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エッセイ766:丁乙「現代社会における研究者のあり方」

2022年11月から2023年8月まで東京大学東洋文化研究所にある東アジア藝文書院(EAA)という組織で特任研究員を務めた。数多くのイベントに参加し、自らもプロジェクトを立ち上げたことで、社会連携・研究・教育を総合する組織での学問の可能性に関して広く考える機会に恵まれた。

 

私が担当したのは「東洋美学の生成と進行」というシリーズ講演・討論で、計6回実施した。初回は小田部胤久先生(東京大学)、第2回は陳望衡先生(武漢大学)、第3回は王品先生(上海交通大学)、第4回はKevin M. Smith先生(UCバークレー)、第5回は青木孝夫先生(広島大学)、第6回は塚本麿充先生(東京大学)。グローバルな視点から見ると、西洋に発端した美学という学問領域を参照して近代に作られた東洋美学は、未だ十分適切に位置付けられてきたとは言えない。そこで、EAAという場において、東洋美学と称されうる領域の射程やあり方について検討を試みた。本イベントを通して目指すのは、「東洋美学」をすでに定まった領域と見なしてそれに該当する最新の研究を紹介するのではなく、むしろ「生成中の領域」としてそれがいかなる形で進行しているのか、哲学・美学のほか、文学や芸術批評、美術史などの分野にも注目し探求することである。日本だけでなく、交流のあった中国やアメリカの研究者からも、それぞれの立場から東洋の美学に対する理解や視点を得ることは重要である。

 

このプロジェクトのほか、EAAでの活動を通じて、研究や学問のあるべき姿やその意義について考えさせられた。まず、研究のスピードについて。私が以前より慣れ親しんだ人文社会系という伝統的な学問分野や学的環境では、基本的に文献研究が行われており、その性質のゆえか研究成果の産出スピードは速くはなかったし、おそらく速くなりえないだろう。対照的に、EAAで目にしたのは新たな学問を開拓するために、必然的に量的にも範囲的にも膨大かつ多様な研究と向き合わねばならず、社会連携からの要求もあるため、素早く発信している姿であった。初めは自分がそのスピードに合わせることができるのか心配していたが、一定の蓄積を持つ研究者ならば、必ず物事に対する独自の視点があり、そこから何らかの感想やコメントを述べられることに気づいた。しかし、それは本当にその発表や研究に対する理解に基づく適切なものであるのか、という別の不信が生じてきた。着任当初の自己の能力への不安から、次第に、学問のあり方についての別の問いが生まれてきた。

 

また痛感したのは、いわゆる研究のパフォーマンス性である。学生の時に有名な研究者の講演を聴講しに行き、失望した経験が時々あった。著作と比べ、なぜ面白くなかったのかと考えていた。だが現在の自分は、もはや一つ二つの講演で研究者の研究を評価しない。同じ分野内の学者向けの発表と、分野外の学者向けのもの、さらに一般向けのものがあるからである。これらの発表に求められるものは必ずしも一致しておらず、互いに相反する部分も少なくない。人文系の研究の価値は広く発信していかなければ、一種の傲慢なエリート主義に陥りうる。しかしそればかり行えば、現在の社会ではあるいはそれだけで名声や地位を獲得することも考えられ、学者より数的に圧倒的な公衆に認められ、必要性があると判断されることに偏重してしまう、というアポリア(論理的難点)が存在するように感じ取れる。

 

この一年間、学問の可能性に興奮した瞬間は多かったが、他方で虚しさもしばしば感じた。そして、自分がいかなる研究者になりたいのか、また現実的になれるのか、という課題が頭に浮上してきた。これは今後、研究者として現代社会を生きていく上で重要な課題となるであろう。

 

<丁乙(てい・おつ)DING Yi>

東京大学人文社会系研究科修士・博士課程、東京大学東洋文化研究所の特任研究員を経て、現日本学術振興会外国人特別研究員(京都大学)。カリフォルニア大学バークレー校やHerzog August Bibliothek Wolfenbuttel(ドイツ)など客員研究員。研究分野は中国美学、比較美学。博士論文『『ラオコオン』論争からみる二〇世紀中国美学』は第14回東京大学南原繁記念出版賞を受賞し、2024年度中に東京大学出版会より刊行予定。

 

 

2024年6月6日配信