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エッセイ795:張珺「研究と読書」
3月の渥美国際交流財団研究報告会の後、みんなでお弁当を食べながら研究の話をしていた。すると、生物学を研究している後輩が、「毎日実験室で試薬をいじってばかりいるけれど、文系の研究者は普段どんなことをしているのか、まったく想像がつかない」と問いかけた。
文系の研究者がすることといえば、論文を書くことを除けば、一言で言うなら「読書」に尽きる。ただし、研究のための読書は一般的な読書とは異なる。そこには探究の志があり、一つの問い、例えば博士論文の課題を解明するために、膨大な文字の海から手掛かりを探し求める営みがある。
中国の学者・王国維は、読書には三つの境地があると述べている。研究とは、おそらくその第3の境地、「衆里尋他千百度、驀然回首、那人却在灯火闌珊處(幾度も人混みの中を探し求め、ふと振り返ると、その人はほのかな灯火の下に佇んでいた)」に通じるものだろう。千ページもの史料をめくっても、何の収穫もないことは日常茶飯事であり、たとえ三行でも有用な記録に出会えたなら、それは幸運とすら言える。だからこそ、史料との出会いには宿命めいたものを感じずにはいられない。幾千万の文字の中から、自分が求めるただ一節とめぐり逢う。それは、果てしなく流れる時のなかで、吉光片羽(きっこうへんう:わずかに残る昔の文物、優れた遺品)をすくい取る瞬間。ただその一瞬に、ただ静かに呟くのだ。「ああ、あなたはここにいたのか」と。
しかし、もし文系の研究者に「最近、通読した本はありますか?」と尋ねたら、多くの人はしばらく考え込んでしまうだろう。著者の労苦には申し訳ないがまず序文をざっと眺め、自分の研究に関係のある部分を探し出し、必要な箇所を読み終えたら、本をそっと脇に置く。そんな読み方がほとんどだ。
研究のための読書は、どこかお見合いに似ている。理想の相手を探すとき、多くの人は身長や容姿、性格、趣味といった条件を思い描く。そして、いざ実際に会ってみて、少しでも理想と違うと感じれば、あっさりと手を引いてしまう。研究者が本に向き合う姿勢も似ているのかもしれない。
研究に宿る運命の重みとは異なり、読書にはもっとロマンチックな魅力がある。それはまるで、「春色満園関不住、一枝紅杏出墻来(庭いっぱいに満ちた春の色は閉じ込められず、一枝の紅杏が垣根を越えて顔をのぞかせる)」ように、思いがけない邂逅に満ちている。
1冊の本と出会うのは、偶然の積み重ねによるものだ。誰かの薦めかもしれないし、流行に影響されたのかもしれない。ふと目にした紹介文に惹かれたのか、本のタイトルに心を奪われたのか、装丁の美しさに魅了されたのかもしれない。私が聞いた最も奇抜な本の選び方は、あるドラマのワンシーンにあった。目を閉じて古本の山に手を伸ばし、無作為に1冊を引き抜くというのだ。そうすることで、自分の興味の枠にとらわれることなく、新しい世界へと踏み出せる。偶然がもたらす出会いの妙。そこには思いもよらぬ発見と、ときめきが詰まっている。
大学時代の親友と昔からよく本の話をしていた。彼女は老舎や谷崎潤一郎、ドストエフスキー、イタロ・カルヴィーノについて語る。会社勤めの彼女はウェーバーの『職業としての学問』を読んでも、それが「研究」とは何かを深く考える必要はない。ただ純粋に本を読むことを楽しんでいる。私は、そんな彼女の読書の自由を羨ましく思う。私の想像力は、研究課題にすり減らされていく。彼女が知の海を自由に泳ぐ一方で、研究者である私は「弱水三千、只取一瓢飲(果てしなく広がる流れの中から、たった一瓢の水をすくい取る)」ことを求められる。
しかし、博士論文を書いている間、不思議なことに研究とは無関係の読書がどんどん増えていった。夜明け前の数時間、背徳的な喜びを感じながら夢中にページをめくる。食レポ動画やかわいい動物の映像を見ても、一瞬の気晴らしにすぎない。一つ見終われば次へ、また次へと無限に手が伸びる。しかし、それでは決して満たされない。いくら摂取しても、精神はまだ飢えたままだ。
研究によって得られるのは、謎を解き明かすような達成感であり、突破の瞬間だ。それは、読書がもたらす精神の滋養とは異なる。人は読書を必要とする。たとえ私たちの仕事が、日々本を読むことであったとしても。なぜだろうか。私の好きな(米)俳優、エイドリアン・ブロディが主演した映画『デタッチメント 優しい無関心』(編注:日本では未公開、DVDのみ)には、こんな言葉がある。「僕たちは残された人生のすべての時間、24時間ずっと働け、努力しろと駆り立てられ、やがて沈黙の中に消えていく。だからこそ、退屈と虚無が心に入り込むのを防ぐために、僕たちは想像力を刺激する術を学び、読書を通じて自分自身の信念を守らなければならない。僕たちは皆、この力を必要としている。あらがうために、そして純粋な精神世界を失わないために」
<張珺(ちょう・くん)ZHANG Jun>
廈門大学歴史与文化遺産学院助理教授。中国海南省海口市出身。2024年度渥美財団奨学生。2018年9月来日。2025年3月東京大学大学院人文社会系研究科を修了し博士号を取得。専門は中国近代史、特に日中貿易史に興味を持っている。
2025年6月26日配信