地球市民

SGRAの活動の目的は「地球市民の実現」です。本研究チームは、ますますグローバル化する世の中における「地球市民(Global Citizen)」の位置付けを課題として取り組んでいます。
  • 2015.10.01

    エッセイ469:白 智立「方法としての東アジアの日本研究」

    去る7月18日、東アジアの日本研究の第一線で活躍する研究者20名が一堂に会して、SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」が開催された。このフォーラムにお招きいただき、多くの研究者との議論と交流の機会を与えていただいた渥美国際交流財団、早稲田大学東アジア国際関係研究所及び早稲田大学の皆さまに心からお礼を申し上げたい。   このフォーラムでの焦点の一つとして、「方法としての日本研究」が議論された。この「方法としての日本研究」、ことさらに「方法としての『東アジアの』日本研究」について、私の日頃の考えを、ここにエッセイとしてまとめて、このフォーラムの報告に換えさせていただきたい。   「日本研究とは何か?」。日本研究を志す研究者、とりわけ中国や韓国といった東アジアの研究者にとっては、答えることが難しい問いかけである。   私だけでなく、多くの東アジアの日本研究者は、特別な想いやきっかけによって日本研究を志している。この特別な想いやきっかけがあるが故に、単純な学術研究から離れて、日本をとおして自己を見つめ、あるいは自己を再確認、再認識するという内面的、精神的な活動に向かわざるを得ないのである。自国、自民族の歴史や発展、あるいは個人の人生経験などの「自」の要素と重ね合わせ、否応無く自国の歴史・発展過程と向かい合わざるを得ない。   つまり、東アジアの研究者にとって「日本研究」は、あたかも自己や自国の在りようを深層まで映し出す「合わせ鏡」のような、自己や自国との内的な対話の一つの方法=「方法としての日本研究」となるのである。   このような考え方は、言うまでもなく東アジアの近隣という地理的な限定、そして近代以来の歴史の複雑な展開を土台にして生まれたものである。   具体的には、日本は明治時代以降、他の東アジアに先駆けて近代化を達成し、戦争の時期を経て、戦後の平和的発展期から今日に至って、欧米諸国に並ぶ経済・社会の発展を遂げた。     この明治以降の日本の近代化の過程は、今日でもなお、身近な東アジアとの相互関係の上に成り立っている。その意味で、東アジアの日本研究は、日本研究であると同時に、東アジア研究であり東アジア諸国の「自国研究」であり、東アジアの日本研究者は無意識のうちに「方法としての日本研究」を繰り広げているのである。   「方法としての日本研究」は純粋な日本研究ではない、との危惧や批判は当然存在する。しかしながら、一人の研究者、一人の人間として日本という研究対象に向かい合い、自他混合と紙一重となるような思索の緊張を保ち続ける中で、自己の精神を磨き、自己の精神を再形成して行く過程を無価値として見過ごすことはできない。こうした思索の緊張関係と自己省察は、学術的な日本研究以上に、予期せぬ結果が得られると考えられるのである。   方法としての東アジアの日本研究の、自己の精神形成という側面を強調する時、研究者は必然的に、過去の被害者歴史と対面せざるを得ない。すなわち、東アジアの最大の課題である「歴史の和解」そのものに直面せざるを得ないのである。   和解は、謝罪による加害者側の自らの心の救済であると同時に、被害者側の心の救済とならなければならない。このリアルな課題に直面し、その解決を模索する時、方法としての東アジアの日本研究の知的蓄積と研究者個人個人の内面的省察が大きな糧となり手がかりになるのではないだろうか。   東アジアの日本研究者は、自国との相互関係性を視野に入れて思索するため、東アジアの日本研究は東アジア研究にシフトすることになる。これは言うまでもなく、東アジア全体を包み込む視点であり、その思索は、前述の歴史の和解の先の、東アジアの知の共同体、ひいては東アジア共同体へと飛躍して行く。   方法としての東アジアの日本研究は、日本の西欧近代化の所産である。依然近代化の過程にある中国にとっては、今後の自国の近代化の展開を探求する上で、いち早く近代化を達成した日本との対話を重ねて行くことが不可欠である。その意味で、「方法としての日本研究」は未だに現実味を失ってはおらず、今後の東アジア、アジア、世界を考える上で、一層その重要性を増していると言えるであろう。   さらに「資本主義の終焉」が語られる今日、すでに近代化の諸過程を歩み終え、大きな転換点にある日本には、ポスト近代の、新しい文明の創造に向けて邁進することが期待されているからである。   日本研究ないし東アジアの日本研究は、これからも重要性を失うことはないであろう。   しかし、東アジアの日本研究に緊張感を持たせ続けるためには、「方法としての日本研究」をさらに一歩進めた「方法としての東アジア研究」にいかにアプローチするか、が一つのポイントとなる。   「方法としての日本研究」を進化させた「方法としての東アジア研究」を価値あるものとして認めるならば、そして東アジアの知の共同体を指向するのであれば、これまでの無意識的な方法から意識的な方法へと昇華し、さらに精緻化し、体系化し、共有する努力がこれからの東アジアの日本研究者に求められるであろう。   英語版はこちら --------------------------------------------------------------------------------- <白 智立(はく ちりつ)Bai Zhili> 北京大学政府管理学院副教授・北京大学日本研究センター副院長。1997年法政大学博士課程修了。政治学博士。 ---------------------------------------------------------------------------------     第49回SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」報告は、ここからご覧いただけます。   2015年10月1日配信
  • 2015.09.10

    第49回SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」報告

    2015年7月18日(土)、第49回SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」が、早稲田大学大隈会館で開催された。フォーラムでは、中国、韓国、台湾を代表する日本研究機関と日本研究の第一線で活躍する研究者20名が一堂に会して、新しい日本研究のあり方についての活発な議論が交わされた。今回のフォーラムはセミ・オープン形式であったにも関わらず、予想を上回る延べ100人の参加者があった。   冒頭に今西淳子_渥美国際交流財団常務理事・SGRA代表から、過去2回のアジア未来会議で開催した「日本研究円卓会議」において日本研究の現状を危惧し、その将来を憂慮する声が多数挙がったことをきっかけに、中国、韓国、台湾の代表的な日本研究所と日本の国際交流基金、国際日本文化研究センターに声をかけたこと、そして、このように各研究機関の所長や副所長を始め、第一線の研究者の皆さんが参加してくださったことに主催者としても驚き、改めてこのテーマの重要性を再認識している、との開会挨拶があり、フォーラムがスタートした。   【基調講演】   平野健一郎先生(早稲田大学名誉教授、東洋文庫理事)は「新しい、アジアの日本研究に求めるもの」と題する基調講演の中で下記の2点を強調した。   (1)今回のフォーラムが目指す、国境を超える「知の公共空間」を構想するにあたっては、文化の相互依存性、共通性(普遍性)を視野に入れて、個別理解から国際間の経験・文化の相関関係により織りなされる現象として理解する「相互関係理解」へ、更には日本研究を地域、アジア、グローバルという重層構造の中に位置づけて理解しようとする「重層的理解」へと進まなければならない。   (2)これからの日本研究のテーマとして、平和と安全保障の問題を付け加えたい。戦後日本の経験を平和の問題として取り上げることは、誤った歴史の反省というだけでなく、各国にとっても重要な示唆を与えるものであろう。平和は、意思の力で築き上げて行くものである。日本研究者のみならずアジアの研究者は知的共同体を形成して行くことにより、東アジア共同体の構築、即ち平和の構築に参画することができる。   正に、「新しいアジアの日本研究」の方向性を示唆する内容であった。   【報告】   基調講演に引き続き、中国(楊伯江_中国社会科学院日本研究所副所長)、台湾(徐興慶_台湾大学日本研究センター所長)、韓国(朴喆煕_ソウル大学日本研究所長)から各国の日本研究の現状と将来に関する報告があり、日本(茶野純一_国際交流基金日本研究・知的交流部長)からは日本研究支援の現状と展望についての報告があった。   【円卓会議】   午後からの円卓会議では講演者とパネリスト計20名と会場の若手研究者を交えた、オープンディスカッションが3時間にわたって行われた。   劉_傑先生(早稲田大学社会科学総合学術院教授)による総括は以下のとおりである。   (1)文化現象として日本への関心が高まり、これまでの伝統的な枠組みでの日本研究とは異なる次元、異なる領域、異なる人脈での日本研究が広がってきている。しかし、こうした関心の広がりと「日本研究の深化」とは直接に結びつくものではない。これを、どのようにアジアで共有できる日本研究に結び付けるかは、今後の「新しい日本研究」構築にあたっての課題であろう。   (2)今、この地域にとって「方法としての日本研究」が特別に重要な時期である。日本研究のあり方は、この地域の国や人々のあり方を映し出す鏡のような意味を持つものであり、自己認識の方法とも言える。このフォーラムを通じて「方法としての日本研究」の重要性を確認することができた。   (3)「方法としての日本研究」が東アジアの和解、即ち平和に繋がることは間違いない。和解を安定化させるための重要なツールが「知」である。日本研究を一つの方法として用いることにより、知の共同空間、知の共同体が生まれ、この地域の和解、即ち平和と安定に寄与する可能性を垣間見ることができる。   (4)少なくとも、今回のフォーラムでは「アジアで共有できる日本研究」、「アジアの公共知としての日本研究」の構築を目指すというコンセンサスが得られた。   今回形成されたネットワークをどのように生かして行くか、の議論の中で朴喆煕_ソウル大学日本研究所所長から「東アジア日本研究者協議会」開催の提案があり、具体的な作業をどのように進めるのかを議論するための環境を整備し、対外的にも発信して行くこととなった。   フォーラム終了後、渥美財団ホールで渥美奨学生、ラクーン(元奨学生)を交えた懇親会が開催され、若手研究者と講師、パネリストの交流と議論が夜遅くまで続いた。   東アジアの日本研究の第一線で活躍する講師、パネリスト20名を招いての駆け足のフォーラムであったが、円卓会議のモデレーターである南基正教授(ソウル大学日本研究所研究部長/SGRA会員)の見事な司会により、短時間であっても極めて実り多いフォーラムとなった。   ご参加いただいた講師、パネリストの先生方に心から感謝すると共に、このSGRAフォーラムを契機にして形成されたネットワークの今後の飛躍に期待したい。   当日のアンケートの集計結果   当日の写真   英語版はこちら    (文責:角田英一_渥美国際交流財団事務局長)
  • 2015.07.30

    趙 国 「第4回SGRAワークショップ『知の空間を創ろう』報告」

    第4回SGRAワークショップが、「『知の空間』を創ろう」というテーマで、7月3日から3日間行われた。蓼科への「旅行」なのか、「ワークショップ」(しかも、かなり重いテーマである)なのか、少し不安を抱きながら参加した。以下は、極めて個人的な感想を込めた参加レポートである。   7月3日(金)   朝から激しい雨が降り続いていた。新宿を午前9時の出発予定だったが、激しい雨と思わぬ事情により、1時間程度遅れていよいよ出発。幸い目的地への道は渋滞もなく、諏訪に着くころには雨もほぼ止んだ。   お昼はSUWAガラスの里のレストラン。諏訪湖を眺めながら食事をし、食後SUWAガラスの里の美術館・ショップを見るのが定番のコースらしい。美術館で印象深かったのは、金箔の漆器箱をガラスで表現した作品だった。見た目は六角の漆器箱そっくりだが、ガラスの表面に金箔を張り付けたそうだ。わざわざガラスで造る必要があるのかとの思いもなくはなかったが(隣には、ガラスで作ったキャベツもあった!)、とにかく美しい。   次の目的地は諏訪大社。雨は降ったり止んだりしていたが、雨霧に囲まれた古社は神秘感を増した。たまたまあった茅の輪で夏越しの大祓もやってみた。くぐり方だけに気をとられて、その時は何も祈ることが出来なかったが、同期の皆さんが無事に博論を出せるように祈ったらよかったと思う。   予定より少し遅れて最終目的地、チェルトの森へ到着した。夕食後、アイスブレーキングタイムがあった。「私の強みは_______である」「私の弱みは_______である」などなど、親しい人ともなかなか話さない話題について、小グループごとに話し合う時間だった。これでアイスブレーキングができるかよく分からないが、個人的には話すうちにどんどん盛り上がってきた。また周りを見ると、積極的に、真面目に話す人や、ボンヤリのんびりとする人など、個々の個性が浮かび上がるのも面白い。続く懇親会では、聞くだけでも非常に楽しい話が長く続いた。   7月4日(土)   2日目から本格的なワークショップが始まった。午前中は劉傑先生、茶野純一先生のトークショーがあった。まずは両先生より知・空間の概念定義から始まり、知と政治との関係など、深度の深いお話を伺った。茶野先生はアメリカのthink tankと政治政策について、劉先生は中国における日本学(者)の状況などを例として取り上げ、知の問題が現実の政治権力と微妙な緊張関係にあることを鋭く指摘した。   そもそも蓼科ワークショップは、蓼科旅行とも言われているように、博論執筆に疲れている今年度の奨学生にリフレッシュの時間を与えようとの財団の配慮で、気軽に楽しむという趣旨もあるようだが、今回のテーマはなかなか重い。それゆえ参加者皆が真面目に、真摯にテーマを受け入れた様子であった。講演の後に続く質疑応答時間でも「知の空間」における東アジア共同体の可能性、知と権力との関係、「専門性」と「知」との関係設定、アカデミックの「知」と地域の「知」との結びつきなどなど、様々な側面・観点から議論が行われた。   確かに、日本史、しかも日本近現代史という狭いといえば狭い領域で暮らしていた私にとって、刺激になる、それなりに楽しめる時間だったが、他方、これからのワークショップの分科会、翌日のプレゼンテーションなどへのプレッシャーも次第に高くなった。   しかしながら、これは私の杞憂にすぎなかった。午後から始まった小グループの活動は、ワークショップ本来の趣旨の通り、気軽で、楽しめる時間だった。5つに分けられた各チームは、蓼科の自然を満喫しながら、宝探しを兼ねて知の空間をイメージする色・形や、知の空間に必要なもの、禁止すべきものなどの課題を見つけ、それについて自由に話し合う時間を持った。   その後、話し合った結果を元に、各チームは明日のプレゼンテーションに向けて準備にはいった。私のチームでは、知の空間を象徴する各種のイメージをコラージュすることにした。最初は、どういう形になるか分からずに始めたが、皆が少しずつアイデアを出して、ふさわしいイメージを探し出すことによって、作業はどんどん具体化された。よいチームワークの結果、夕食前に、明日の発表準備をほぼ終わらせることができた。これで一安心。外は少しずつ雨が降り出したが、おいしい夕食と、続く懇親会も思う存分、楽しめた。   7月5日(日)   最後の3日目。ワークショップの結果をチーム毎に発表する時間となった。各チームいずれも発表内容や形式において、個性溢れる、面白い発表であった。私のチームのコラージュは知の空間のイメージから、宇宙と秩序を背景とした人間の形状を作り出した。他の発表の面々を見ると、知の空間とその誕生を、卵の形で立派な照明効果も活用しながら表現したもの、とても面白い料理番組で知の空間へのチョコ(直行)焼きを造ったもの、知の空間のつながり・拡散を真面目な説明と分かりやすい紙工作で表現したものなどがあった。最後のチームは、発表順まで緻密に計算して、会場の全員の手をつなぎ合わせ、知の空間における人と人との結びつきを表現した。実に今回のワークショップのテーマにふさわしい最後の発表であったと思う。また、議論、まとめ、発表全体を通して、新入奨学生に任せきりではなく、奨学生のOBやOG、財団の方々、それに講師の先生方までも皆が積極的に参加してくださって、本当にありがたいと思った。   発表が終わってみんなが満足できる授賞式もあった。それからお昼を食べて、バスで東京へ向かった。短い時間であったが、自然を楽しめる(しかも鹿を二度も見ることが出来た)、皆とより一層親しくなった、貴重なリフレッシュの時間だった。   蓼科ワークショップの写真   英語版はこちら   -------------------------------------------- <趙 国(チョ・グック) Guk CHO> 歴史学専攻。早稲田大学大学院文学研究科博士課程在学中。研究分野は日本近現代史で、現在は日本の居留地における清国人管理問題について博士論文を執筆している。 --------------------------------------------   2015年7月30日配信  
  • 2015.07.23

    文 景楠「第7回SGRAカフェ『中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ』報告」

    2015年7月11日、東京九段下にある寺島文庫みねるばの森にて、台湾中央研究院近代史研究所の林泉忠先生をスピーカーに迎え、第7回SGRAカフェが開催された。SGRA運営委員のデール・ソンヤさんの司会のもと、まずSGRA代表の今西淳子さんによる開催の挨拶があり、続いて林先生による講演が始まった。以下、その様子を簡略に伝えたい。   今回の講演は、2014年に中国語圏で起こった政治的な出来事のなかでも特に印象的であった、台湾のひまわり学生運動と香港の雨傘運動を取り上げたものであった。現在の台湾と香港の状況を象徴するようなこれら二つの運動は、学生たちが立法院や道路を占有する映像とともにメディアによって大きく取り上げられ、海外の人々にも非常に強いインパクトを与えた。これらの運動が現代の中国語圏を理解する上でどのような意味をもつのかを整理し、それをもとにして、運動の主体となった台湾と香港の若者のアイデンティティの問題に進んだ。   林先生によれば、二つの運動は以下のような特徴をもつ。まず、それらはともに学生主体の運動であり、政権や社会格差への関心が主な動機として始まっている。また両者は、方法としては非暴力を、理念としては民主主義を掲げたものであり、その展開においてインターネットが重要な役割を果たしていたという点でも類似している。さらに、ひまわり学生運動と雨傘運動の中心となった若者たちが、深い関心をもって互いの活動を積極的に支援したという点も特徴的である。   すでに『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』というタイトルの著書を上梓されていることからも窺えるように、林先生が、これらの運動を理解する際にキーワードとしたのは、「中心と辺境との距離」である。上で取り上げた二つの運動は、民主化運動といった点を重視すれば、中国語圏で行われてきた従来の政治運動と一見同様に見えるかも知れない。しかし、今回の二つの運動には大きな違いがあり、それには、近年の中国語圏における最も重大な変化、すなわち「中国の台頭」という現象が関係している。   現在の中国語圏において、中国本土と台湾、香港の力関係は従来のそれから大きく変化している。香港は以前もっていた経済的求心力を失い始め、台湾もまた爆発的な成長を見せる中国との関係をどのように保つかに苦慮している。このような関係の変化は、特に雨傘運動に対する中国政府の対応から垣間見ることができる。林先生の理解によれば、中国政府の雨傘運動への対応は予想以上に強硬なものだった。これは、香港がもっていた経済的重要性が弱まってきたことによって、現在の中国政府がある意味では香港(に住む人々)に対して優位に立つようになったという事情を反映しているといえる。   このような現実に直面している香港の学生たちが今回の運動で問わなければならなかったのは、おそらく民主主義やそのための手続きの問題だけではなく、激変する社会情勢における自分たちの立ち位置でもあったのだろう。同様の指摘は、台湾の事例にも当てはまる。中国政府の反応は香港の場合とは違って比較的おだやかなものではあったが、ひまわり学生運動がそもそも中国本土と台湾の経済的な協定が火種となったものであるという点を考えれば、台湾の若者が苦心していたものもまた、単なる政治的意思決定のプロセスの妥当性だけではなく、中国台頭時代における自らの立ち位置への不安でもあったと思われる。   このように、今回の二つの運動は、ますます中心化していく中国本土とますます辺境化する台湾・香港の関係がもつ不安定さを反映したものであり、若者による民主化運動という理解だけではこれらの内実を正確に把握することは、もはやできないのである。   中心と辺境の距離感は、講演の主題となったアイデンティティの問題に直結している。林先生の調査によれば、香港・台湾の住民のかなりが、自らを香港人・台湾人と考えている。香港人や台湾人という自己認識が何を意味するのか、さらに、この自己認識が中国語圏の今後に対して何を示唆するのかに関しては、まだ判定を下すことができない。しかし、社会情勢の変化が、中国語圏が従来から抱えていた問題の位相を変えていることは恐らく事実であり、今後このような傾向はさらに加速されるだろう。   現状の整理は上記のとおりであるが、これから中国語圏の人々が何を目指すべきかを示すことは簡単ではない。これに関して林先生は、中心となっていく中国政府が、どのように辺境の人々からの信頼を回復できるのかが鍵となるだろうと述べた。その具体的な方法は事案に応じて個別的に論じられなければならないが、その指摘は方向性としては全面的に正しいと思われる。   中国語圏の若者のアイデンティティの問題は、その地域の現実を直に反映したものである。今回の講演は、このようなアクチュアルな現象に着目することで今後の中国語圏全体のあり方を考えるという、非常に刺激的な内容であった。   当日の写真   英語版エッセイはこちら    -------------------------------------- <文 景楠(ムン・キョンナミ) Kyungnam MOON> 哲学専攻。東京大学大学院博士課程在学中。研究分野はギリシア哲学で、現在はアリストテレスの質料形相論について博士論文を執筆している。  --------------------------------------   2015年7月23日配信    
  • 2015.06.05

    第49回SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」へのお誘い

    下記の通りSGRAフォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。   テーマ:「日本研究の新しいパラダイムを求めて」   日時:2015年7月18日(土)午前9時30分~午後5時   会場:早稲田大学大隈会館 (N棟2階 201、202号室) 参加費:無料使用言語:日本語お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局([email protected], Tel:03-3943-7612)   プログラム詳細 SGRAForum49Program   講演・報告要旨 劉 傑 「『日本研究』をアジアの『公共知』に育成するために」 平野健一郎 「日本研究支援の現状と展望-国際ネットワークの形成に向けて-」 楊 伯江  「中国の日本研究の現状と未来」 (中国語) 朴 喆煕  「韓国の日本研究の現状と未来」 徐 興慶  「台湾の日本研究の現状と未来」 茶野純一 「日本研究支援の現状と展望-国際ネットワークの形成に向けて-」   ◇フォーラムの趣旨   渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)は、2014年8月にインドネシア・バリ島で開催した第2回アジア未来会議において、円卓会議「これからの日本研究:学術共同体の夢に向かって」を開催した。この円卓会議に参加したアジア各国の日本研究者、特にこれまで「日本研究」の中心的役割を担ってきた東アジアの研究者から「日本研究」の衰退と研究環境の悪化を危惧する報告が相次いだ。こうした状況の外的要因として、アジア・世界における日本の国際プレゼンスの低下と、近隣諸国との政治外交関係の悪化が指摘されている。一方では東アジアの日本研究が日本語研究からスタートし、日本語や日本文学・歴史の研究が「日本研究」の主流となってきたことにより、現代の要請に見合った学際的・統合的な「日本研究」の基盤が創成されていないこと、また各国で日本研究に関する学会が乱立し、国内のみならず国際的な連携を図りづらいこと、などが内的要因として指摘されている。今回のフォーラムでは、下記の4テーマを柱とした議論を行い、東アジアの「日本研究」の現状を検討するとともに「日本研究の新しいパラダイム」を切り開く契機としたい。   ◇プログラム   詳細は SGRAForum49Program をご覧ください。   9:30~12:00 【基調講演・報告】   基調講演 :平野健一郎(早稲田大学名誉教授)   報告1: 中国の日本研究の現状と未来楊 伯江(中国社会科学院日本研究所副所長)   報告2: 韓国の日本研究の現状と未来朴 喆煕(ソウル大学日本研究所所長)   報告3: 台湾の日本研究の現状と未来徐 興慶(台湾大学日本研究センター所長)   報告4: 日本研究支援の現状と展望茶野純一(国際交流基金日米センター所長、日本研究・知的交流部長)   13:00~17:00【ディスカッション(円卓会議方式)】   ディスカッション・テーマ:1.東アジアの「日本研究」の現状と課題、問題点などの考察2.アジアで共有できる「公共知」としての「日本研究」の位置づけ及び「アジア研究」の枠組みの中での再構築3.「アジアの公共知としての日本研究」を創成するための基盤づくりと知の共有のための基盤づくり、国際研究ネットワーク/情報インフラの整備等の構想4.日本の研究者、学識者との連携と日本の関係諸機関の協力と支援の重要性   ◇ポスター  
  • 2015.05.27

    第4 回SGRAワークショップin蓼科へのお誘い

    SGRAでは会員を対象としたワークショップを下記の通り行います。参加ご希望の方は、SGRA事務局へご連絡ください。   テーマ: 「<知の空間>を創る」   日 時: 2015年7月4日(土)午前9時30分 ~ 5日(日)午後1時   集 合: 現地集合( 東京商工会議所 蓼科フォーラム にて受付) 参加費: 5000円(食費、宿泊費(相部屋)を含む)申し込み・問い合わせ:SGRA事務局     [email protected]   ワークショップの趣旨:   SGRAでは、7月18日(土)にSGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」を開催します。このフォーラムでは、東アジアの日本研究の第一線で活躍する研究者が一堂に集まり、日本研究の成果を「アジアの公共知」を目指して、新しい日本研究ネットワーク(「知の空間」)の創造に向けた基盤づくりについてのディスカッションを行います。「知の空間」とは、極めて抽象的な概念です。また、非常に主観的、個人的なものであるともいえるでしょう。皆さんは「知の空間」についてどのようなイメージをお持ちでしょうか?「知の空間」は知の共有と交流により生まれる、また、知の生産と流通、消費によって生まれるとも言えるでしょう。一方で、現代のインターネットの時代にあって「知の空間」は無限大に広がるものかも知れません。今回のワークショップでは、講師のレクチャー、様々なキーワード、研究経験などを踏まえて、「あなたにとっての『知の空間』」のイメージを語り共に考えたいと思います。   プログラム   7月4 日(土)(於:東商蓼科フォーラム)9:30~12:00 「知の空間を創る」+グループ分け・講演—「日本研究ネットワークと『知の空間』の構築に向けて」(仮題)(劉 傑)・講演−「知的交流から生まれる『知の空間』」(仮題)(茶野純一)12:00~13:30  昼食13:30~15:00 ゲーム感覚のグループワーク15:00~15:30  休憩15:30~17:00 グループワーク、ディスカッション 7月5日(日)9:30~12:00 発表・まとめとふりかえり9:30~12:00 発表・まとめとふりかえり  
  • 2013.11.13

    レポート第66号「日英戦後和解(1994-1998)」

    レポート66号本文(日英中合冊版) レポート66 号表紙   沼田貞昭(元カナダ大使、日本英語交流連盟会長) 「日英戦後和解(1994-1998)」 講演録 2013年10月20日発行   <本文より> 戦後和解の問題について、学者としてではなく、外交の実務者として経験したことをお話します。戦後和解という場合にいろいろな側面がありますが、私は1994~98年まで在英大使館のナンバー2として勤務していたときに、一番この問題を経験しましたので、そのことを振り返ってみたいと思います。私にとってイギリスは、それが2回目の勤務でした。最初に勤務した1960年代の後半は、戦争の記憶がまだ残っていましたが、捕虜の問題が非常に騒がれている状態ではなかったのです。ところが、2回目の勤務中の1995年は、戦争が終わってちょうど50周年で、この問題がはっきりと出てきて、その処理に腐心することになりました。   SGRAレポート66号本文(日本語版)   SGRA Report #66 (English Edition)   SGRAレポート66号本文(中文版)   SGRAレポート66号本文(ハングル版)   SGRAレポート66号本文(ハングル版)表紙    
  • 2010.03.30

    レポート第52号「東アジアの市民社会と21世紀の課題」

    SGRAレポート第52号本文 表紙 SGRAレポート第52号本文(中文版) 中文版表紙 (2014年3月26日発行) 第36回SGRAフォーラムin軽井沢講演録 「東アジアの市民社会と21世紀の課題」 2010年3月25日発行 <もくじ> 【基調講演】市民社会を求めての半世紀ヨーロッパの軌跡とアジア 宮島 喬(法政大学大学院社会学研究科教授) 【発表1】日本の市民社会と21世紀の課題 「市民社会」から「市民政治」へ 都築 勉(信州大学経済学部教授) 【発表2】韓国の市民社会と21世紀の課題 「民衆」から「市民」へ~植民地・分断と戦争・開発独裁と近代化・民主化~ 高 煕卓(延世大学政治外交学科研究教授、SGRA研究員) 【発表3】フィリピンの市民社会と21世紀の課題 フィリピンの「市民社会」と「悪しきサマリア人」 中西 徹(東京大学大学院総合文化研究科教授) 【発表4】台湾・香港の市民社会と21世紀の課題 「国家」に翻弄される「辺境東アジア」の「市民」 ~脱植民地化・脱「辺境」化の葛藤とアイデンティティの模索~ 林 泉忠(ハーバード大学客員研究員、琉球大学准教授、SGRA研究員) 【発表5】ベトナムの市民社会と21世紀の課 変わるベトナム、変わる「市民社会」の姿 ブ・ティ・ミン・チィ(ベトナム社会科学院人間科学研究所研究員、SGRA会員) 【発表6】中国の市民社会と21世紀の課題 模索する「中国的市民社会」 劉 傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授) 【パネルディスカッション】東アジアの市民社会と21世紀の課題 進行: 孫 軍悦(明治大学政治経済学部非常勤講師、SGRA研究員) パネリスト:上記講師
  • 2008.04.11

    レポート第43号 「鹿島守之助とパン・アジア主義」

    レポート第43号   渥美奨学生の集い講演録 平川 均 「鹿島守之助とパン・アジア主義」 2008年3月1日発行   鹿島守之助博士は、今日、鹿島建設元社長として昭和期を代表する卓越した実業家であると同時に、政治家、外交史研究者でもあった人物として知られている。日本の外交研究とそれに関する活動にも多大な貢献を果した。しかし、彼が1920年代後半以降、生涯を通じて、独特なアジア主義者として「アジア連盟」あるいは「アジア共同体」の理想を追求した人物であったことを知る人は少ない。彼が73年に、かつての生家・永富家の一角に「わが最大の希願は、いつの日にか パンアジアの実現を見ることである」と刻んだ碑を建立していたことを知れば、意外に思う人がほとんどであろう。実際、彼の国際政治や外交に関する膨大な著作や政治活動の軌跡を辿るならば、彼は確かに「汎(ハン)アジア」「パン・アジア」を悲願としており、大戦後の多彩な社会活動も彼の思想と深く関っている。   彼のアジア主義はどのような思想であり、その思想に駆り立てたものは何か、彼の思想が「大東亜共栄圏」によって象徴される日本のアジア侵略の試練とどう関り、その試練をどう潜り抜けてきたか、彼の構想が戦後むしろ省みられないできたのは何故かなどである。   東アジア共同体への関心が21世紀に入って急速に高まっている現在、鹿島博士のパン・アジア論に改めて光を当てることによって、今日の東アジア共同体に資する何かを発見できるのではないか。報告ではほぼ時代に沿って鹿島のパン・アジア論の生成と変遷をみた後、その思想と論理の特徴を確認したい。そのことによって上述の疑問の幾つかに回答を試みたい。  
  • 2007.11.30

    レポート第39号「東アジアにおける日本思想史」

    SGRAレポート第39号    第26回SGRAフォーラム 講演録「東アジアにおける日本思想史:私たちの出会いと将来」 2007年11月30日発行     【基調講演】黒住 真(東京大学大学院総合文化研究科教授)           「日本思想史の『空白』を越えて」   【発表1】韓 東育(東北師範大学歴史文化学院院長)         「東アジアにおける絡み合う思想史とその発見」   【発表2】趙 寛子(中部大学人文学部准教授)                   「『もののあわれ』を通じてみた『朝鮮』」   【発表3】林 少陽(東京大学大学院総合文化研究科特任助教授、SGRA研究員)                     「越境の意味:私と日本思想史との出会いを手がかりに」   【パネルディスカッション】                      進行:孫 軍悦(東京大学大学院総合文化研究科博士課程、SGRA研究員)                      パネリスト:上記講演者