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エッセイ781:何星雨「異文化における育児の苦境」
「刮痧」(監督:鄭暁龍、2001年上映)という中国映画がある。「刮痧」とは専用の板で背中をこすって皮膚を充血させ、様々な症状を改善する伝統的な中医療法である。映画では、米国で暮らす中国人3世代家族の子育てを取り巻く異文化間の葛藤を描写している。主人公は人前でも息子を厳しくしつけるべきだという文化信念を持ち実践していた。そして、主人公の父親は、ある日熱が出ている5歳の孫に「刮痧」の治療法を行った。後に息子の背中にある大面積の傷を医者に発見され、深刻な虐待の証拠として警察に通告される。さらに日常的な体罰を行っていたことも米国人の知人に指摘され、一家は強制的に親子分離を要求されることになった。中国文化に根差した親子観念、育児様式と西洋の人権観念、社会制度との間の矛盾は、その後親権をめぐる主人公と児童福祉施設との裁判で露呈する。
そうした葛藤が日本社会でも現実になるのはおかしなことではない。私は7年間、日本と中国の児童虐待について研究している。儒家文化に根差した親子観念は類似していたが、社会制度の変化とともに、現在の日本と中国では「児童虐待」の扱いが異なってきている。中国では親による子どもへの体罰が一般的な事象であり、極端な暴行を加えない限り、「良い家庭教育の方法」として認められると言っても過言ではない。日本では2000年に『児童虐待防止法』が制定されて以来、児童虐待の範囲がどんどん拡大されており、身体的・心理的な暴力やネグレクトを含めた不適切な養育が虐待として非難されている。また、虐待の疑いがあることに気づいたら、保育士や教師、小児科医など子どもに身近に関わる人だけでなく全国民が通告する義務を課せられた。
一方、日本では家族形態が多文化・多民族化の様相を呈している。法務省によると2023年6月時点で日本に中長期滞在している中国人は82万人を超え、国別1位。中国にルーツを持つ未成年の子どもも最多だ。中国の伝統文化に触れながら育てられている子どもが非常に多いということである。しかし「児童虐待」への扱いや認識の差異は、家庭という閉鎖的空間において育児を通して具現化される。中国人親にとっては育児の壁となり、また、日本社会での児童虐待防止に支障をきたす。
知り合いの中国人母親による出来事がきっかけで、異文化の児童虐待防止の課題を垣間見ることができた。この母親は子どもをしつけようと思い、つい2歳の子どもに体罰的な行動を行った。隣人が泣き声を聞いたのか、保育園の先生が体の傷に気づいたのか、自宅で児童相談所と警察から事情調査を受けることになった。母親はとてもショックを受け、混乱して「自分の子どもを虐待するわけがないのに」と大泣きしながら訴えたという。
こうした事例は珍しくない。生活経験を投稿できる「小紅書」(RED)という中国の人気ソーシャルメディアのアプリがある。そこでは類似した経験を訴えた日本在住の中国人母親による投稿が多数見られる。「親として自分の子どもを厳しくしつけるのはダメですか?」「育児は他人と関係ないのに通告されるのはなぜ?」など、日本の「児童虐待」への扱いや制度に対して困惑を感じているようだ。彼女たちを責めるつもりはない。日本語を知らない者もおり、日本語を知っていても日本の児童虐待に関する情報を知ることは難しい。ただ「これまでの文化信念=ちゃんとしつけようと思ったのに」vs.「現代日本の法制度=虐待者として疑われ、調査された」の苦境に立っており、「どうしつけすれば良いのか?」に関する的確な援助を必要とする。この苦境が親の育児ストレスに繋がり、より深刻な虐待に至る可能性があるからだ。
日本の児童虐待の早期予防に関する主な取組みは、日本人の虐待リスクを基準に成り立ったものであり、虐待のリスクを踏まえながら、母子保健や啓発活動などを通して親を支援することが基本である。しかし子育て中の親の持つ文化背景がどんどん多様化する中、虐待の早期予防に向かうリスクアセスメントに画一的な判定を使用しているのは適切ではないと考える。不思議に思うのは、「児童虐待」という子どもの権利に関する緊急性の高い課題を抱えているのに、これだけたくさん日本で暮らしている中国人や外国人の親たちが、日本の福祉制度の情報を入手しにくいため援助を受けられないことや、文化背景を配慮した育児に関する的確な援助がめったに提供されていないことである。私は児童虐待予防の視点から在日中国人親の子育てを支援していけたらと考えている。
<何星雨(か・せいう)HE Xingyu>
中国・浙江省杭州市出身、2015年7月に来日。2023年度渥美財団奨学生。2024年3月に東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科を修了し、博士号を取得。日中両国の児童虐待予防に関心を持っている。現在は子どもの権利と保育に関する研究を続けながら東京家政大学、文教大学、女子栄養大学の非常勤講師として務めている。
2025年1月30日配信