越境する文化芸術

  • 2021.05.06

    陳龑「第15回SGRA-Vカフェ『鬼滅の刃』からみた日本アニメの文化力の報告」

      3月20日(土)、第15回SGRA-Vカフェが開催された。コロナ禍のためオーディエンスは全員オンラインで参加する形式で行われたが、オンラインだからこそ日中韓「同時通訳・同時翻訳付き」の3言語開催が実現できたとも言える。今回の企画・準備・運営においては、新型コロナウィルス対策や新たなオンラインの可能性を探るさまざまな試みが行われ、視聴者の積極的な参加と財団スタッフの努力によって、世界中から集まった200人を超える参加者を満足させるウェビナーに「仕上げ」ることができた。   今回のテーマ設定の背景にささやかなストーリーがある。2年前に日中映画に関するSGRAチャイナフォーラムが北京で開催されたことをきっかけに、私は「いつか“アニメ”に関連するテーマも取り扱ってみたい」と思い始め、2019年度のチャイナフォーラムで大塚英志先生をお誘いして日本のマンガ・アニメ業界の特徴とされている「メディアミックス」について語っていただいた。その際の反響が良かったので、今度は東京で開催するSGRAカフェでもアニメに関連するテーマを取り上げたいという思いがあった。当初は「アニメの文化研究」をテーマに、と考えたが、具体的な話の「入口」がなかなか決まらなかった。その理由は、アニメ研究の歴史はあまり長くないにもかかわらず、メディアの発展に伴いアニメ自体の在り方も急速に変化し続けているということ、また、代表的な作品・作家・時代と現象の事例が意外と多いと言うことからであった。   悩んでいた時に、タイミングよく話題作が現れた…!――『鬼滅の刃』である。興行収入が『千と千尋の神隠し』を抜いて歴代ランキング第1位になり、原作のファンだけではなく、世界中のアニメファンやそれまでアニメに興味が無かった人々からも注目を集めていた。そこで早速、アニメーション研究家の津堅信之先生に「『鬼滅の刃』からみた日本アニメの文化力」というテーマをお伝えし、講演内容を考えていただいた。偶然にも津堅先生の著書は中国語と韓国語にも翻訳されていたので、今回の3言語開催のウェビナーにとっては最適なゲストだったと言えよう。   当日は、同時通訳はもちろん、投影されるスライドも3言語対応で用意された。また、ウェビナーのQ&Aに寄せられたコメントをリアルタイムで3言語に翻訳するべく、渥美奨学生のみなさんもオンラインで待機してくださった。定時に開会後、2016年度奨学生の全相律さん(韓国出身)が渥美財団とSGRAの紹介をし、筆者(中国出身)から講演ゲストの津堅先生を紹介した。この部分のアレンジも運営側の特別な手配がうかがえる。   第1部の津堅先生の講演は、『鬼滅の刃』がヒットした理由の分析とその実像の説明から始まった。そして、実は『鬼滅』の劇場版(或いは映画版)は原作のファンをターゲットにして制作されただけで、そのビジネスモデルははるか前から日本のアニメ業界で形成されていたもので、一般人にまで広まる空前の大ヒットとなることは誰も想像だにしなかった、と説明された。スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫は、「(興行収入)100億円までは作品の実力、それ以上は社会現象」と語っている。今回その「社会現象」が起きた理由については様々な専門家が分析しているが、津堅先生は無視できない事実として2点挙げられた。一つは、新型コロナウィルスの感染拡大によって、多くの映画の公開が延期になり、映画館に生じた空き時間に『鬼滅』が集中的に上映されたこと。実際、とある映画館の4つのスクリーンで、15分おきに上映が始まるという普段ではありえない状況が起きていた。   もう一つは、劇場版の『鬼滅』の映像美やストーリー性の高さが原作のファンを満足させる質の高いものだったため、初期の段階で見に行った原作ファン(10日間で100億円を超えた)の口コミがかなり良く、原作ファン以外の観客も「それほど評判なら一度は見に行こう」と考え、非常に大きな相乗効果が生まれ、その「相乗効果」が「興行収入歴代トップ」の結果をもたらした。余談として、『鬼滅』の中で、「全集中」という言葉が出てくるが、これが実社会でもあらゆる場面で使われ、津堅先生によると「総理大臣が国会でも使っていた」とのことだった。(注:2020年11月2日の衆院予算委員会で『全集中の呼吸』で答弁させていただく」と答弁。江田憲司立憲民主党代表代行の質問に)   では、この大ヒットとなった『鬼滅の刃』現象は日本アニメの歴史の中ではどのように位置づけられるだろうか。津堅先生は、1960年代から日本アニメがたどってきた道を整理しながら、その「魅力」がどこにあるのを分析された。   戦後の代表作で日本初の長編アニメ『白蛇伝』の公開後、1963年の『鉄腕アトム』テレビシリーズが日本アニメの「特徴」と「伝統」を作り上げた。毎週30分が1話のサイクルで放映するパターンの定着である。当時は世界でもテレビアニメの供給がまだ少なかった時期で、先行していたアメリカのテレビアニメは1話5~10分の長さでギャグネタを1つだけ紹介するのが主流だった。それに対して、日本アニメは1話が30分だったので、キャラクターの感情をより豊かに描くことができた。その後、時代の変化と共にテレビアニメが多く制作されるようになった現在でも、この1話30分パターンが続いている。   70年代に入るとテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)と『機動戦士ガンダム』(1979年)が子ども向けではない複雑なストーリー、キャラクターの心理描写を重視し、「ヤングアダルト」向けという世界的に見て稀なジャンルを確立した。この頃からテレビアニメの人気作において、オリジナルのストーリーから長編アニメが制作され、映画館で公開される「劇場版」という新ジャンルが生まれた。以上の2点から、人気マンガを原作としてテレビアニメ化し、その後劇場版をつくるという一連の制作スタイルが一つの定型となり、これが『鬼滅の刃』へとつながっている。   80年代のアニメ業界はマンガ雑誌「週刊少年ジャンプ」連載のテレビアニメ化の全盛期を迎え、代表作の数々(『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『幽☆遊☆白書』『るろうに剣心』『One Piece』など)が、それぞれ異なるブームを形成した。スタジオジブリの活動が本格化した時期も80年代。宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』(1984年)、『天空の城ラピュタ』(1986年)、『となりのトトロ』(1988年)など現代を鋭く批判し社会性を帯びた一連の作品が、それまでアニメに興味のなかった観客からも注目された。   90年代以後、人気マンガが原作の制作スタイルとジブリのオリジナルアニメ映画がそれぞれの発展を果たし、それに加えてアニメ制作におけるデジタル化が進み、日本独自のデジタル技術が発達した。   以上のように日本アニメの歴史を整理した後、津堅先生が日本アニメの「独自性」と「文化力」をまとめた。ジャンルが多様でヤングアダルト向け、また、3DCG(=3ディメンション・コンピュータグラフィックス)ではなく2D(=2ディメンション)デジタルを中心に発展してきた日本アニメが、国外に対する新たな日本文化として発信され、アニメの舞台になった国内スポットが注目されたり、登場する日本食が流行したりする現象をもたらした。   盛りだくさんだった講演後、第2部の対談では私自身がインタビュアーとなり、津堅先生と3つの話題を中心に語ってみた。まずは、講演の中では触れられていなかった『鬼滅』の内容について、主人公のキャラクター設定が従来の「ジャンプ系主人公」より「成長のスピードが遅い」「相対的に弱い」点についてお話を聞いた。津堅先生からみれば、これまでと大きな違いはなく、やはり日本アニメの伝統通り主人公が成長するプロセスを強調しながら表現している、と述べられた。また、「これから誰が日本アニメを見るのか」「観客の多様化や変化は日本アニメに影響するか」という話題に対しては、海外の観客が大幅に増えていることを前提として、日本アニメ自体を最初から世界向けに企画・制作すべきだというのが津堅先生のご意見だった。   最後に、津堅先生の研究の重要な論点の一つと繋がる「アニメ」と「アニメーション」の使い分けについて伺った。津堅先生は商業的アニメと芸術系のアニメーションの区別や、ファミリー向けと大人向けのジャンル分け、および制作スタイルの違いあるいは地域などによって言葉の定義が異なると説明された(例えば欧米では、ポケモンはファミリーの棚に、ジブリが「アニメ」に、ディズニーが「アニメーション」になど;中国でも「動画」「動漫」などがある)。また、こうした言葉の使い分けについては、地域の文化の中での変遷を分析することで理解が進むと強調された。   第3部のオーディエンスからのQ&Aでは、多くの質問の中から2012年度渥美奨学生のソンヤ・デールさんに代表的な内容をピックアップしてもらい、「日本アニメの海外展開」や「アニメ研究を始めたきっかけ」、「日本アニメの暴力表現」などについて津堅先生と筆者とがそれぞれの経験と理解からお答えした。   3言語「同時通訳・同時翻訳」を実現した初のオンライン版SGRAカフェが終わったが、SGRAでは今回の経験を生かして「次は英語の同時通訳もつけてさらにグローバルに発信する」を目指すらしい。今後のウェビナーがどのような「盛り上がり」を見せるのか、楽しみである。   当日の写真   フィードバックの集計   当日の録画     英語版はこちら     <陳龑(ちん・えん)CHEN Yan> 京都精華大学マンガ学部専任講師。2017 年度渥美奨学生。北京大学学士、東京大学大学院総合文化研究科修士・博士課程単位取得満期退学。研究領域はアニメーション史、日中アニメ・マンガ交流史、「動漫」「IP」の概念史など。研究以外、マルチクリエイター・プロデューサーとして日中コンテンツ業界にて活動中。     2021年5月6日配信
  • 2021.01.25

    第15回SGRA-Vカフェ「『鬼滅の刃』からみた日本アニメの文化力」へのお誘い

    下記の通り第15回SGRA-Vカフェをオンラインで開催いたします。参加ご希望の方は、事前に参加登録をお願いします。聴講者はカメラもマイクもオフのZoomウェビナー形式で開催しますので、お気軽にご参加ください。   テーマ:「『鬼滅の刃』からみた日本アニメの文化力」 日 時:2021年3月20 日(土)午後3時~4時30分(日本時間) 方 法: Zoomウェビナー による 言 語: 日中韓3言語同時通訳付き 主 催:渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 申 込:こちらよりお申し込みください   お問い合わせ:SGRA事務局([email protected] +81-(0)3-3943-7612)        ■ テーマ「『鬼滅の刃』からみた日本アニメの文化力」   昨年の長編アニメ『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』の大ヒットは、日本の現代文化におけるアニメ の強さをあらためて印象づけた。一方でアニメは大衆文化の中でも日陰の存在だった時期は長く、決して順調に発展してきたわけではない。そんなアニメが現在に至る歴史、世界的視野からみた独自性の確立、これまでにヒット・注目された作品の特徴、そしてアニメがこれからも発展し、日本を代表する大衆文化としての力を持続するための課題、展望について解説する。     ■ プログラム   第1部(15 :00-15:30) 司会: 陳 龑(京都精華大学マンガ学部専任講師)   講演「『鬼滅の刃』からみた日本アニメの文化力」 津堅信之(アニメーション研究家、日本大学藝術学部映画学科講師)   第2部(15:30-16:00) 対談/インタビュー   津堅信之×陳 龑   第3部(16:00-16:30) 質疑応答(会場+オンライン)   韓国語版サイト 中国語(簡体字)版サイト 中国語(繁体字)版サイト
  • 2020.12.03

    孫建軍「第14回SGRAチャイナフォーラム『東西思想の接触圏としての日本近代美術史再考』報告」

    2020年11月1日午後、第14回SGRAチャイナフォーラム『東西思想の接触圏としての日本近代美術史再考』がオンラインのウェビナー形式で開催された。北京大学民主楼(燕京大学の教会だった場所)の講堂には大学院生30名近くが集まり、ささやかな会場が設けられていた。   日本時間の午後4時、北京時間の午後3時の定刻より、フォーラムが始まった。今西淳子常務理事に続き、国際交流基金北京日本文化センターの高橋耕一郎所長が開会の挨拶をして、滑り出しは順調だった。   国際日本文化研究センター稲賀繁美教授の講演テーマは「中国古典と西欧絵画との理論的邂合―東西思想の接触圏としての日本近代美術史再考」。近代にさしかかった時代から、時には新型コロナウイルスのように恐れられていた西洋文明が東アジアに影響を及ぼすようになった。絵画の世界においても、日本、中国、ヨーロッパといった3者の往来、交錯が顕著に見られた。稲賀先生は美しい絵を見せながら、「気韻生動」、「感情移入」等の美学の概念、そしてそれらを一身に背負う画家にスポットを当て、解説を行った。ところが、大変残念なことに、機械の音声トラブルが生じ、先生の声が途切れたりした。   講演に続き、清華大学歴史系の劉暁峰先生、東京大学東洋文化研究所の塚本麿充先生、清華大学中文系の王中忱先生(公務のため当日は参加できず、中国社会科学院文学研究所の高華鑫先生が代読)、香港城市大学中文及び歴史学科の林少陽先生よりそれぞれの専門的知見に基づいたコメントが述べられた。   その後の質疑応答の時間も音声トラブルで稲賀先生とのやりとりに困難が続いたが、先生ご自身をはじめ、通訳者、渥美財団のスタッフの懸命なご尽力がスクリーンを通して目に焼き付いた。   2020年はコロナへの恐怖から始まったといっても過言ではない。今年のチャイナフォーラムの開催は難しいと半分諦めていたが、8月頃から急ピッチで準備が進められた。形式、日時、テーマ、講演者、コメンテーター、ポスターなど、多くの方々に支えられながら開催に至った。参加者の理解を促すために、講演内容に関連する数々の論文が事前に紹介されたのも印象的だった。300名近い当日の参加者数もチャイナフォーラム開催以来、最大の数字を誇る。深く御礼を申し上げたい。   どんなに素晴らしい美術品にも欠点が存在するように、今回のフォーラムでは音声トラブルにより講演内容を十分堪能できなかったとのご指摘を真摯に受け止めたい。フォーラムの全容は、日本語版と中国語版の合冊レポートにまとめ、2021年春に冊子とPDFで発行する予定である。改めて当日の機械の不具合についてお詫びし、お聞き苦しかった点はレポートで補っていただきたい。   当日の写真   アンケート集計   中国語版はこちら   <孫建軍(そん・けんぐん)SUN Jianjun> 1990年北京国際関係学院卒業、1993年北京日本学研究センター修士課程修了、2003年国際基督教大学にてPh.D.取得。北京語言大学講師、国際日本文化研究センター講師を経て、北京大学外国語学院日本言語文化系副教授。専攻は近代日中語彙交流史。著書『近代日本語の起源―幕末明治初期につくられた新漢語』(早稲田大学出版部)。     2020年12月3日配信
  • 2020.10.07

    第14回SGRAチャイナVフォーラム「東西思想の接触圏としての日本近代美術史再考」へのお誘い

    下記の通りSGRAチャイナVフォーラムをオンライン(Zoom)で開催いたします。 参加ご希望の方は、事前に参加登録をお願いします。 今回は、聴講者はご自分のカメラもマイクもオフのWebinar形式で開催しますので、お気軽にご参加ください。   テーマ:「東西思想の接触圏としての日本近代美術史再考」 日時:  2020年11月1日(日)午後3時~4時30分(北京時間)/午後4時~5時30分(東京時間) 方 法:  Zoom Webinar による 主 催: 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 協 力: 清華東亜文化講座、北京大学日本文化研究所 後 援: 国際交流基金北京日本文化センター   ※参加申込(クリックして登録してください) お問い合わせ:SGRA事務局( [email protected] +81-(0)3-3943-7612)     ■フォーラムの趣旨 江戸時代後期以降、日本には西洋の諸理論が流入し、絵画においても、それまで規範であった中国美術の受容とそれを展開していく過程に西洋理論が影響を及ぼすようになっていった。一方、絵画における東洋的な伝統や理念が西洋の画家たちに影響を与え、さらにそれが日本や中国で再評価されるという動きも起こった。本フォーラムでは、その複雑な影響関係を具体的に明らかにすることで、日本近代美術史を東洋と西洋の思想が交錯する場として捉え直し、東アジアの多様な文化的影響関係を議論したい。日中同時通訳付き。   ■プログラム 総合司会:孫 建軍(北京大学日本文化学部) 開会挨拶:今西淳子(渥美国際交流財団)   【講演】稲賀繁美(国際日本文化研究センター) 「中国古典と西欧絵画との理論的邂合—東西思想の接触圏としての日本近代美術史再考」   【討論】 劉 暁峰(清華大学歴史系) 塚本麿充(東京大学東洋文化研究所) 王 中忱(清華大学中文系)/ 高華鑫(中国社会科学院文学研究所)代読 林 少陽(香港城市大学中文及歴史学科)   【質疑応答】   閉会挨拶:劉 暁峰(清華大学歴史系)   ※プログラムの詳細は、下記URLをご参照ください。 日本語  中国語   ■発表要旨 渡邊崋山から橋本関雪までの画人がいかに中国の美術理論を西洋理論と対峙するなかで咀嚼したかを検討する。とりわけ「気韻生動」の概念がいかに西洋の美学理論に影響を与えたかをホイスラーからアーサ・ダウに至る系譜に確認するとともに、それが大正期の表現主義の流行のなかで、いかに日本近代で再評価され、「感情移入」美学と融合をとげ、更にそれが、豊子愷らによって中国近代に伝播したかを鳥瞰する。この文脈でセザンヌを中国美学に照らして評価する風潮が成長し、またそれと呼応するように、石濤が西欧のキリスト教神秘主義と混線し、東洋研究者のあいだで評価されるに至った経緯も明らかにする。   ※なお、本フォーラムでは講演を契機とした活発な議論が展開されることを期待し、事前に講演内容に関連する以下の論文を紹介する。 ◆「岡倉天心」関係: 稲賀繁美「天心・岡倉覚三と五浦―イギリス・ロマン主義特輯号の余白に―」 稲賀繁美「岡倉天心とインド―越境する近代国民意識と汎アジア・イデオロギーの帰趨」 ◆橋本関雪の周辺: 稲賀繁美「表現主義と気韻生動―北清事変から大正年末に至る橋本関雪の軌跡と京都支那学の周辺―」 ◆近代の南画復興と日中交流: 稲賀繁美著 王振平訳「論豊子愷《中国美術在現代芸術上勝利》与日訳作品在接受西方思想時的媒介作用」 ◆サン・ディエゴでの中日美術交流に関する会議の報告: 稲賀繁美「日本美術と中国美術の<あいだ>(上)石橋財団国際シンポジウム(2018年11月2-4日)に出席して」 稲賀繁美「日本美術と中国美術の<あいだ>(下)石橋財団国際シンポジウム(2018年11月2-4日)に出席して」   [講師略歴] 稲賀繁美(いなが・しげみ) 国際日本文化研究センター 教授。1988年東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻博士課程単位取得退学、1988年パリ第七大学 (新課程) 博士課程修了。博士(文学)。東京大学教養学部助手、三重大学人文学部助教授を経て、1997年国際日本文化研究センター助教授、2004年より国際日本文化研究センター教授。専門は比較文学比較文化、文化交流史。主な単著書に『絵画の臨界 : 近代東アジア美術史の桎梏と命運』、名古屋大学出版会、2014年1月、『絵画の東方 オリエンタリズムからジャポニスムへ』、名古屋大学出版会、480頁、1999年、『絵画の黄昏:エドゥアール・マネ没後の闘争』、名古屋大学出版会、467頁、1997年、共著書に(編著) 『東洋意識:夢想と現実のあいだ 1894-1953』、ミネルヴァ書房、京都、2012年4月20日、The 38th International Research Symposium: Questioning Oriental Aesthetics and Thinking: Conflicting Visions of “Asia” under the Colonial Empires International Research Symposium Proceedings38, International Research Center for Japanese Studies, Kyoto, 31 March 2011(『東洋美学と東洋的思惟を問う:植民地帝国下の葛藤するアジア像 -- 国際シンポジウム 第38集 --』 国際研究集会報告書 38、国際日本文化研究センター、京都、2011年3月31日)、(編著) 『異文化理解の倫理にむけて』、名古屋大学出版会、名古屋、2000年がある。  
  • 2020.04.10

    梁蘊嫻「第4回東アジア日本研究者協議会パネル『明治期の小説と口絵・挿絵―絵の役割―』報告」

    去る2019年11月1日から3日にかけて、「第4回東アジア日本研究者協議会国際学術大会」が台湾大学において開催された。私が企画したセッション「明治期の小説と口絵・挿絵―絵の役割―」は渥美国際交流財団グローバル研究会(SGRA)の派遣チームとして大会に参加した。 小説の挿絵は文学研究においても、美術史研究においても、重要視されていないが、本パネルの発表をとおして、挿絵研究という未開な分野が拓かれたらと思ったのが企画のきっかけであった。 一本目の発表は、東京大学の出口智之氏「明治期絵入り新聞小説と単行本の挿絵戦略―尾崎紅葉「多情多恨」に即して―」であった。 出口氏のご発表は、文芸の制作に関する近世と近代の連続性という問題意識に基いたものである。江戸時代の「戯作」は、近代におけるいわゆる「文学」と異なり、戯作者が口絵や挿絵の下絵も含めた稿本を作り、絵師はそれに従って絵を描くという工程で制作されていた。ところが〈近代文学〉の領域では、そうした絵師・画家に対する指示の存在は想定すらされておらず、作家たちは本文だけを執筆し、絵師・画家は完成した本文を読んで自由に描くという捉えかたが自明視されているようである。だが、はたして明治維新を経た途端に、そのような分業が短期間で成立するなどということがありうるのだろうか。出口氏の調査により、明治中期以降の近代文学の時代に入ってもなお、江戸期の戯作と同じように小説作者が口絵や挿絵に指示を出していたことが判明した。すなわち、明治の文学者たちにとってもなお、自作とは本文だけでなく口絵や挿絵とセットで認識されていたのである。 本文と口絵・挿絵との関係を検討するうえで、従来から取上げられてきた作家に尾崎紅葉がいる。彼は自作に絵は不要だとする、いわゆる挿絵無用論を唱えたことで知られ、その発言はこれまで、江戸的な挿絵との協奏から文学を自立させようとする近代的な意識だと捉えられてきた。これに対し、出口氏は紅葉・田山花袋の合作による「笛吹川」や紅葉単独の「青葡萄」など、『読売新聞』に連載された紅葉の絵入り小説を取上げ、彼がほぼすべての挿絵に対して指示を出していたこと、またそこでは当時一般的だった浮世絵風の絵を用いず、俳画のように景物だけを描いたり(「留守もやう」と呼ばれていた)、比喩表現に取材した絵を用いたりするなど、斬新な試みを行っていたことを明らかにした。 今回の発表で特に中心的に取上げられたのは、紅葉「多情多恨」初出時(『読売新聞』明治29年)と単行本(春陽堂、明治30年)に用いられた挿絵の違いである。出口氏の分析によると、初出時の挿絵には、「留守もやう」のような風致を添える絵だけでなく、より立ち入った試みが行われていた。たとえば、本文は室内の場面であるのに挿絵には戸外の様子が描かれ、鎖された障子によってその後ろで展開する物語を想像させたり、あるいは男女の手が沸騰する鉄瓶に押し当てられている絵によって、二人の関係が危うい領域に入ろうとしていることを暗示したりするなどの例である。出口氏は、「これは挿絵を排斥するのではなく、「文字と独立」した機能を持たせ、活用する試みだった」と指摘し、紅葉の挿絵は「人物を描かないことで、本作の主題である人物の心理に過度に干渉することなく、しかし紙面の中で読者の興味を物語に集めようとしていた」のだろうと説明した。つまり、本文とは別の角度から読者の興味を誘うとともに、挿絵にも何らかの意味を持たせるような、新しい画文共存のありかたを紅葉が試みたというのである。 続いて出口氏が注目したのは、『多情多恨』単行本で用いられた二枚の挿絵と、それに対して紅葉が与えた自筆の指示画である。紅葉はその指示画において、画面に余白や闇を残すなど、何も描かれていない部分に関する指示も出していた。出口氏はこの点への着目から、余白は妻を亡くした主人公が抱え込んだ心理的な空虚や、階下で働く女たちとの心理的な懸隔を隠喩していると解する。また、深夜に主人公のもとを訪れる友人の妻を取巻く暗闇は、家人たちが寝静まる闇の深さや、その後の関係の危うさを表現しているなどの解釈が提示された。そのうえで氏は、初出・単行本がいずれも挿絵とセットの形で示されていたことから、絵は不要であるという紅葉の発言を文字通りに受け取るのは危険だとし、これはむしろ挿絵を「文字と独立」させ、文章とは別個の機能を担うように活用したいという意味に解するほうが妥当だとした。 出口氏のご発表はまさに画期的な研究で、刺激的なものであり、「醍醐灌頂」の感すらあった。発表からいろいろ得るものはあったが、特に、出口氏が提出した「画文学」の概念に共鳴を覚えた。   「画文学」という視座、すなわち近代でも作家や編集部が口絵・挿絵の制作にかなり介入し、共同作業によって画―文がセットになった作品が生み出されたという前提に立ち、画と文の関係をあらためて捉えなおすことにより、文学・美術・出版・法制史・書誌学・広告など、幅広い領域につながる問題が提起されてくるはずである。   と出口氏がおっしゃったとおり、「画文学」は様々な領域と関わり、実に多岐にわたりうる研究である。このセッションをきっかけに、さまざまな分野で数多くの研究が生れることを期待している。   二本目の発表は私(梁蘊嫻)「明治時代に出版された『絵本通俗三国志』―青柳国松版を中心に―」であった。 『絵本通俗三国志』の原作は天保7(1836)年から天保12(1841)年にかけて出版された絵本読本(池田東籬作・二世葛飾北斎画)である。この作品は、明治時代になると、30種以上の異版も刊行された。これは、活版の時代になった明治期には、本屋仲間の結束による保護出版が終わり、自由な競争出版の社会になったことを示したものである。本発表では、明治20年に青柳国松によって出版された『絵本通俗三国志』を取り上げる。青柳国松『絵本通俗三国志』では、口絵は大蘇芳年のものであり、本文の挿絵は水野年方の筆によるものである。本作品から、古典としての二世北斎の絵を区別し、独自性を出そうとする出版社の意図が窺われる。本発表では、青柳国松を例として、「古典」を形成・再編し、継承する過程を辿りながら、古典の創造性について論じてみた。 青柳国松本は、明治15年に清水市次郎が出版したものを継承したものと思われるが、清水市次郎版と大きい違いが見られる。青柳国松は清水市次郎版の前半、すなわち小林年参の挿絵をすべて削除し、水野年方による挿絵を取り替え、全書を年方の絵で統一させたのである。新しく描かれた挿絵は大体二種にまとめることができる。(1)清水市次郎本と構図が異なるもの、(2)挿絵とされなかった場面が挿絵化となったもの、である。本発表では、清水市次郎本と重なった後半部分を除いて、前半部分について検討した。 青柳国松本は「古典」としての清水市次郎本を継承しながら、すべてを受け入れるわけではなく、古典と異なった新しさを出そうとしており、古典から離脱するものの集大成とも言える。その後、明治21年出版の銀花堂本は青柳国松本に描かれている水野年方の挿絵を使用し、寸法を大きくした。このように、斬新な青柳国松本は後の作品に対しては、いわゆる「古典」としての存在となったのである。 発表の後、活発な議論が交わされ、パネル発表が円満に終了した。聴衆は少なかったが、非常に刺激的で、充実したセッションであった。 今回のパネルのメンバーは、みんな私とご縁の深い方々だった。延広真治先生は東大時代の指導教授で、出口先生は、「手紙を読む会」で一緒に崩し字を読んできた仲間で、藍先生は大学時代の同級生だった。パネルを組んで台湾で研究発表を行い、討論することができたこと、誠に嬉しく思い、感慨無量だった。企画者として、あらためて皆さまに御礼を申し上げる。   当日の写真   < 梁 蘊嫻 Liang Yun-hsien > 台湾花蓮県出身。台湾、元智大学応用外国語学科助理教授。 2010年、東京大学総合文化研究科の博士号取得。専攻は、比較文学比較文化、日本における『三国志演義』の受容。論文には、「『諸葛孔明鼎軍談』における『三国志演義』の受容とその変容―「義」から「忠義」へ―」(『比較文学研究』83 号、2004 年3月)「呉服文織時代三国志』の虚構と真実―都賀庭鐘の歴史観―」(『国語と国文学』2017年4月号)、「トラン・アン・ユン『ノルウェイの森』と村上春樹『ノルウェイの森』の比較研究―映画と文学のはざま―」(『東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―メディアを中心に―』日本学研究叢書22、国立台湾大学出版中心、2016年8月)などがある。