SGRAかわらばん

エッセイ758:ナーヘド・アルメリ「シリア人の体重と健康への意識」

健康に対する意識は近年、世界中で高まっている。科学や技術の進歩が健康の維持と意識の向上に大きな役割を果たしていることは言うまでもない。ただ、健康を巡る社会状況や意識は国によって異なる。健康と密接に関連する重要な要素「体重」の問題に対するシリア人、いや、アラブ諸国の人々の意識は低く、肥満でも体重には悩まないし、数値にもこだわらない。

 

家に体重計がない。人が行き来する大学の門の前や商店街などで、体重計を前に置いて椅子に座っているおじさんにお金を払い、洋服と靴のまま乗って自分の体重を知る。体重が50キロだろうが、60キロだろうが、80キロだろうが深く考えず悩まない。若い女子学生たちのグループが遊び感覚で大学前のおじさんの体重計を囲み順番に乗って、友達の体重の指数を見て、自分のを忘れたので確認しようとまた乗って、という楽しそうな体重比べの場面を見かけることもある。自分の体重を知らない人が多く、体重の話も別にタブーでもなく、わざわざ話題にするほどでもない。アラブの国に足を運べば、アラブの人は体重だけでなく、いかに自分の身体をデフォルトでネガティブに見ないかがよく分かる。しかし、残念ながらそういった体重への意識や無関心が、社会問題となっている過体重と肥満の因子、糖尿病など多くの非感染性疾患の有病率の増加に大きな役割を果たしている。

 

アラブ諸国では肥満率の増加が指摘されており、世界肥満観測所のデータによると、アラビア半島の国々を始め、ヨルダン、イラク、エジプトでの肥満率はほぼ3割で、これらの国々は糖尿病の人も多く、人口あたりの糖尿病罹患率が世界15位以内にランキングされている。シリアでの肥満率は上記の近隣諸国の肥満率には及ばないものの、2割5分を超える。実感として40~50代以降になると男女を問わずお腹が出ている人の割合が大きい。特に民族衣装を着ている人は身体全体がすっぽり覆われるため、シルエット的に目立ちにくいが、それでも時々、男性でも妊婦かと思うほどお腹がぽっこり出ている。シリアでは「お腹が出ていない男は家具のない家のようなものだ」という有名なことわざがあるくらいだ。

 

アラブ社会における肥満まん延の最大の原因が、カロリーが高いものの消費だ。シリアの食事には野菜や穀物が多く使われているが、調理過程で脂質や炭水化物が高いものに仕上げてしまう。昼食後に砂糖がたっぷりの紅茶を飲み、夕方になると糖質と脂質が高いデザートを食べたりする。オリーブオイルはコーランや聖書の中で祝福されたものとされているため、アラブ諸国の人は料理にたっぷりオリーブオイルをかけることが身体に良いことで、ごちそうだと考えている。自宅に食事に招待した時には、普段よりもたくさんオリーブオイルを加える。料理オイル、または野菜や牛のギー(バターオイル)より脂質が高い羊のギーを使ったデザートを用意する。

 

砂糖が入っていないお茶やジュースを出すことはあり得ない。1リットルのお湯に100グラムの砂糖を溶かし、お茶を入れる。5年前から続いている経済封鎖下のシリアの現状では砂糖の価格が徐々に上がり、今1キロが1万5千シリアポンドで、平均給与15万~20万シリアポンドの公務員にとって高価なので、食生活から徐々に砂糖の摂取量が減らされるのかと思ったが、逆に他の食料品を減らしたり、省いたりしても砂糖はやめられない。お酒を飲まない、経済封鎖でデザートやお菓子が高価すぎてなかなか買えないシリア人にとって、砂糖で飲み物を甘くすることがそれに代わる嗜好品なのかもしれない。

 

また、アラブ社会における運動不足は―いや、運動文化の欠如と言っても過言ではない―食生活に次ぐ肥満まん延の大きな原因だ。20年前からシリア、特に首都のダマスカスと近郊ではジム施設が増えた。施設は地下1階にあり、外が見えない、窓は地上の地面からはみ出している天井の高さに合うように壁の上部に設置されている。女性向けの1時間のエアロビクスクラスが1日に1回か2回あり、時間をずらした男性クラスのために種類も数も少ない筋トレマシンが置いてある。

 

ジム流行と並行して、テレビやインターネットの普及により、一般の人もスクリーン上で美しい女優やアーティストを見て、体重の問題に気づくようになった。さらに、ビデオクリップが広まり始めた時、夫は美しいスリムなレバノン人歌手を見て妻が太っていることに初めて気づき離婚したという事件もあった。スリムで美しい俳優や女優ばかりが出演するトルコのドラマが、アラビア語吹き替えでシリアでも流行し、ドラマの出演者に憧れ、体重を減らしたいと思うようになった若い女性や主婦が次々と現れた。だが、多くの女性には体重を減らすことについての知識が少なく、ジムに通えば1~2カ月でなりたい身体になれると思っており、その効果が得られないためにジムをやめてしまう。そこで、不健康な方法で食事をやめたり、空腹に耐えたり、専門家でない利益ばかりを目的とする販売業者からほとんど効果がない減量薬を無作為に選んで購入したりする。妥当な体重と健康状態は関連するものだと考えずに、ただ痩せて外見を変えたい。

 

3年余り前に帰国した後、数カ月ごとにジムを変えて通ってみたが、登録するたびに「細いからわざわざ時間かけて運動する必要はないよ」とどこのコーチにも言われた。一般の人だけでなく、ジムのコーチでも、運動は健康維持のためのものだというより、過剰な体重を落とす手段として考えている。月会費が高くなったので退会し、外で走りはじめたら、道を通る車の助手席やトラックの荷台に乗っている人に、笑われながら見えなくなるまで「1、2」とよく号令をかけられたりする。意地悪なことに慣れるまでは不愉快に思ったが、そのうち仕方がないことだと受け入れ無視できるようになった。

 

そもそもアラブ諸国では肥満が多くの病気の発症に関係しているという認識もあまりなく、肥満が外見問題に過ぎないと思われている。また、深刻な問題として考えられておらず、むしろ、年を取れば身体も衰え、肉体も横に成長し、病気する、それが当たり前のことだと思われている。

 

肥満で糖尿病になった40代の叔父や心血管疾患に苦しんでいる50代の旦那の友人に健康維持の話をすると、「我々にふりかかって来るものは、すべてアラー(イスラム教で万物を支配する唯一の神)が特に定め給うたものばかり。アラーこそ我々の守護者。アラーにこそ一切をお任せ申すべきだ」や「以前からある記録(アラーが定めたもの)に沿わない限り誰も長く生き続けないし、誰の命も短く切られることはない」などとコーランの教えが返ってきた。

 

そして、この二人だけでなく、病気している他のシリア人も薬を飲むのは基本的に辛くなるときに限ってだ。40歳を越えた女性は「もう年なので」と自分の身体のことを諦めている人が多い。妥当な体重または健康な状態を維持するために、好きな食事を制限したり筋肉を痛めて運動したりするのはばかばかしいことだ。どんなに努力しても、アラーが定めた日以外には死なない。むしろ、無理に努力しないで身体を巡ることに悩まないで、定められた人生のすべてをそのまま受け入れて生きるのが良くて幸せで元気という考えだ。

 

第三者の神アラーへの完全な依頼心が強く、主体性を持とうとしない。身体に関してコンプレックスを抱き悩む必要はなく、神にすべてを任せることが元気なのだ。それが精神的な健康の在り方の一つでもあると考えても良いかもしれない。長い時間をかけて内在化した考えからは簡単に抜け出せるものではなく、場所も生活スタイルも違えば価値観も違う。良い悪いも単純に判断できるものではない。しかし、「体重は単なる外見の問題だけではない。未病で健康な身体を守ろうと努力し様々な制限を設けることにも人生のまた別の幸せと楽しみ方がある」という考えがアラブ一般の人に広まっていく時が早く訪れてほしいと思う。

 

<ナーヘド・アルメリ Nahed ALMEREE>

渥美国際交流財団2019年度奨学生。シリア出身。ダマスカス大学日本語学科卒業。2011年9月日本に留学。2013年4月筑波大学人文社会科学研究科に入学。2020年3月博士号取得。博士論文「大正期の童謡研究――金子みすゞの位置づけ」は優秀博士論文賞を受賞。2020年11月『金子みすゞの童謡を読む――西條八十と北原白秋の受容と展開』港の人から出版。2021年、第45回日本児童文学学会奨励賞受賞。現在、ダマスカス大学文学部日本語学科教員。

 

 

 

2024年2月29日配信