越境する文化芸術

  • 2020.10.07

    第14回SGRAチャイナVフォーラム「東西思想の接触圏としての日本近代美術史再考」へのお誘い

    下記の通りSGRAチャイナVフォーラムをオンライン(Zoom)で開催いたします。 参加ご希望の方は、事前に参加登録をお願いします。 今回は、聴講者はご自分のカメラもマイクもオフのWebinar形式で開催しますので、お気軽にご参加ください。   テーマ:「東西思想の接触圏としての日本近代美術史再考」 日時:  2020年11月1日(日)午後3時~4時30分(北京時間)/午後4時~5時30分(東京時間) 方 法:  Zoom Webinar による 主 催: 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 協 力: 清華東亜文化講座、北京大学日本文化研究所 後 援: 国際交流基金北京日本文化センター   ※参加申込(クリックして登録してください) お問い合わせ:SGRA事務局( [email protected] +81-(0)3-3943-7612)     ■フォーラムの趣旨 江戸時代後期以降、日本には西洋の諸理論が流入し、絵画においても、それまで規範であった中国美術の受容とそれを展開していく過程に西洋理論が影響を及ぼすようになっていった。一方、絵画における東洋的な伝統や理念が西洋の画家たちに影響を与え、さらにそれが日本や中国で再評価されるという動きも起こった。本フォーラムでは、その複雑な影響関係を具体的に明らかにすることで、日本近代美術史を東洋と西洋の思想が交錯する場として捉え直し、東アジアの多様な文化的影響関係を議論したい。日中同時通訳付き。   ■プログラム 総合司会:孫 建軍(北京大学日本文化学部) 開会挨拶:今西淳子(渥美国際交流財団)   【講演】稲賀繁美(国際日本文化研究センター) 「中国古典と西欧絵画との理論的邂合—東西思想の接触圏としての日本近代美術史再考」   【討論】 劉 暁峰(清華大学歴史系) 塚本麿充(東京大学東洋文化研究所) 王 中忱(清華大学中文系)/ 高華鑫(中国社会科学院文学研究所)代読 林 少陽(香港城市大学中文及歴史学科)   【質疑応答】   閉会挨拶:劉 暁峰(清華大学歴史系)   ※プログラムの詳細は、下記URLをご参照ください。 日本語  中国語   ■発表要旨 渡邊崋山から橋本関雪までの画人がいかに中国の美術理論を西洋理論と対峙するなかで咀嚼したかを検討する。とりわけ「気韻生動」の概念がいかに西洋の美学理論に影響を与えたかをホイスラーからアーサ・ダウに至る系譜に確認するとともに、それが大正期の表現主義の流行のなかで、いかに日本近代で再評価され、「感情移入」美学と融合をとげ、更にそれが、豊子愷らによって中国近代に伝播したかを鳥瞰する。この文脈でセザンヌを中国美学に照らして評価する風潮が成長し、またそれと呼応するように、石濤が西欧のキリスト教神秘主義と混線し、東洋研究者のあいだで評価されるに至った経緯も明らかにする。   ※なお、本フォーラムでは講演を契機とした活発な議論が展開されることを期待し、事前に講演内容に関連する以下の論文を紹介する。 ◆「岡倉天心」関係: 稲賀繁美「天心・岡倉覚三と五浦―イギリス・ロマン主義特輯号の余白に―」 稲賀繁美「岡倉天心とインド―越境する近代国民意識と汎アジア・イデオロギーの帰趨」 ◆橋本関雪の周辺: 稲賀繁美「表現主義と気韻生動―北清事変から大正年末に至る橋本関雪の軌跡と京都支那学の周辺―」 ◆近代の南画復興と日中交流: 稲賀繁美著 王振平訳「論豊子愷《中国美術在現代芸術上勝利》与日訳作品在接受西方思想時的媒介作用」 ◆サン・ディエゴでの中日美術交流に関する会議の報告: 稲賀繁美「日本美術と中国美術の<あいだ>(上)石橋財団国際シンポジウム(2018年11月2-4日)に出席して」 稲賀繁美「日本美術と中国美術の<あいだ>(下)石橋財団国際シンポジウム(2018年11月2-4日)に出席して」   [講師略歴] 稲賀繁美(いなが・しげみ) 国際日本文化研究センター 教授。1988年東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻博士課程単位取得退学、1988年パリ第七大学 (新課程) 博士課程修了。博士(文学)。東京大学教養学部助手、三重大学人文学部助教授を経て、1997年国際日本文化研究センター助教授、2004年より国際日本文化研究センター教授。専門は比較文学比較文化、文化交流史。主な単著書に『絵画の臨界 : 近代東アジア美術史の桎梏と命運』、名古屋大学出版会、2014年1月、『絵画の東方 オリエンタリズムからジャポニスムへ』、名古屋大学出版会、480頁、1999年、『絵画の黄昏:エドゥアール・マネ没後の闘争』、名古屋大学出版会、467頁、1997年、共著書に(編著) 『東洋意識:夢想と現実のあいだ 1894-1953』、ミネルヴァ書房、京都、2012年4月20日、The 38th International Research Symposium: Questioning Oriental Aesthetics and Thinking: Conflicting Visions of “Asia” under the Colonial Empires International Research Symposium Proceedings38, International Research Center for Japanese Studies, Kyoto, 31 March 2011(『東洋美学と東洋的思惟を問う:植民地帝国下の葛藤するアジア像 -- 国際シンポジウム 第38集 --』 国際研究集会報告書 38、国際日本文化研究センター、京都、2011年3月31日)、(編著) 『異文化理解の倫理にむけて』、名古屋大学出版会、名古屋、2000年がある。  
  • 2020.04.10

    梁蘊嫻「第4回東アジア日本研究者協議会パネル『明治期の小説と口絵・挿絵―絵の役割―』報告」

    去る2019年11月1日から3日にかけて、「第4回東アジア日本研究者協議会国際学術大会」が台湾大学において開催された。私が企画したセッション「明治期の小説と口絵・挿絵―絵の役割―」は渥美国際交流財団グローバル研究会(SGRA)の派遣チームとして大会に参加した。 小説の挿絵は文学研究においても、美術史研究においても、重要視されていないが、本パネルの発表をとおして、挿絵研究という未開な分野が拓かれたらと思ったのが企画のきっかけであった。 一本目の発表は、東京大学の出口智之氏「明治期絵入り新聞小説と単行本の挿絵戦略―尾崎紅葉「多情多恨」に即して―」であった。 出口氏のご発表は、文芸の制作に関する近世と近代の連続性という問題意識に基いたものである。江戸時代の「戯作」は、近代におけるいわゆる「文学」と異なり、戯作者が口絵や挿絵の下絵も含めた稿本を作り、絵師はそれに従って絵を描くという工程で制作されていた。ところが〈近代文学〉の領域では、そうした絵師・画家に対する指示の存在は想定すらされておらず、作家たちは本文だけを執筆し、絵師・画家は完成した本文を読んで自由に描くという捉えかたが自明視されているようである。だが、はたして明治維新を経た途端に、そのような分業が短期間で成立するなどということがありうるのだろうか。出口氏の調査により、明治中期以降の近代文学の時代に入ってもなお、江戸期の戯作と同じように小説作者が口絵や挿絵に指示を出していたことが判明した。すなわち、明治の文学者たちにとってもなお、自作とは本文だけでなく口絵や挿絵とセットで認識されていたのである。 本文と口絵・挿絵との関係を検討するうえで、従来から取上げられてきた作家に尾崎紅葉がいる。彼は自作に絵は不要だとする、いわゆる挿絵無用論を唱えたことで知られ、その発言はこれまで、江戸的な挿絵との協奏から文学を自立させようとする近代的な意識だと捉えられてきた。これに対し、出口氏は紅葉・田山花袋の合作による「笛吹川」や紅葉単独の「青葡萄」など、『読売新聞』に連載された紅葉の絵入り小説を取上げ、彼がほぼすべての挿絵に対して指示を出していたこと、またそこでは当時一般的だった浮世絵風の絵を用いず、俳画のように景物だけを描いたり(「留守もやう」と呼ばれていた)、比喩表現に取材した絵を用いたりするなど、斬新な試みを行っていたことを明らかにした。 今回の発表で特に中心的に取上げられたのは、紅葉「多情多恨」初出時(『読売新聞』明治29年)と単行本(春陽堂、明治30年)に用いられた挿絵の違いである。出口氏の分析によると、初出時の挿絵には、「留守もやう」のような風致を添える絵だけでなく、より立ち入った試みが行われていた。たとえば、本文は室内の場面であるのに挿絵には戸外の様子が描かれ、鎖された障子によってその後ろで展開する物語を想像させたり、あるいは男女の手が沸騰する鉄瓶に押し当てられている絵によって、二人の関係が危うい領域に入ろうとしていることを暗示したりするなどの例である。出口氏は、「これは挿絵を排斥するのではなく、「文字と独立」した機能を持たせ、活用する試みだった」と指摘し、紅葉の挿絵は「人物を描かないことで、本作の主題である人物の心理に過度に干渉することなく、しかし紙面の中で読者の興味を物語に集めようとしていた」のだろうと説明した。つまり、本文とは別の角度から読者の興味を誘うとともに、挿絵にも何らかの意味を持たせるような、新しい画文共存のありかたを紅葉が試みたというのである。 続いて出口氏が注目したのは、『多情多恨』単行本で用いられた二枚の挿絵と、それに対して紅葉が与えた自筆の指示画である。紅葉はその指示画において、画面に余白や闇を残すなど、何も描かれていない部分に関する指示も出していた。出口氏はこの点への着目から、余白は妻を亡くした主人公が抱え込んだ心理的な空虚や、階下で働く女たちとの心理的な懸隔を隠喩していると解する。また、深夜に主人公のもとを訪れる友人の妻を取巻く暗闇は、家人たちが寝静まる闇の深さや、その後の関係の危うさを表現しているなどの解釈が提示された。そのうえで氏は、初出・単行本がいずれも挿絵とセットの形で示されていたことから、絵は不要であるという紅葉の発言を文字通りに受け取るのは危険だとし、これはむしろ挿絵を「文字と独立」させ、文章とは別個の機能を担うように活用したいという意味に解するほうが妥当だとした。 出口氏のご発表はまさに画期的な研究で、刺激的なものであり、「醍醐灌頂」の感すらあった。発表からいろいろ得るものはあったが、特に、出口氏が提出した「画文学」の概念に共鳴を覚えた。   「画文学」という視座、すなわち近代でも作家や編集部が口絵・挿絵の制作にかなり介入し、共同作業によって画―文がセットになった作品が生み出されたという前提に立ち、画と文の関係をあらためて捉えなおすことにより、文学・美術・出版・法制史・書誌学・広告など、幅広い領域につながる問題が提起されてくるはずである。   と出口氏がおっしゃったとおり、「画文学」は様々な領域と関わり、実に多岐にわたりうる研究である。このセッションをきっかけに、さまざまな分野で数多くの研究が生れることを期待している。   二本目の発表は私(梁蘊嫻)「明治時代に出版された『絵本通俗三国志』―青柳国松版を中心に―」であった。 『絵本通俗三国志』の原作は天保7(1836)年から天保12(1841)年にかけて出版された絵本読本(池田東籬作・二世葛飾北斎画)である。この作品は、明治時代になると、30種以上の異版も刊行された。これは、活版の時代になった明治期には、本屋仲間の結束による保護出版が終わり、自由な競争出版の社会になったことを示したものである。本発表では、明治20年に青柳国松によって出版された『絵本通俗三国志』を取り上げる。青柳国松『絵本通俗三国志』では、口絵は大蘇芳年のものであり、本文の挿絵は水野年方の筆によるものである。本作品から、古典としての二世北斎の絵を区別し、独自性を出そうとする出版社の意図が窺われる。本発表では、青柳国松を例として、「古典」を形成・再編し、継承する過程を辿りながら、古典の創造性について論じてみた。 青柳国松本は、明治15年に清水市次郎が出版したものを継承したものと思われるが、清水市次郎版と大きい違いが見られる。青柳国松は清水市次郎版の前半、すなわち小林年参の挿絵をすべて削除し、水野年方による挿絵を取り替え、全書を年方の絵で統一させたのである。新しく描かれた挿絵は大体二種にまとめることができる。(1)清水市次郎本と構図が異なるもの、(2)挿絵とされなかった場面が挿絵化となったもの、である。本発表では、清水市次郎本と重なった後半部分を除いて、前半部分について検討した。 青柳国松本は「古典」としての清水市次郎本を継承しながら、すべてを受け入れるわけではなく、古典と異なった新しさを出そうとしており、古典から離脱するものの集大成とも言える。その後、明治21年出版の銀花堂本は青柳国松本に描かれている水野年方の挿絵を使用し、寸法を大きくした。このように、斬新な青柳国松本は後の作品に対しては、いわゆる「古典」としての存在となったのである。 発表の後、活発な議論が交わされ、パネル発表が円満に終了した。聴衆は少なかったが、非常に刺激的で、充実したセッションであった。 今回のパネルのメンバーは、みんな私とご縁の深い方々だった。延広真治先生は東大時代の指導教授で、出口先生は、「手紙を読む会」で一緒に崩し字を読んできた仲間で、藍先生は大学時代の同級生だった。パネルを組んで台湾で研究発表を行い、討論することができたこと、誠に嬉しく思い、感慨無量だった。企画者として、あらためて皆さまに御礼を申し上げる。   当日の写真   < 梁 蘊嫻 Liang Yun-hsien > 台湾花蓮県出身。台湾、元智大学応用外国語学科助理教授。 2010年、東京大学総合文化研究科の博士号取得。専攻は、比較文学比較文化、日本における『三国志演義』の受容。論文には、「『諸葛孔明鼎軍談』における『三国志演義』の受容とその変容―「義」から「忠義」へ―」(『比較文学研究』83 号、2004 年3月)「呉服文織時代三国志』の虚構と真実―都賀庭鐘の歴史観―」(『国語と国文学』2017年4月号)、「トラン・アン・ユン『ノルウェイの森』と村上春樹『ノルウェイの森』の比較研究―映画と文学のはざま―」(『東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―メディアを中心に―』日本学研究叢書22、国立台湾大学出版中心、2016年8月)などがある。