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エッセイ772:賈海涛「小説『繁花』のドラマ化:虚無から主旋律の「大きな物語」へ」

金宇澄の長編小説『繁花』は学部4年生の頃から研究対象としてきたもので、昨年提出した博士論文の中でも一章を割いてこの作品を論じた。ここ数年の中で上海語の方言語彙を取り入れた有数の小説であるだけでなく、戯曲・舞台劇・ラジオやテレビドラマなど様々な様式に改編され、広く注目されている文学作品でもある。金宇澄自身は絵を描くことが好きで、小説の中に多くの手描きのイラストを取り入れ、近年は各地で個展を開き、画集を出版するなど、すでに画家と言えるほどになっている。

 

2024年1月、ウォン・カーウァイ監督のドラマ『繁花』が中国大手の動画共有プラットフォームであるテンセントビデオで配信され、大きな反響を呼んだ。近年中国本土で高品質のドラマが非常に少ない現状で、その質と影響力は否定できない。ただし、『繁花』の「素晴らしさ」は、監督の一貫した高水準の撮影によるものであり、原作の物語を上手く翻案した「素晴らしさ」ではなかった。ドラマが配信された後、原作の研究者としてレビュー記事を執筆しようと考えたが、ドラマの内容は原作の物語をほとんど踏まえず、人物設定や背景の一部を借りただけで、全く新しい物語とも言えるので見送った。

 

原作の『繁花』は、1960年代から70年代の文化大革命期、そして80年代以降の経済成長の時代という二重のタイムラインで交互に語られる。特に文化大革命期の物語が高く評価された。上海で育った主人公のひとりである少年時代の阿宝はブルジョア階級家族の出身で、旧フランス租界にあった西洋風の家屋に住んでいた。文革の階級批判によって家財が没収され、幼なじみの女友達も家政婦も姿を消した。家族は上海近郊の労働者階級向けの団地に強制的に引っ越しさせられ、プライバシーのない生活を余儀なくされた。その経験は後に貿易に携わる阿宝の虚無的な恋愛観や人生観に大きな影響を与え、80年代の物語における彼の言動を理解する上で不可欠な背景といえるだろう。

 

しかし、ドラマ『繁花』は文革期のタイムラインがほぼ削除され、阿宝は単に経済成長期の発展を追い風に対外貿易で最初の資金を稼ぎ、成功して株式投資に進出する商人というルーツがない人物像として描かれている。この人物像の背後には、中国の改革開放政策や90年代の上海浦東開発政策により、中国社会全体が急速な発展を迎えようとした物語が含まれている。このような「大きな物語」へ賛歌を捧げる傾向を強く感じてしまう。これは90年代というタイムラインが具体的な歴史事件や背景を意図的に隠しながら、登場人物たちが食事会をする場面を次々と描き、物語の筋が不明瞭なまま虚無的な終わりを迎える原作の流れとは大きく異なっている。

 

小説のドラマ化では、必ずしも原作の物語を忠実に再現するわけではない。しかし、原作で最も評価の高い部分が削除され、核心となる虚無感が国家発展を背景にした物語に変えられてしまうと、そのドラマは「全く新しい作品」として認識されていると言ってもよい。ドラマ『繁花』のような高品質な作品は稀にしか見られないが、中国経済の発展と社会の進歩を伝えようとする公式の「主旋律」を謳うものは、決して稀なものではない。

 

<賈海涛(か・かいとう)JIA Haitao>
一橋大学言語社会研究科博士課程修了。博士(学術)。神奈川大学外国語学部中国語学科外国人特任助教、東京工業大学非常勤講師、上海大学(東京校)非常勤講師、2023年度渥美奨学生。人文系ポッドキャストの運営者。研究分野は中国現代文学、文学言語で、主な論文に「方言文学における「叙言分離体」――五四時期の文学言語の変容に関する議論を中心に」『中国:社会と文化』(37)などがある。

 

 

2024年8月2日配信