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エッセイ738:郭立夫「トランス嫌悪言説の中で性的マイノリティーとして教えること」

非常勤講師の仕事が大変です。その理由は一般的に労働条件が悪いだけでなく、私自身が性的マイノリティーとしてジェンダー論を教える時に「絶望」を感じるからです。その「絶望」の方が私のストレスになっています。

 

2022年の春学期、非常勤講師として2つの大学で「トランスジェンダー」をテーマにしたジェンダー論の授業を始めました。2021年の東京オリンピックでニュージーランドの重量挙げのトランス女性選手が「女性」として出場したことが、中国と日本の会員制交流サイト(SNS)で炎上したからです。「男性」としてトレーニングされてきたトランス女性選手は「シスジェンダー(出生時の体の性別と性自認が一致する人々)」の女性選手の「脅威」として語られ、まるで「加害者」であるかのように批判されました。それを目にした私は、一人の研究者、そして大学の教員として授業を通じて何かできることがないか模索したいと強く感じました。しかしそれは簡単なことではなく、本エッセイを書いている今(2022年5月)、春学期が始まってもう1カ月ほど経っていますが、いまだに学生のコメントに「シス女性を守るために、トランス選手の試合参加は認めてはいけない」などの意見が見られ、その難しさを感じています。

 

英語では女性の権利を掲げながらトランスの権利を否定する人たちを「TERF(Trans Exclusionary Radical Feminists)」と呼んでいます。この言葉の略称が多くの問題(例えばこの人たちはフェミニストといえるのかどうか)を生むのは言わずもがなで、もはやこの言葉を使うこと自体が大変な物議を醸すようになってきています。特にトランス嫌悪的な発言をする人たちは、この言葉を常にトランス活動家たちによる自分に対する「攻撃」だと認識し、その言葉の使用を拒否し、強く反対しています。彼らは女性の権利保護を掲げつつも、フェミニズム思想と運動が何十年もかけて作り上げてきた「ジェンダーもセックスも社会的・政治的に構築された」という思想を否定し、「女性とは誰か」というフェミニズム思想の根本的で定番の質問に対して、安易な生物決定論で答えているのです。

 

今、TERFについての研究は欧米を中心に展開されています。それらの研究から分かるのは、TERFの概念は政治的・宗教的保守勢力から大きく影響を受けているということです。ジェンダーに真に批判的である「Gender Critical」であり、同時にTERF思想を掲げる活動家たちは多くの場合女性が主体となっていますが、不思議なことに彼女たちは政治的な保守勢力(多くの場合はこれまで女性運動に抑圧的な態度を取っていた政治的・宗教的勢力)と連動しており、女性運動をこれまで抑圧してきた保守勢力とも手を繋ぎ、今やトランスジェンダー女性を排除しようとしているのです。

 

一方、東アジアでは欧米でのこうした活発な動きに比べると学術的な研究がまだまだ不足しています。実際、韓国の女性運動をまとめた『根のないフェミニズム』という本では、「ゲイとトランス女性はジェンダー・イデオロギーのカルトであり、トランス男性こそ本当の女性だ」というあたかも誰の性自認も承認しないような発言すら見られます。そして日本語にも翻訳され、今まさに販売されているのです。

 

私はオリンピックの事件を契機にプログラミング言語を学習し、TwitterとWeiboで調査を行いました。そこから分かったことは、中国と日本のトランス嫌悪的な言説も各国の保守勢力と緊密に連動しているものの、英国や米国の活動家がフェミニズムや女性の権利を主張し自らのヘイトスピーチを合理化しようとするのに対し、日本や中国のトランス嫌悪的な言説はあくまで「生物学的」、つまり科学言説に論拠している、ということです。

 

もう少し詳しく見てみると、中国では米トランプ前大統領の発言を引用し、トランス排除を合理化しています(Weiboにおけるトランス嫌悪的なコンテンツではトランプ支持の内容が最も多かった)し、日本は中国よりも「女性の権利」を掲げる声が大きいものの、生物学やルールの公平性などそもそもジェンダーの観点に触れない言説が圧倒的に多いのが印象的です。そして、それらの言説はトランス批判を契機に、LGBTとフェミニズムを左翼勢力とし、右翼こそ日本を救うものだとする典型的な「ネトウヨ(インターネット上で活動する右翼団体)」言説が多いと思われます。そして、三分の一程度の割合で、中国の陸上選手に関するデマが見られます。つまり、日本のネットにおけるトランス嫌悪は「嫌中」とも連動しているのです。まだまだ研究をする余地がありますが、トランスジェンダーに関する議論が東アジアでもジェンダー・ポリティクスを考える上で必要不可欠なものとなっていることは間違いありません。

 

冒頭のエピソードに戻りましょう。私自身も性的マイノリティーなので、ジェンダー論を教える事、とりわけトランスジェンダーに関する知識を教える事とは自分自身の再確認でもあります。教えている時に感じた「絶望」とは、自分の自己再確認が学生によって疑問視されていると感じたからかもしれません。学生から批判的な意見が届くたびに怒りで震えてしまいます。しかし、その怒りこそ私を動かすものなのです。良い意味でも、そして悪い意味でも。

 

<郭立夫(グオ・リフ)GUO Lifu>
東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程。日本大学、神奈川大学、東洋英和女学院大学などで非常勤講師。

 

 

2023年6月1日配信