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エッセイ744:李鋼哲「キャリアと天職」

大学のゼミに「キャリア・デザイン」という科目が設置された。その意味すら分からなかったので、担当することになった時に『大学生のためのキャリア・デザイン入門』を購入し、勉強した。「働き方、社会活動と生き方に繋がりをつけ、自分の人生の中でどう働き、どう社会活動をしていくかを考え、計画し実行するのがキャリア・デザイン」とある。職業人生に焦点を当てているので、学生たちに「将来就きたい仕事について」レポートを書かせた。以前、「人生100歳時代をどう生きるか」のテーマを出し、各自パワーポイントを作って発表させたこともある。今回も学生たちはいろいろな資料を調べて、それについて自分の考え方を発表した。

 

しかし、私は日本の学校教育において何か欠けているのではないか、といつも考えている。日本の小中高校教育に携わったことがないので、どのように教育を受けたのかは個人面談などを通じて推測するしかない。何が欠けているだろう?30数年間日本に住み観察しているが、日本の教育は「サラリーマン」を育てるのが主な役割のようだ。もちろん、社会が成り立つためには大勢のサラリーマンが必要であろう。それを進めているのが「キャリア・デザイン」かな、と思う。しかし、それでは物足りないのではないか。

 

その答えを韓国人の友人のエッセイに見つけた。昨年12月、「世界平和フォーラム」からフィリピンに招待された時、私の講演の姿をイラストに描いて私に見せてくれたので一緒に写真を撮り、その後も日本と韓国で2回お会いした方である。建設現場で日雇いの仕事をしていると聞いてびっくりした。現場で働く労働者を直に観察しながら、人間や社会の深層を探求し、イラストで表現して社会に訴えている。それ自体が素晴らしい生き方だと私は感心するばかり。

 

友人が送ってくれた韓国の新聞に掲載されたというエッセイを読んでひらめいた。人間の職は3種類あるという。1つ目はジョブ(Job)で、生存するための仕事。2つ目はキャリアで、会社や社会で自分の才能や技能を十分に発揮できる仕事。そして、3つ目のコーリング(Calling)が「天職」である。日本に来てから「学校の教師は職業なのか、それとも天職なのか」という議論を聞いたことがあったが、「天職」についてそれ以上のことは知らなかった。ましてや「コーリング」とは何か、辞書で調べた。「呼ぶこと、叫び、点呼、召集、天職、(神の)お召し、職業、強い衝動、欲求、性向」。

 

さらに、チャットGPTに「天職またはコーリングについてどう解釈しますか?」と聞くと、「天職またはコーリングは、個人が自身の生き方や仕事において本質的な目的や使命感を感じることを指します。それは単なる職業や仕事以上のものであり、個人の価値観や情熱と深く結びついています・・・」。この答えに大変満足した。中国の聖人孔子の言葉「五十にして天命を知る」に通じる。私も50歳で「天命」を知ることになったと考えている。

 

先週、大学の講義の前に、学生たちに「3つの職業」について話した。まず「キャリアとは何ですか」と質問を投げかけて学生の答えを聞いた後に、説明した。学生たちは目を丸くしていたので、全員の学生が初めて聞く話であることが分かった。

 

世間でよく言われる「日本の教育は学生に夢を抱くように教えない」、「日本の教育には哲学がない」、などの議論を考えると、学生には「職業」や「キャリア」だけではなく、「天職」についても教えるべきではないか。崇高な理想や夢をもって「Job」をこなし、「キャリア」を磨くような教育が必要ではないか?

 

自分の人生を振り返ると、小学生の時には「全世界に共産主義を実現し」、「世界の無産階級(プロレタリアート)の解放のために」勉強し、人生を頑張るという教育を受けていた。幼いころは、まじめにそれを受け止めていた。もちろん、今考えるとそれは「共産主義のイデオロギー教育」となって否定的に捉えることが多い。しかし、全人類の幸せのために頑張る人生観を身に着けるという意味では、今の「持続可能な開発目標(SDGs)」と通ずるところがあるのではないか。昨年、渥美財団関口グローバル研究会(SGRA)のフォーラムでも取り上げたように「誰一人残さない」というスローガンと、「良き地球市民」とは一致するのではないか?渥美財団との出会いは、私にとってはもう一つの「コーリング」に目覚めた機会だったと思っている。

 

その目標を、共産主義を通じて実現するのか、資本主義を通じて実現するのか、あるいは「第三の道」で実現するのかについて人々はそれぞれの考え方を持ってはいるだろうが、「誰一人残さない」というスローガンは立派なものであり、それをもって自分の人生観を育んでいたら、人類社会はどんなに素晴らしい社会になるだろう。

 

学校での教えで立派な夢を見て育ったが、いざ社会人になった私は、貧しい農村で如何に生存するかが重要な課題になってしまい、その貧しさから脱却するために4年間も農業労働をしながら受験し、「死ぬほど」勉強して、8億中国人民が憧れる首都北京の大学生になり、人生が180度転換した。大学では共産主義の教育を受け、率先して共産党員になり「全世界で共産主義を実現するために終生奮闘する」と党旗の前で宣誓した。

 

その後、北京で大学院に入り大学の先生になった。1989年の天安門広場での学生デモに参加して、政治改革を呼びかける学生を声援したが、それが武力により無慈悲に鎮圧されるのを見て、共産党や共産主義の理想に幻滅し、職を放棄し、資本主義で自由な国日本への留学を決意した。

 

目標や夢のないまま、そしてお金もなく裸一貫で日本に来て、10年間も「就学生」や「留学生」という在留資格を持ってアルバイトで生計を立てながら放浪していた。大学院まで卒業し大学の先生にまでなっていた私は、日本で学ぶ目標もなかった。何かのきっかけを見つけたかったかも知れないが、そんなに簡単には行かないのが現実だった。

 

日本語学校を経て、ビザを延期するためには日本の大学院に行かざるを得ない。大学院では国際経済学を学んだが、たまたま「図們江地域の国際開発構想」(「とまんこう」と呼ぶが、朝鮮半島では「豆満江」:どぅまんかんと呼ぶ)という研究テーマ(国連UNDPが関わる開発プロジェクトで、中国、北朝鮮とロシア参加国国境地帯を共同で開発する構想)に出会った。この地域の中国側は私の故郷であり、私はたまたま中国語と韓国語(朝鮮語)をマスターし、中国の大学院ではロシア語を独学していたので「この研究はライフワーク」と確信した。その時、天職(calling)という言葉は知らなかった。

 

東京の大学などでこの研究をする人はほとんどおらず、修士の指導先生からは「李君、そのようなテーマを研究しても日本では飯を食えないよ」と言われた。それでも私は諦めず、この研究に突き進んでいた。その後、素晴らしい出会いがあり、人生の転機を迎え、東京財団で「東北アジア開発銀行設立構想」について研究する研究プロジェクトの一員になり、当時の小泉純一郎首相へ政策提言した。「キャリア」としての人生が始まった。内閣府の国策シンクタンク総合研究開発機構(NIRA)の研究員にもなり、「東北アジアの未来を構想する」様々なプロジェクトに携わった。そして、大学の教員として「東北アジア経済」などを教えることになる。

 

3年前に一般社団法人・東北アジア未来構想研究所(INAF)を有志たちと設立し、将来はシンクタンクとして、この地域に平和と繁栄が実現することを目指して、生涯をかけて頑張ろうと決意している。結局、この研究と活動が私の「天職」なのかもしれない。

 

 

英語版はこちら

 

 

<李鋼哲(り・こうてつ)LI Kotetsu>
1985年北京の中央民族大学業後、大学院を経て北京の大学で教鞭を執る。91年来日、立教大学大学院経済学研究科博士課程単位修得済み中退後、2001年より東京財団、名古屋大学国際経済動態研究所、内閣府傘下総合研究開発機構(NIRA)を経て、06年11月より北陸大学で教鞭を執る。2020年10月1日に一般社団法人・東北亜未来構想研究所(INAF)を有志たちと共に創設し所長を務め、日中韓+朝露蒙など多言語能力を生かして、東北アジア地域に関する研究・交流活動に情熱を燃やしている。SGRA研究員および「構想アジア」チームの代表。近著に『アジア共同体の創成プロセス』、その他書籍・論文や新聞コラム・エッセイ多数。

 

 

2023年8月3日配信