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エッセイ796:佐藤祐菜「#SPRING4allに連帯する―文科省の「日本人限定」方針に対する反対意見―」
6月下旬、日本の博士後期課程の大学院生向け主要支援制度である「次世代研究者挑戦的研究プログラム」(Support for Pioneering Research Initiated by the Next Generation、通称SPRING)のうち、生活費の支給を日本国籍者のみに限定するという文部科学省の見直し方針が、複数メディアで報じられた。文科省所管の国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が2021年度より主要大学を通じて実施してきた制度で、2023年版のSPRING公式パンフレットによれば、博士課程の学生を「我が国の科学技術・イノベーションの将来の担い手」と位置づけ、「挑戦的・融合的な研究を支援し、優秀な博士人材が様々なキャリアで活躍できるように研究向上力や研究者能力の開発を促す」ことを目的としている。これまでは国籍を問わなかったが、今年3月ごろから一部の国会議員が「受給者の3割が中国籍」といった点を国会で問題視し、東京大学の大学院における留学生比率の高さなどとあわせて議論されたことを受け、文科省が見直し方針を固めたと見られる。
この方針転換に対し、大学関係者を中心に反対の声が上がった。新潟大学職員組合中央執行委員会は報道直後の6月26日付で「博士課程学生支援制度の国籍差別的見直しに断固反対します」との声明を発表し、教職員を対象に署名活動を開始した。また、有志による「JST-SPRING国籍要件反対アクション」も立ち上がり、市民を含めた署名活動がchange.org上で展開され、複数の大学教員が連帯コメントを寄せている。私自身も今年3月に大学院を修了し、複数の大学で研究員や非常勤講師を務めている立場として、今回の見直し方針に強く反対する。
このエッセイでは、これまで上がっている反対意見を四つ取り上げたい。①留学生に責任を帰属させることで、日本における博士課程学生の地位の低さという本質的な問題から目を逸らすものであること、②日本の研究力および研究環境の低下を招くこと、③文科省の方針が一貫性を欠いていること、④国籍による差別であること、の4点である。
第1に、今回の見直しは、日本の博士課程学生の社会・経済的地位の低さという本質的な課題に対する根本的な解決策を示さず、留学生に責任を転嫁することで問題の矮小化を図るものだと指摘されている。日本の大学院における留学生比率の高さは、「日本人」学生が博士課程に進学しにくい環境に起因しており、その背景には、博士課程の地位の低さがあると考えられる。日本では長らくジョブ型雇用が一般的ではなかったため、博士号取得者が専門性を活かして産業界で活躍する道は限られてきた。実際、産業界における博士号取得者の割合が諸外国に比べて著しく低いことは、文科省自身のデータからも明らかだ。
そのためか、アカデミアの外からは、大学院生が「勉強好き」「学歴ロンダリング」「働きもせず何をしているかわからない存在」と見なされがちかもしれない。しかし、実態として彼らは「研究」という名の労働に従事している。朝から晩(あるいは夜中)まで研究室や自宅にこもっての論文執筆、実験、フィールドワークなどに取り組んでいる。講義を受けることが中心の学部生とは異なり、博士後期課程の学生は、実質的には大学教員と同様に、新たな知見の創出を通じて社会に貢献する存在である。
欧米諸国では、博士課程の学生は「一人前の研究者・労働者」として認められている。欧州では博士後期課程の学生の多くがプロジェクトベースで雇用されており、給与が支払われるのが一般的だ。米国でもティーチングアシスタントやリサーチアシスタントとして生活費を得ている場合が多い。これに対し日本では、逆に授業料を支払う立場にあり、生活費や研究費は自己負担が基本である。日本学術振興会の特別研究員制度やSPRINGのような支援は拡充されつつあるが、社会的には勉学に対する奨学金としてしか理解されていない節もある。「日本人」学生が博士課程への進学をためらうのは当然の帰結とも言える。こうした根本的な課題を解決することなく、留学生比率の高さを問題視するのは、本質を見誤っていないだろうか。
第2に、留学生にとって日本の大学院進学への魅力が薄れることで、日本の研究力と研究環境が低下する可能性が指摘されている。日本の学生が博士課程になかなか進学しない状況では、留学生は日本の教育研究活動の多くを担う人材である。反対声明を発表した新潟大学職員組合中央執行委員会は声明で、留学生を「教育研究活動を維持するための生命線」と位置付けている。研究室の成果はチームの成果にもなる。人文・社会科学分野では日本に関するテーマを選ぶ留学生は少なくなく、将来は日本社会の中・長期的な利益をもたらすかもしれない。
日本国籍の学生が、日本以外の地域を研究していることもあり、国籍によって支援の対象者を選ぶことは不当である。母国に関するテーマを選ぶ学生も、母国では政治的に問題で研究できないテーマを日本で扱う場合があり、日本社会がそうした人々の研究環境として機能しているという点も指摘されている。学問の場では、多様性が多角的な知見を産み、「日本人」学生にも大きなプラスになるとも言われている。人文・社会科学では、国際比較によって日本社会の状況が浮き彫りになるケースがある。留学生の存在は日本の研究力を高めており、生活費支援から排除することは、中長期的に日本の可能性を狭める結果を招きかねない。
第3に、大学に対して「国際化」を要求してきた文科省の一貫しない姿勢も批判されている。国際化は世界の大学ランキングでも指標となるもので、文科省は「留学生30万人計画」や「スーパーグローバル大学創成支援事業」などを推進してきた。SPRING制度でも、令和7年度の公募要領で、以下のような文言が明記されている。
留学生を支援する場合は、科学技術・イノベーションを創出し、日本の国際競争力強化に貢献するなど、如何にして「我が国の科学技術・イノベーション」に貢献するか十分に説明してください。また、その際には、多様な文化的背景に基づいた価値観を学び理解し合う環境創出のために、より多様な国・地域からの受入れを進めるよう検討ください。特に、日本ASEAN友好協力50周年特別首脳会議の成果文書等に基づき、当該諸国からの受入れを積極的に図ることとしてください。(p.2~3)
このように、文科省自身も、留学生が日本社会に貢献しうる人材であることを認識しており、積極的に受け入れを図ることを推進しているともとれる文言を残している。文科省は一貫した立場を貫くべきであり、今回の方針転換に関して説明責任を果たすべきである。
最後に、今回の見直し方針は、国籍差別と批判が寄せられている。博士課程の大学院生は研究という名の労働に日々従事している。特に理系の分野では研究室という集団に属し、チームとして一つの研究課題に取り組むことが一般的だ。国籍によってある学生は経済的支援を受けられ、別の学生は受けられないとなれば、明確な差別と言わざるを得ない。
日本社会は日本国籍を有する人々だけで構成されているわけではない。国籍を基準に受給資格を区別することは、日本で生まれ育った外国籍の人々を不可視化し、制度から排除することにつながるという反対意見も上がっている。今回の見直しは日本の歴史的事情と国籍法を鑑みれば、より問題である。かつて日本は朝鮮半島や台湾出身の人々に日本国籍を付与し、敗戦後には奪った。その結果、日本に残った人々とその子孫は、国籍という基準によって社会保障の対象から外されていた歴史がある。しかも、日本は国籍法において血統主義を採用しており、日本で生まれたとしても、親が日本国籍を持っていなければ自動的に日本国籍を取得することはできない。この制度のもとでは2世、3世、4世となっても外国籍のまま育つ人が少なくない。一部には「他国でも国籍を要件とする支援制度がある」として、今回の方針を擁護する声もある。しかし、日本社会において国籍は中立的な属性ではなく、歴史的文脈と日本の国籍法を踏まえれば、国籍による区別は人種・民族的差別、すなわちレイシズムに極めて近い性質を帯びているといえる。
SPRINGを日本国籍者に限定する文科省の方針転換に対する主な意見をまとめてきた。「日本人ファースト」や反中を掲げるような排外主義的な雰囲気があるが、日本がグローバル化の中で競争力をつけていくために欠かせない高等教育の国際化について、文科省は現場の声を聴きながら丁寧に対応してほしい。私自身は日本国籍だけを有するが、大学院時代に切磋琢磨してきた中国人留学生を含む先輩や後輩に顔向けできないと感じ、筆を執った。この文章を読み、反対意見に同意してくださる方は、ぜひ、change.orgの署名活動で署名していただきたい。
博士課程の学生を国籍で差別しないでください!
― SPRING制度「日本人限定」見直し方針に反対します ―
最後に、これを読んでくださった留学生や外国籍の方には、皆さんの味方はここに確かにいるということをお伝えしたい。
<佐藤祐菜(さとう・ゆな)SATO Yuna>
神奈川県平塚市出身。2024年度渥美国際交流財団奨学生。専門は国際社会学および人種・エスニシティ研究。2025年4月より特任研究員(日本学術振興会特別研究員PD)として東京大学社会科学研究所に所属。慶應義塾大学社会学研究科後期博士課程在学中に南オーストラリア大学とのダブルディグリー制度に参加し、2023年3月から1年間、オーストラリア・アデレードに留学。2025年3月に慶應義塾大学で博士号(社会学)を取得し、2025年5月に南オーストラリア大学からも博士号を取得。
2025年7月3日配信