SGRAかわらばん

エッセイ767:徳永佳晃「4年ぶりのイラン調査」

2024年2月23日から3月7日にかけて、イラン・イスラーム共和国の首都テヘランに赴き、史料調査を行った。イラン立憲制史を研究対象として同地に2年間留学していた筆者にとって、ある程度勝手の知った場所である。しかしながら、コロナ禍後4年ぶりに訪れ、少なからず時の変化も感じられた。このエッセイでは、自分が外国人の研究者として体験した出来事を紹介し、そこから浮かびあがるイランの大学、学界の現状について簡単な展望を示したい。

 

まず史料調査の環境に関して、結論を先取りして述べれば、4年前と同様かむしろ改善の傾向が見られた。この結果は意外であった。イランの現状として欧米諸国との関係改善が絶望的になり、外国人への管理を強化する傾向が強まっていると聞いていたからである。もちろん、歴史史料の複写・閲覧はおろか外国人の立ち入り自体を禁止している文書館があるほか、調査可能ではあるものの担当者によって閲覧ルールが異なるなど、利用者を当惑させる状況は続いている。しかしながら、文書の閲覧申請を許可するまで数週間待たせることや、文書館に持参する紹介状の文言に細かな注文を付けるなど、文書を出し渋るような対応は見られなかった。

 

文書館が幾分ながら協力的となった背景には、いくつかの理由が推測できる。一つ目は文書を含めた歴史史料のデジタル化・公開の促進である。これは欧米諸国をはじめ世界的な潮流を踏まえた動きであり、非常にゆっくりとした歩み(かつしばしば逆行する)ではあるものの、イランにおいても確実に進展している。少し前までは刊行史料のみに依拠したイラン近代史の学術書、論文が多く出版されていたが、現在少なくとも同国内においては、文書その他の未刊行史料を一切用いない研究を見つけることのほうが難しい。

 

二つ目の理由としては、訪問する海外研究者が急減したことが考えられる。欧米諸国との関係改善が絶望的な現状において、国内の大学その他の機関で活動できる研究者はトルコ、イラク、シリアなどの近隣諸国、そして中国、韓国、日本といった東アジア地域の出身者に事実上限定されている。そのなかで曲りなりにも「先進国」であり、政治、経済的にもイランとの大きな軋轢がない日本は、学術交流の相手として概ね歓迎されている。さらに、日本人は研究もしくは学問目的で現地に渡航する割合が他国と比べて大きめであり、少人数ながら政治、経済状況に比較的影響を受けず、継続的な往来がある点も特徴である。このように地味ながら着実に積み重ねてきた交流の実績に、K-POPや日本のアニメ・漫画の流行による東アジア全体の文化イメージ向上が加わり、日本人研究者への好感が官民ともに維持されている。

 

日本人研究者に対する(あくまで他国との比較の上ではあるが)好意的な対応は、文書館だけではなく現地の大学においても確認できた。研究ビザの取得においては窓口となる現地の大学の国際局が迅速に対応してくれたことにより、想定より大幅に短い3週間ほどで終えることができた。また、今回の調査では何名かの現地の研究者や教授の方々と面会したが、皆好意的に応対してくださったことに加え、国際会議の開催や更なる日本人留学生の受け入れを繰返し打診されたことが印象的であった。筆者が一介の博士課程学生に過ぎず、そのような学術交流を行う予算も権限もないことは、先生方も十分に分かっている。それでも、敢えて何度もこれらの話題が出たことに、日本との交流に積極的な現地の先生方の姿勢を窺い知ることができた。

 

コロナ禍後の国際情勢緊迫化、それに伴う外国人への管理強化といったイラン政治の現状にもかかわらず、日本人研究者の調査環境は、好転とまでは言えないまでも従来通り維持されている。この4年間の環境変化は、現地大学への留学や調査が事実上不可能になりつつある欧米諸国の研究者のそれとは、対照的である。このような日本人研究者への「好待遇」から、欧米諸国と早期の関係改善が絶望的になった今、その他の国々との関係性を維持、強化することで生き残りを図るイランの戦術を読み解くことができる。日本に対する「好待遇」は、政治、経済面、さらには大学や学界をも含めイランが置かれている厳しい現状を反映した現象であると言えるかもしれない。

 

<徳永佳晃(とくなが・よしあき)TOKUNAGA  Yoshiaki>

東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員PD(日本大学)、2023年度渥美奨学生。専門はイラン地域研究・近代政治史で、主な論文に「「不法な影響力の排除」を目指して:パフラヴィー朝成立期のイランにおける1304年選挙法改正(1925) 」『歴史学研究』 (1044)などがある。

 

 

2024年6月14日配信