宗教と現代社会

エリック・シッケタンツ「第47回SGRAフォーラム『科学技術とリスク社会~福島第一原発事故から考える科学技術と倫理~』報告」

近年、科学技術の進歩が人間社会に恩恵をもたらす一方で、巨大科学技術、先端科学技術がもたらす危険(リスク)も大きな議論となりつつある。

 

2011年3月の福島第一原子力発電所事故をきっかけとして、科学技術の限界および専門家への信頼の危機が問われ、今後一般社会は科学とどう付き合っていくべきか、リスクの管理がどのような形によって行われていくべきかという諸問題が、日本社会において多くの市民の関心を引いている。

 

2014年5月31日(土)午後1時30分~4時30分、第47回SGRAフォーラム「科学技術とリスク社会~福島第一原発事故から考える科学技術と倫理~」が東京国際フォーラムで開催された。

 

本フォーラムでは、3・11と福島第一原発事故という具体的な問題設定を通じて、科学と社会の関係について多方面からの問いかけが行われた。

 

フォーラムは、上智大学神学部の島薗進教授と大阪大学コミュニケーションデザインセンターの平川秀幸教授が発表と対談を行った後に、参加者と一体となったオープンディスカッションを行った。50人を超えるオーディエンスの数も社会における関心と反響を反映していた。

 

はじめに、理化学研究所の崔勝媛研究員(生物学専攻)が、個人としての立場から科学者の役割についての考察を行った。崔氏は、科学が社会にどう役に立つかが良く問われるが、研究者にとって研究の第一動機は「好奇心」だと述べた。そこで浮かび上がる大きな問題は、科学が皆が望むように役立つためには、科学だけではなく、人間社会におけるさまざまな問題を乗り越える必要があるということだ。原子力のことも、問題の原点は原子力研究そのものではなく、それを扱う人の問題なのだと述べた。

 

つづいて、島薗教授と平川教授は、それぞれいくつかの具合的な問題点や出来事を取り上げながら問題提起を行った。

 

島薗氏は放射線用の安定ヨウ素剤配布・服用や低線量被爆の健康影響情報などの問題をめぐって、専門家や政府の判断基準の欠陥および民間との間のコミュニケーションにおける問題について触れた。また、マスメディアにおける、<安全・安心>概念の言説を批判的に検討し、その公共的問題を締め出すための道具となっていると指摘し、市民間での不安を避けるという理由で結果として真実を隠してしまうことを正当化させていると、マスメディアの反応における問題点を紹介した。島薗氏の発表において、政治・経済的利害関心と科学技術の絡み合いが大きな問題として紹介された。

 

平川教授はより抽象的な観点から問題を扱い、今までの主なリスク定義を批判的に考察した。平川氏によると、従来、リスクの定義は科学的な次元に限定され、それ以外の側面が無視されてきている。ゆえに、リスクの解決も科学に基づいた政策決定によって片付けられてしまっているが、その結果は一方的に政府から市民に伝えられ、市民に理解を押し付ける形となっている。これに対して、平川氏はリスクを科学や政治などの各領域間の交差を中心とするトランスサイエンス概念から考察するというオールタネイティブを提供し、今までのリスクコミュニケーションとリスク認知における複雑性を指摘しながら、民主的な意思決定を尊重するリスク管理の必要性を主張した。

 

その後、筆者がモデレーターとなり、二人の発題者の対談が行われた。まず、今年の3月に原子放射線の影響に関する国連科学委員会の報告書が公開されたことをきっかけとして、現在の福島がもたらす健康に対する影響について両発題者に尋ねた。国連の報告書は、原発事故による健康に対する影響に対してやや懐疑的な態度を取り、一部のメディアでは、報告書は健康に対する影響がないと言っているように解釈されている。両発題者は国連の報告書の背景にある政治および報告書の結論に疑問を唱えた国連科学委員会委員などを取り上げ、健康に対する影響という問題に関してはまだ油断できないと主張し、報告書を通じて科学と政治の絡み方に言及した。

 

休憩後、デール・ソンヤ氏(社会学専攻)の司会進行によりオープンディスカションが行われた。

 

オーディエンスから質問、発言を受けて、両発題者は今までの議論をさらに深めた。ディスカションにおいて、中心的なキーワードとして、「信頼」という概念が取り上げられ、市民の信頼を得るために、専門家との関係をいかに改善すべきかという問題が議論された。

 

島薗氏は、問題解決に参与している専門家の範囲を拡大して、よりオープンにしても、権威の問題は常に残ってしまうと指摘したが、「正しい権威」を創造する制度の成立に解決の可能性を見出したいと述べた。平川氏は政治的な絡みがなくても、常に問題の具体的な設定や使用されている解決枠組みなど、何らかのバイアスがかかっていると指摘し、「歪んでいない科学者はいない」と述べた。ただ、そこでできることは、議論に参加する専門家やステークホルダーの多様性を可能な限り増やすことだと主張した。

 

このように、両者は今後のリスク管理においてより充実した抑制と均衡のシステムが必要だと主張し、科学技術におけるデュープロセスの導入を唱えた。そのため、今後避けるべきなのは政治と経済との繋がりを持つ少人数の専門家の閉鎖的な措置によるリスク管理である。そして、健康に対する影響より、今回の原発事故がもたらした最大のダメージは社会における信頼に対する危害であったのではないか、と述べた平川氏が印象的であった。平川氏が説明するように、原子力産業は「安全」と「安心」のためという名目で、社会の視野の外に置かれていたことが今回の危機の大きな背景の一つである。その意味では今回の事故が科学、政治と社会の関係を再考して再構築するきっかけともなればと筆者は期待する。

 

最後に、福島県飯舘村からの参加者は放射能のリスクについて調べた上で、飯舘村に帰ると決心したが、まわりからはこの決心に対してなかなか理解を得られないという状況についての紹介があった。また、飯舘村に帰還するか否かの判断を強いられている避難生活者の視点から科学技術の問題を考えると「人間にとって幸せとはなにか」を考えざるを得ない、最後に行き着くのは哲学や宗教の領域の問題ではないかと思えてくる、との発言があり強く印象に残った。

 

オーディエンスからの質問が途切れなく続き、オープンディスカションの90分はあっという間に経ってしまい、4時30分の閉会の時間が来た。

 

今回のSGRAフォーラムは、今後日本社会が直面し続ける重要な課題についてさまざまな観点から考えさせるきっかけとなった。

 

当日の写真
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<エリック・シッケタンツ ☆ Erik Schicketanz>
2001年イギリスロンドン大学アフリカ・東洋研究学院修士号取得(日本近代史)、2005年東京大学大学院人文社会系研究科修士号取得(宗教史学)。2012年、同大学大学院人文社会系研究科宗教学専攻博士号取得。現在、同大学死生学・応用倫理センター特任研究員。研究関心は近代仏教、近代中国の宗教、近代日本の宗教、近代国家と宗教の関係。
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2014年7月16日配信