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エッセイ763:謝志海「釜山で東アジアの国際関係の歴史を考える」

春休みに同僚の先生方と韓国・釜山へフィールド調査に行った。専門分野が違う5人がそれぞれの視点から釜山の町を観察して歩いたが、私にとっては自分の専門である国際関係の歴史について深く考える機会となった。

 

調査に行く前に、「国際市場で逢いましょう」という映画を観た。ほぼ実話に基づいた内容だという。朝鮮戦争で父親と妹と別れた主人公が、長男として母親を支え、兄弟の面倒を見ながら別れた家族を探し続ける話だった。おじいさんになっても、頑固に釜山の国際市場にある古い店を守り続けたのは、父親と別れた際にその店で再会しようと約束したからだ。

 

この家族に限らず、朝鮮戦争で離散を余儀なくされた人々は国際市場にある「40階段」というところで待ち合わせることを約束したという。今回はその映画の舞台となった釜山の国際市場を訪れ、実際その階段にも登ってみた。階段には家族を座って待つ銅像があった。

 

戦争によって家族が引き離されてしまうことが、歴史ではなく、現在も起きていることは非常に残念だ。先日テレビ番組で見たある家族の今を思い出す。ウクライナ人の女の子はロシアの侵攻の後、母親と一緒に来日し、日本の高校に通い、都内の大学に合格した。父親は祖国に残り戦争支援のために働いている。戦争により、家族にとっての日常が一瞬にして非日常的になるのは昔も今も同じだ。

 

釜山にある国連墓地も訪問した。朝鮮戦争に参戦した米軍をはじめとする国連軍の犠牲者を慰霊する場所だ。現地のパンフレットには、朝鮮半島の平和と自由を守るために戦ったと書いてあるが、中国と北朝鮮側から見たら、自分たちのほうが正義だと考えるだろう。実際、北朝鮮には中国志願軍の墓地もあり、昨年7月には朝鮮戦争休戦70周年を記念するため、金正恩総書記が訪問した。ロシアと中国の代表団も記念行事に参加。戦争の記憶は第二次世界大戦だけでなく、その後の朝鮮戦争をめぐっても参戦国の認識がかなり違うことを実感した。

 

近現代史博物館には日本植民地支配時代の韓国の歴史が紹介されていた。釜山は最初に支配された都市だった。中でも釜山の鉄道はなかなか興味深く、1900年代、日本の実業家で新一万円札の「顔」にもなる渋沢栄一らがソウルから釜山までの京釜鉄道を建設した。今回の調査とは関係なくたまたま読んでいた「鉄道と愛国」(吉岡桂子著、岩波書店、2023年7月)という本にも、まさに京釜鉄道はかつての植民地支配の道具でもあったと記されていたが、釜山の博物館でその歴史の痕跡を確かめることができた。

 

先述の映画では、韓国がベトナム戦争に巻き込まれていたことも描かれた。主人公は父親と約束した待ち合わせ場所の店を守るためのお金を稼ぐべく、ベトナム戦争の機械兵を志願して、現地で片足をけがしてしまった。韓国はベトナム戦争で米国に協力した。一方、北朝鮮は、北ベトナムを支援した。

 

ロシア研究の専門家によると、今回のロシア対ウクライナ戦争では、武器提供において北朝鮮V.S.韓国の構図が見えている。北朝鮮はロシアに武器支援をし、韓国が北大西洋条約機構(NATO)に輸出している武器は、ウクライナ支援に充てられている。戦争をめぐって、北と南の対立の構図は冷戦時代から変わっていない。

 

一緒に釜山へ行った日本人の先生が言うように、日本では戦争とは1945年で終わったものというイメージが強いが、実際には第二次世界大戦から時をあけずに朝鮮戦争が始まり、さらにベトナム戦争、そして今に至るまで、戦争は世界でひっきりなしに続いている。このことをもっとたくさんの人々に認識してもらいたい。幸いにも、今の東アジアは時に緊張はあれど戦争はなく、平和な状態が続いている。東アジアの平和を願いながら、ロシアとウクライナの戦争もガザでの中東戦争も一日も早く終わるように祈る。

 

<謝志海(しゃ・しかい)XIE_Zhihai>
共愛学園前橋国際大学教授。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイト、共愛学園前橋国際大学専任講師、准教授を経て、2023年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。

 

 

2024年5月2日配信