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エッセイ443:奇 錦峰「憂慮すべき現在の中国大学生(その7)」

「憂慮すべき現在の中国の大学生(その1)」

「憂慮すべき現在の中国の大学生(その2)」

「憂慮すべき現在の中国の大学生(その3)」

「憂慮すべき現在の中国の大学生(その4)」

「憂慮すべき現在の中国の大学生(その5)」

「憂慮すべき現在の中国の大学生(その6)」

 

3. 多くの大学中の変な雰囲気

 

3.1 2種類の「無駄論」

 

次に大学の中身を覗いて見ましょう。近年、中国各地の大学が「研究型大学を建設しよう」という目標を掲げ、「研究を大事に、教育を軽く」という教員評価をするようになったために、皆「研究、開発、論文」などに全力を尽し、直接的な学生教育を軽視するのが一般的な現象となっている。教官たちは本業(講義)に興味が薄く、地位の高い教員ほど教壇に立たない。若い教師たちを代わり教壇に立たせ、教授は、研究指導の名目で後ろでブラブラしたり、行政的仕事、及びエンドレスな会議で時間を費やしたりしていることが意外に多いようだ。

 

政府の教育管理部門は「教育の質量を保つためには、まず数量を保証しよう」という政策を示したから、人々はこの政策を「大学の本科教育の高校化、修士教育の大学化、博士教育の修士化」していると冗談の種にしている。学術研究の不正行為や汚職、講義や監督の担い手の疲労、教授の教育前線からの脱走の黙認、カリキュラム時間の大幅な短縮等々……大学教育が崩れ去っていると言わざるを得ない状況である。一方、「勉強は無駄(勉強無用/読書無用)」という愚かな言い方が、最近再び氾濫し始めたように思う。最近は「知識の単価」が上がり、貧しい人にとって、教育費用を支払うことがかなり困難になったことと、大学レベルの教育を受けても仕事が見つからないこと等々の理由から、この「無駄論」が出て来たと思われる。教育の公平性は、社会の公平の基礎で、教育が公平でなければ社会正義を達成することは出来ないであろう。貧しい家庭の子供たちが貧困のために教育を受けられなくなると、最終的には、社会は対立的な利益獲得階級と利益臨界階級とに分かれる可能性があると思う。

 

他方、大学のキャンパスの中では、近年また「教え無用/教書無用」という思想が流行ってきている(もう一種の「無駄論」)。その意味は、大学で教育しても(個人に対して)何の役も立たない、それより研究ファンドを申請して採択されれば偉くなる、或いはSCI論文をたくさん書けば、その本人に非常に役立つという考えで、それらを支持する体制になってしまっている。これでは、大学では講義をするのが最も意味のない、もしくはやるべきではない仕事として見られるようになってしまった。

 

その故、数多くの大学の教員が講義に行きたくない、講義に行っても責任を持って行わない、質の高い講義をしない。そして、「研究」という名目で、一生懸命に実験室の外で活動する。例えば研究ファンドの申請が許可されるように誰かに賄賂などをするとか(しなければ、申請は無理と皆に知られている)、人間関係、人筋、人脈などのために、時間と金銭を費やしていると言われている。

 

正直に言えば、今の大学の教員の大半は自分のことばかりに「忙しくて」大学生に近付かない、いわば大学生に人間的なケアを与える暇がない。彼らは「研究リッチ」、「IF点数」の深い沼に落ちてしまい、「教育」にほとんど気が入らない。このような状況だから、今日のおかしな大学生を養成した責任の一端は、大学の教員にもあると言わざるを得ない。結局、大学生が大学教育問題の最大の犠牲者であり、大学の教育機能が無用化されていると言える。

 

ある調査によると、数多くの教師の講義は、責任を持ってするのではなく、ただ任務を負うために行っていることが多い。講義が終わったらすぐ教室から消えてしまい、学生たちに人間的なケアはもちろん、付き合う時間もほとんどない。これも勉強をしに大学に来ている学生数が減ってきた原因の一つと言われている。高校までは、試験指向の教育(毎日練習、宿題ばかり)、大学に来たら教師の(講義での)お喋りだけで、すなわち先生と学生が、人として付き合うことはない!中国の最近の大学生の勉強、生活の環境は、あまりにも可哀想だ。この様な状況で育った学生(人間)が、今までの人間と違うのは当たり前のことではないだろうか?人間的なケア(親及び先生、それから社会によるケア)をあまり享受したことがないため、学生は独立した思考と学習能力が欠如しており、反面自己主張が強い。職業及びキャリアを選択する際に、自信と競争意識が弱く、盲目的に周りの人を見て流れに身を任せることしかできない。

 

場合によって、教室はあたかも牧草地となり、教壇で先生は一生懸命に喋っているけれども、聴講生の中には無関心で、好きなことをやっている人が多い。チャットをしたり、寝たり、食べたり、飲んだり、出たり入ったりして、後ろの方ではカップルが抱き合っていたりする場面がよく見られる。教師たちが責任を持って、これらの行為を阻止するべきなのに、黙認してきたために、教室が教室ではなくなってしまった。(つづく)

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<奇 錦峰(キ・キンホウ) Qi Jinfeng>
内モンゴル出身。2002年東京医科歯科大学より医学博士号を取得。専門は現代薬理学、現在は中国広州中医薬大学の薬理学教授。SGRA会員。

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2014年12月17日配信