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エッセイ733:蒋薫誼「 “比較”から得たもの」

今までの人生は絶えず北へ行く流れだった。島国である台湾において、唯一の海なし県である南投が私の故郷だ。南投は台湾の中心部にあり、有名な日月潭がある。ただ、観光地以外はあまり賑やかではなく、田舎のイメージが強い。私は南投県の小さな町、草屯で楽しい子供時代を過ごした。その後、優秀な学校に進学するため中学と高校は台中の進学校に、大学は台北のエリート校に進学した。ますます北へ、ますます都会へ。そして、現在ははるか北にあるもう一つの島国におり、国際的な大都市・東京で暮らしている。

 

東京で初めて雪を見て、その感動は今でも忘れない。湿度が極めて低くなると、肌が乾燥すると同時に、いろいろな健康問題が起こることを痛感し、初めて加湿器を使った。太陽が午後4時半頃に沈んでしまう冬の夜の長さに驚いた。異世界の迷路のような複雑な鉄道交通網を利用し、さまざまな国の方と出会うと、大都会に生きている実感が湧く。

 

私の研究対象である江戸儒学者の荻生徂徠は、父親が放逐されたため、田舎の南総(千葉県中部)で10代と20代前半を過ごした。江戸に戻った20代後半の徂徠は、その「南総体験」と目の前の繁華な江戸を対比し、人に対する「風俗」の影響力は莫大であり、人々は自分が生きている環境とそこから得た経験しか分からないため、識見が制限され、まさに「廓(くるわ)」に囲まれた状況にいることを悟った。そのため、徂徠は「廓」から出て、現在の「風俗」を相対化する能力の重要性を強調した。

 

居所がずっと変動していた私は、徂徠が言った「風俗」の違いと「廓」による制限を確実に感じている。さまざまな情報が自由かつ速やかに流通している現在でも、都会と田舎では暮らし方や人々の関心は違っている。そして、言うまでもなく、国の境を越えた後、文化・価値観などの違いは非常に大きい。

 

来日する前の日本に対する印象はごく単純、そしてシンプルなものばかり。例えば「食べ物は塩辛い」、「皆、礼儀正しい」など、台湾人の日本への一般的なイメージを共有していた。これらは間違っていないけれども、日本という国の複雑さを非常に乱暴な形で要約した結論だと思う。「塩辛い」は恐らくラーメンやとんかつなどのイメージだろう。しかし、日本の家庭料理は台湾より遙かに薄味であり、伝統的な日本料理も濃厚な味を追求していないと思う。また、礼儀正しさの半面、人間関係は一定の距離を取っており、建前と本音が分かりにくい場合がよくあると実感している。

 

日本で何年も生活して、日本の方々と付き合い、「他者」である日本を単純に理解してはいけないことが分かった。また、そこから「自己」である台湾のいろいろな事象を、より深く理解できるようになった気がする。例えば、私は日本の方から「台湾料理の特徴は何か」と聞かれて、初めてこの問題を考えた。ちなみに、その答えは「やはり甘い」だ。また、台湾では不作法な振る舞いがよく見られる。しかし、その反面は人情味溢れる社会と、「一致すること」を追求しない自由な雰囲気だ。

 

私が心得たことは、自己と他者の文化を比較する目的は、決して両者の優劣を下すためではないということだ。それは、自己と他者の実態を十分に分かった上で、他者を理解するために自己の特徴を以て他者を思索し、自己を認識するために他者の特徴から自己を対照する作業だと思う。これを通じて他者と自己を同時に「相対化」し、それぞれの「廓」から両者を解放することができる。これは居所がよく変わる私にとって非常に有益な心得であり、従事する思想史の比較研究にも役に立つ視点だ。

 

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<蒋薫誼(しょう・くんぎ)CHIANG Hsun-yi>
2021年度渥美奨学生。台湾南投県出身。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程に在学中。東アジア思想史を専攻。江戸時代の徂徠学と清朝考証学との思想的な交流を研究。

 

 

2023年3月2日配信