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エッセイ757:朴峻喜「新しい研究と挑戦」

日本に留学するとは夢にも思っていなかった。釜山国立大学博士課程の学生で、2018年春に埼玉大学に交換留学に来たことがきっかけとなった。日本に来てからは、自分の世界がひどく狭かったことに気づいて衝撃を受け、心身ともに不調な日が続き、腸炎にも苦しめられ、痩せてしまった。当初私の日本語は初歩的な水準で、解釈するのが毎日大変だった。日本で生活するのがとてもストレスだった。

 

幸いだったのは、留学先である埼玉大学が私にはとてもよい環境だったことだ。日本語が得意でなくても配慮してくれる研究会の雰囲気があり、私の専攻である労使関係で、日本国内で一番の専門家の先生方や多様な分野で活動している大学院生の同僚たちが私を支えてくれた。日本語ができないことが苦しかったりもしたが、一方では温かい雰囲気で研究でき、新しい未来も夢見ることができた。当時の夢は日本語が少しでもうまくできるようになること、労働と関連した博士論文を完成させること、その過程で査読付き論文を3本書くこと、そして、できれば就職もしてみることだった。

 

まだ信じられないが、この4年間は本当に耐えながら博士論文を書いた。大変だったが、3本の査読論文も掲載できた。運良くアカデミアに就職することもできた。努力した以上の良い結果が出て過分な状態で、これ以上望むことはないと思ったし、こうなればもう大変なことはないだろうと思っていた。

 

ところが博士論文を書き終えた後、目の前が閉ざされたように感じた。これから何を研究すればいいのか、どんな先生になればいいのか、元々のテーマを発展させていくべきなのか、それとも全く新しいテーマを探すべきなのか、学生たちと楽しく交流する先生になるべきなのか、それとも自分の研究に集中して著名な研究を行う先生になるべきなのか、悩ましい問題が出てきた。日本語は以前よりも上手になったとはいえ、相変らず満足できない。ミスをするとさらに恥ずかしく感じられた。

 

いつか人生で悩みがなくなる時があると思ったが、それは幻想だったようだ。仕方なくもう一度夢を考えざるを得なくなった。今は博士課程のような5~7年間やりたい研究ではなく、人生全体にわたる研究について考える時であると思った。どんな研究者になりたいのか、どんな人間になりたいのか、どんな言葉をどんな言い方で話す人になりたいのか、そしてそのためにはどのような計画と努力が必要なのか、長期的に考える必要性を感じるようになった。

 

今はまだ、何か社会に役立つ研究をしたい、そして労働研究において不平等問題を解決できる何らかの研究をしたい、という漠然とした考えしかない。もう一度、このような漠然とした考えを基に、博士課程の時のように研究体系全体を具体的に描いていかなければならないだろう。こういうことをやり直さなければならないと思うと、時に力が抜ける時もあるが、それでもやり遂げた時間を振り返ってみれば良い結論にたどり着くはずだと、少しの希望を持っている。そして、いつかこのような悩みを、同期奨学生だったラクーン同志たちと共に分かち合いたいと思っている。

 

<朴峻喜(パク・ジュンヒ)PARK Joon-hee>

2022年度渥美奨学生。2023年3月埼玉大学人文社会科学研究科で経済学博士号取得。現在、立教大学経済学部助教。労働経済や労使関係を研究。

 

 

2024年2月23日配信