SGRAイベントの報告

李恩民 「第4回東アジア日本研究者協議会パネル 『日本のODAとアジア:再評価の試み』報告」

2019年11月2日、400人以上の参加者を迎えた東アジア日本研究者協議会第4回学術大会にて、SGRAより参加した3パネルの一つである「日本のODAとアジア:再評価の試み」が台湾大学の普通教学館で挙行された。

このパネルは公益財団法人渥美国際交流財団の助成を受けて企画されたものである。1950~60年代に始まった日本の政府開発援助(Official Development Aid=ODA)は、1989年には米国を抜きODA拠出額では世界ナンバーワンとなった。しかし、その過程で世界各国からさまざまな批判、日本国内からも不満または評価の高まりを受け、日本政府は予算の縮小・戦略の再構築を決断した。2015年、ODA大綱は「開発協力大綱」と名称を変更し、より一層強く「国益」の確保への姿勢を打ち出した。他方、政治的な要因で対台湾の経済協力事業は中止、経済的な要因で対韓国のODAは予定通り「卒業」、急速に経済の高度成長を遂げた中国へのODAも2019年春をもって終了した。アジアにおける複雑な政治経済の動きが世界規模で影響を拡大している現在、「日本の重要な政策ツールのひとつ」と位置づけられた「ODAを主体とする開発協力」について、立体的かつ総合的にレビューする機が熟した。

これまで日本が行ってきたODAについては政策決定のプロセスや戦略意図についての論考が多かったが、今回のパネルでは黄自進・中央研究院教授(Prof. Huang Tzu-chin, Academia Sinica)の司会のもと、異国で博士学位を取った多文化なバックグラウンドを持つ学者陣と共に、日本のODA政策へのレビュー、対アジア主要国ODAのケース・スタディーに重点を置いた議論を進めていった。

基調講演をされた深川由起子・早稲田大学教授(Prof. Fukagawa Yukiko, Waseda University)は「日本の開発援助政策転換~韓国との比較から~」というタイトルで、日本ODAの歴史と現在、成果と問題について総合的に語った。深川教授の研究によれば、日本のODAをめぐっては1990年代にその規模がピークに達すると、欧米から自国利益を拡大するための「商業主義」であるという批判を受けた。しかしながらその後、多くの研究によって誤解が解かれると共に、結果としてアジア各国が優れた経済発展を遂げることで、むしろ「商業的」なODAが民間企業の誘致や技術の波及に役立ったとする肯定的な評価が台頭していった。深川教授はさらに、アジアにおいてODAには自国の発展経験の移転といった側面が強く、中国の「一帯一路」がさらに商業性を強めた「経済協力」として展開されるようになって以来、日本のODAもより経済権益に直結するインフラ輸出などの「経済協力」として再編されつつある。これに対し、韓国はセマウル運動の移植や人材育成などより古典的なODAを展開している、との見解を示された。最後、深川教授は「北東アジアでは政治的障壁からドナー間の協力や対話が進んでいないが、潜在的には様々な補完性もあり、アフリカ支援協力などで具体的な協力を模索する時期に来ている」と鋭く指摘した。都市鉄道システム(高度な建設技術・安全・正確な運行管理など)をはじめとするパッケージ型インフラ輸出とODAの活用といった事例紹介は特に印象深かった。

次に韓国に絡んだ諸課題が提起され、金雄煕・仁荷大学教授(Prof. Kim Woonghee, Inha University)が登壇し、「日本の対韓国ODAの諸問題」をテーマに事例報告を行った。金教授の話によると、日本の対韓経済協力に対する研究は、その重要性にもかかわらず、いくつかの理由から客観的な分析が困難な状況である。1965年の日韓国交正常化を皮切りに実施された多くの協力案件は半世紀以上の歳月が経過してしまい、韓国経済において日本による資金協力や技術協力の痕跡を見出すことは、もはや容易ではない。また請求権資金がもつ特殊性、すなわち、戦後処理的・賠償的性格と経済協力としての性格を併せ持つことによる複雑性もある。さらに元徴用工の戦後補償問題に由来し最終的に最悪の状態に陥った日韓関係のなかで、日本が韓国に対し資金協力や技術協力を行ったことを公に議論することはかなりセンシティブでリスキーなことと認識されている。

同問題について金教授は次の通りに指摘した。韓国で請求権資金の性格や役割に対する評価は、一般的に日韓国交正常化に対する評価と密接につながっている。安保論理と経済論理が日韓の過去の歴史清算を圧倒する形で日韓国交正常化が進められ、肯定的な評価と否定的な評価が大きく分かれてしまった。請求権資金についても同じく評価が分かれているが、構造的な韓国の対日貿易不均衡などいくつかの問題は起こしたものの、請求権資金が韓国経済の初期発展過程で重要な役割を果たしたことは否定できないというのが韓国国内での一般論である。

報告の中で、金教授は詳細なデータをもって、請求権資金を中心に日本の対韓経済協力についての異なる評価や様々な論点を紹介し、特に日本の外務省が「日本の援助による繁栄」の象徴的事業としているソウル首都圏地下鉄事業と浦項製鉄所(現在のPOSCO)の建設事業についての異なる評価も取り上げつつ、より客観的に日本の対韓経済協力をレビューした。

上記の報告を踏まえて、フェルディナンド・シー・マキト准教授・フィリピン大学ロスバニョス校(Prof. Maquito, Ferdinand C. University of the Philippines Los Baños)は、商業主義や日中韓ODAの補完性についてコメントを入れながら「フィリピンからの報告:日本ODAの再検討」というタイトルで最新の研究成果を報告した。マキト准教授は、日本のODAを西洋諸国または中国のODAと比較した上で、その相違性と類似性を分析し、アジアにおける共有型成長への日本によるODAの貢献を評価した。マキト准教授は最後に、韓国や中国にとっても日本型ODAのシステムは模範的だったと指摘した。

最後は被援助国としての中国のケース・スタディーを私、李恩民・桜美林大学教授(Prof. LI Enmin, J.F.Oberlin University)より発表し、日本の対中ODAの40年を概観した。

1979年、鄧小平が推進した改革開放政策は経済発展を最優先にする新時代の幕明けであった。この年、中国政府は日本の財界人の助言を受け、これまでの対外金融政策を改めて日本からODAを受け入れ、主要インフレと文化施設の建設に集中した。それ以降の40年間、政府から民間まで日本側は円借款、無償資金提供、技術協力などを通して中国の経済発展、人材育成、格差の是正、環境保全等分野に大きく貢献してきた。その証として、ODAプロジェクトの現場で撮った写真を展示しながら中国民衆の認識・評価を紹介した。

全員の報告を終えた後、石原忠浩・台北にある政治大学助理教授の質問を皮切りにディスカッションに入った。しかし時間の制約があって、会場では十分な議論ができなかった。そのため、司会者の黄自進教授は国際性に富んだこのパネルの特徴について総括した後、パネルの締め括りとして今後も他地域で同じメンバーで会議を重ね、良き研究成果を出すよう力強く訴えた。

学術の立場から日本によるODAへのレビューは、理論的な検討も現地考察も欠かせない至難の作業である。90分のパネルだけで議論を尽くすことはほぼ不可能である。この意味で言えば、この種の研究成果の活発な意見交換は今後も進めて行かなければならない。

 

当日の写真

 

< 李 恩民  Li Enmin >
中国山西省生まれ。1996年南開大学にて歴史学博士号、1999年一橋大学にて社会学博士号取得。桜美林大学国際学系教授、公益財団法人渥美国際交流財団理事。2012~2013年スタンフォード大学客員研究員。主な著書に『中日民間経済外交 1945~1972』(人民出版社1997年)、『転換期の中国・日本と台湾』(御茶の水書房2001年、大平正芳記念賞受賞)、『「日中平和友好条約」交渉の政治過程』(御茶の水書房2005年)、『中国華北農民の生活誌』(御茶の水書房2019年)。共著に『歴史と和解』(東京大学出版会2011年)、『対立と共存の歴史認識』(東京大学出版会2013年、中文版:社会科学文献出版社2015年)、『日本政府的両岸政策』(中央研究院2015年)などがある。