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エッセイ732:李典「パートナーに支えられた留学生活」

この春、7年間の博士課程でのトレーニングを終了し、新たな道を歩み出す。10年も留学で日本にいたことになるが、その間の出来事を振り返ってみたい。

 

初めて日本に来たのは6歳の時で、両親の仕事の都合で北京から大阪に引っ越し、2年間住むことになった。小学校の担任が私や両親とスムーズにコミュニケーションが取れるように中国語を勉強したり、クラスメートたちも親切に接したりしてくれて、日本を離れる時にまたいつか来たいと強く思ったのを覚えている。

 

再び日本に来たのは13年後の2011年春。東日本大震災の直後だった。生物学専攻の学部生の私は交換留学で横浜に1年間留学することになった。余震が絶えなかったので、ビクビクしながら初の海外での一人暮らしだったが、面白い授業や実習のおかげで充実した毎日を過ごした。当時指導していただいた先生の紹介で私がその後所属する研究室を訪ねる機会があり、運よく修士課程から受け入れてくれることになった。

 

北京の大学の学部を卒業し、2014年春、東京で新生活が始まったが、まさか9年間も慶應義塾大学にいることになるとは思ってもみなかった。修士課程はそれほど難しくなく、授業を受けながら残りの時間を実験に使った。チャレンジングなプロジェクトに入っていたが、順調に進んで結果も出始めた。実験手法を磨き、きれいなデータを出すのが楽しくて、2年間はあっという間に過ぎていった。

 

その後も学問を追求したいという思いから、迷うことなく博士課程に進学した。しかし、そこからさまざまな変化があった。実験がうまくいかず、プロジェクトが進まない。試行錯誤し続けても改善が見られない。実験などいろいろなことを教えてくれた仲の良い先輩たちが卒業していき、ライフワークバランスが崩れ始めた。学会発表でも研究について厳しく指摘され、追い討ちをかけられた。研究や対人関係で心細い思いをし、一時期はあまり動けず、朝布団から出られず、研究室に行けなくなってしまうまで調子を崩した。

 

そんな時に一番心の支えになってくれたのが夫だった。中国から駆けつけてくれて、私が立ち直るまで一緒にいてくれた。時間がかかったが、なんとか回復して、研究も方向を変えて新しいプロジェクトをゼロからスタートさせた。もう博士課程3年目だったが、余計なことを考えずもう一度研究を楽しもうと決心した。夫も中国での仕事を辞め、日本に来て博士課程に入り、同じ研究室で研究を始めた。

 

4年が経ち、この3月に私たちはようやくプロジェクトを完了し、博士号を取得する。この間はもちろん全てが順調ではなかったし、研究をしていると毎日のように問題に直面し、時には挫折する。そんな中でも心のバランスを保ち、困難を乗り越えていくには心の支えを持つことと、身の回りの些細なことに気を取られないことが重要だと知った。生活面での心の支えは一般的に家族になるのだが仕事面まで理解が得られない場合が多い。しかし、仕事面でのサポートも生活面と同じくらい重要だと感じている。私の場合、運良く生活でも仕事でも理解してくれるパートナーに出会えたことで困難を乗り越えられた。

 

もう一つ私にとって大事な心掛けは、些細なことに気を取られないようにし、日々の生活の中で余計なエネルギーを使わないことだ。一つの実験結果に一喜一憂していると時間もエネルギーも無駄になるし、ニュースや会員制交流サイト(SNS)の情報で落ち込んでいられない。感情的になるよりも論理的に物事を分析することのほうがよほど効率が良い。エネルギーを使いすぎてしまうと次の日がどうしてもしんどくなってしまうので、無駄な消費を抑えることが自分にとって一定のコンディションを保つ有効な方法だと感じている。たまに感情が薄いと言われることもあるが、それも気にしない。

 

ここまでこられたのは、大勢の方々からの助けがあったからこそで、恵まれていたと感じている。失敗も挫折も経験したが、それらに向き合ってきたからこそ成長できたと思う。感謝の気持ちを忘れずに、目の前のプロジェクトに挑み続けたい。

 

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<李典(り・てん)LI Dian>
2021年度渥美財団奨学生。中国北京市出身。慶應義塾大学医学研究科博士課程在学中。哺乳類着床前初期胚発生時に、ゲノム中でとびまわる特殊なDNA配列の動態を研究。3月に博士号取得見込み。4月からは所属が変わり、アメリカ・ペンシルベニア大学で研究活動を継続する。

 

 

2023年2月23日配信