妙案を提示するのか、ともかく韓国文在寅政権が取り組まなければならない課題であった。

 

しかし、判決以後の文在寅政権の対応は鈍かった。大統領自身が類似訴訟の弁護人の経験があり「日本企業が賠償すべき」との信念を持っていたのかもしれない。もしくは、それを大統領周辺が「忖度」したのかもしれない。日本の一部には、この判決の責任を文在寅政権に帰着させようとする見解も存在する。しかし、当該最高裁判決の「原判決」とも言える2012年5月の最高裁小法廷判決は、李明博政権末期に出されたものであった。朴槿恵政権は、その判決が確定することが日韓関係に及ぼす「破壊的影響」を考慮して種々の対応を模索したが、朴槿恵大統領の弾劾・罷免に起因して挫折を余儀なくされた。さらに、そこで試みられた行政と司法との調整が、文在寅政権下において違法な「司法壟断」とみなされ、最高裁長官の逮捕にまで及んだ。

 

韓国内では判決を日本政府に受け入れさせるように交渉するべきであり、日本政府や企業もそれに従うべきだという見方が強い。日本企業がその判決に従うのかどうかは企業自身の判断に委ねるべきだとは思うが、日本政府としては、やはり請求権協定における「完全かつ最終的に解決」という合意に反すると判断せざるを得ない。したがって、韓国内の司法手続きがこのまま進むと、それに対する何らかの「対抗措置」に踏み切らざるを得なくなる。

 

ただ、そうした日本企業の可視的な被害が生じる前に、今回、日本政府が「対抗措置」を採ったことはどのように正当化されるか。しかも、日本政府は、「対抗措置」であることを示唆しながらも、それを理由とすることは国際的な支持を得られないと考えたのだろう、表向きは重要な戦略物資やそれに伴う技術などが韓国を通して第三国(おそらく具体的には、北朝鮮や中国ということが念頭に置かれているのだろう)に違法に流出しているかもしれないと、安全保障上の理由を掲げて対韓輸出規制措置に踏み切ったと説明する。

 

日本政府の説明はともかく、日本企業の在韓資産の現金化に対する「予防的対抗措置」という側面は否定できない。この措置が韓国では「大騒動」を巻き起こしている。しかし、韓国から譲歩を引き出すのに効果的であるどころか、むしろ対日強硬論で韓国を「団結」させる結果をもたらしている。確かに、直後は、保守野党を含めて文在寅政権の対日「無策」が批判されたが、その後の推移を見ると政権批判は対日批判に掻き消された格好である。ある意味では、この一連の「騒動」の原因となった「徴用工」判決の問題がどこかに吹っ飛んでしまい、「日本が意地悪な脅しを加えて韓国を屈伏させようとしている」と韓国社会では受け止められている。韓国における日本製品の「不買・不売運動」の背景には、日韓の歴史的経験に起因する「反日感情」というよりも「弱い者いじめは許さない」という「素朴な正義感」が存在するようだ。

 

さらに、単なる「便法」ではなく、本気で韓国を安全保障上の「問題国家」とするのであれば、それは日本の外交や安全保障にとって、従来の立場とは異なる相当に大きな転換である。確かに、安倍政権は、「韓国とは市場経済と民主主義という基本的価値観を共有する」という表現を政府文書からわざわざ削除したり、日本外交における韓国の優先順位を下げるような表現を使ったりして、日本の外交や安全保障における韓国の位置づけを再考する、換言すれば「日韓関係の『再定義』」とでも呼ぶべき政策指向を見せてきたことは否定できない。そして、その証左として、韓国が同盟国との関係維持よりも対北朝鮮政策に前のめりになっていること、さらに米中対立の構図の中で曖昧な立場を示していることなどを示唆してきた。しかし、もしそうであれば、韓国に対してはもちろん、日韓が同盟を共有する米国、さらには日本国内にも、そして国際社会に対しても、納得のいく説明が必要だろう。

 

しかし、現状は、安全保障の問題だから明確にはできないという一点張りで、なぜ、このタイミングで韓国への対応を大きく変更する必要があったのかについて、納得いく説明が聞かれない。今回の「対抗措置」は、その意味で非常に不可解な部分が大きく、とても正当なものだと評価することはできない。ただ、一旦採った措置を何の明確な変更理由がないにもかかわらず撤回することもまた難しいのも事実だ。

 

まずは、この一連の「騒動」の原因となった「徴用工」判決に関して、韓国政府が当該判決と請求権協定とを両立しうる妙案を日本政府に提示して交渉を始めることが必要だと、私は考える。その際、判決の核心は日本企業が賠償することではなく被害者が救済されるべきだという点を優先したことだと解釈し、韓国政府が主導して、そこに韓国企業と日本企業との「自発的な参加」を呼びかけて補償に取り組むことが基本となるべきである。そして、その交渉と並行して、日本政府は安全保障上の問題に関して韓国政府と協議し、懸念が晴れるのであれば措置を果敢に撤回する姿勢を示すことが必要である。

 

日韓関係は、それまでの非対称的で相互補完的な関係が、対称的で相互競争的な関係に変容する中、双方ともそれぞれの「正義」を掲げて競争するようになっている。したがって、どちらかが正しいのかというゼロサム的な競争で問題が解決されることは困難な状況である。そうした競争を続ける限りは、相手が譲歩しない限りは「共滅」してもやむを得ないという、まさに「チキンゲーム」の様相を呈するしかない。歴史問題を直接的な契機として始まった対立が、経済領域、さらには安全保障領域にまで戦線を拡大することで、そうした様相を呈するようになりつつある。

 

では、どうしたらいいのか。日韓両政府は、相互に、相手の意図を読み取り、自らにとってより優先順位の高い重要なものは何なのか、それを獲得するためにはどうしたらいいのか、その代わり何を犠牲にしてもいいのか、こうした戦略的思考に基づいて交渉するという姿勢以外には、対立を緩和し解消するということは難しい。そのうえで、お互いの外交、安全保障、そして社会にとって、相手国はどのように位置付けられるのか、そうした知的な作業を自覚的に進める必要がある。日韓関係はそうした状況になっていることを、日韓両国の政治指導者はもちろん、市民も含めて肝に銘ずるべきだろう。

 

その意味で、最後に、韓国の民間団体や地方自治体から提起されている日韓交流の中断の動きに対して、韓国文在寅政権は「そうする必要はない」「そうするべきではない」という明確な姿勢を示してもらいたいと考える。

 

<木宮正史(きみや・ただし)Kimiya Tadashi)

1960年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。東京大学法学部卒、同大学院博士課程単位取得退学。韓国高麗大学大学院博士課程修了、政治学博士。著書に『韓国-民主化と経済発展のダイナミズム』『朴正熙政府の選択:1960年代輸出志向型工業化と冷戦体制(韓国語)』『国際政治のなかの韓国現代史』『ナショナリズムから見た韓国・北朝鮮近現代史』など。

 

 

2019年8月1日配信