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エッセイ719:オリガ・ホメンコ「女、男、子どもの戦争」

◇女たち

 

戦争になったら女一人で何ができるか考えて、友達は2014年春にジムに通い始めて体を鍛えることに集中した。男より体が小さい女も、普通の生活においても自分自身と子どもたちを守るべきと思ったようだ。「少なくとも限られた荷物と幼い子供2人を抱えて歩きながら逃げるために役立った」と今は話している。

 

戦争の時に女性は命の危険を感じて避難しなければならない。避難先で新しい生活を作り直さなければならない。その過程で精神的な不安といろいろ危険な状況を乗り越えなければならない。2014年の春には不思議に聞こえたが、2022年の冬にはよく思い出していた。その前のコロナの2年間に研究ばかりしてジムへ通う時間が少なかったことを残念に思った。

 

8月にキーウに行く日本人記者の女性の友達にも「戦争の時に一人の女性に何ができるのか」と同じ質問をされた。答に詰まった。確かに戦争になったら女性は2倍くらいの危険を感じるようになる。女性だから知らない男の群れの近くを通るだけで危険を肌で感じる。

 

だが怖い時には余計に勇気が出せる。この半年にいろいろな女性を見て感動した。自分で運転して家族をドイツまで避難させた40代の母親。留学先のイギリスからウクライナに戻って寝たきりの母親をイギリスに連れて行った30代の独身女性。軍隊のために寄付を集める50代のビジネスウーマン。軍隊のために潜伏用のネットを作る80代の元数学の先生。ボランティアでカウンセリングをする40代の売れっ子の心理学者などなど。軍隊に志願した女性も少なくない。学生や会社員が看護婦、運転手、軍隊の広報員になって一生懸命頑張っている。最近の社会広告には「ウクライナには弱いジェンダーがない」というスローガンで軍服を着た女性が写っているポスターもある。

 

体が弱くても時には男性より精神的に強い女性が多いかもしれない。特に歴史的にみても20世紀に活躍する男性がたくさん殺されたウクライナでは、女一人でも自分で自分の生活を成り立たせることを、皆が学んできた。独立後の30年間でやっとそれを考えなくても良い、女性を守る男性が出てくるような安心できる社会になったところに戦争が始まった。

 

Kさんは外資系企業で働くバリバリのビジネスウーマンだったが、戦争が始まった時にキーウから子どもと避難することをやめた。チケットまで手配したのに、どうしてやめたか聞くと、旦那がもともとメンタル的に弱いから、独りで残したら悪化してしまうかもしれない、だから避難をやめたと言われた。「どうせ戦争はすぐに終わるでしょう」と楽観的だったが、8ヶ月後の今もキーウに居る。

 

もちろん強い女性ばかりではない。女性であるということだけで戦争で性的被害を受けることは少なくない。スロベニアからオーストリアに入る国境で、黄色と青のウクライナカラーの背景に「人身売買の対象になっている場合は合図してください」と書いてあった。なるほどと思った。被害者は連絡できないかもしれないが、国境の職員に合図することはできる。英国に避難した友達も、質問票の中に同じような項目があったと言っていた。緊急連絡先も教えてくれたという。「現代の奴隷」と呼ばれるものを予防するためのものだ。確かに必要だと思う。この半年間に欧州のホテル、レストランのキッチンで現地の人より安い給料で働いている避難民の女性をたくさん見た。

 

◇男たち

 

戦争が始まってから70日間以上も病院で寝泊まりしていた看護婦に「どうして避難しなかったの?」と聞いたら、「ここで私が必要とされているから残った。避難先で何もしないで頭が狂ってしまうより、ここにいた方が合理的」という返事がきた。分からないわけではない。

 

ポーランドでたまたま乗ったタクシーの60代の運転手から全く同じ話を聞いた。キーウで会社勤務に加えて中心部に2つの駐車場を経営してバリバリに働いていた。ポーランドで大学に通っている下の娘のところに家族と避難したが、家にずっといるとおかしくなりそうでタクシーを始めた。

 

男性も戦争で大変だ。必ずしも皆が戦う能力を持っているわけではない。戦争で家族がバラバラになったことも大変だ。男にとっては特に厳しい選択の時代になった。軍隊に志願するか志願しないか。軍隊のために何ができるか深く考えさせられる。2月24日以降、お金持ちの息子たちは結構海外に出られたことも事実だが、普通18歳から60 歳までの男性は国を出られない。皆軍隊に呼び出される準備をしている。

 

国に留まっている男性は皆重い責任を感じている。男の友達から「男性の政治家でこの7カ月間で笑顔を見せた人は一人もいないことに気づいた?」と聞かれた。確かに。笑える時代ではない。

 

軍隊に志願した男は大変だ。軍隊にいる期間は無期限で戦争が終わるまで家に帰れる見込みがない。つい最近、軍隊に行ってから3人目の子供が生まれた父親だけが家族の下に戻ることができる法律ができた。2014年に徴兵された経験のある2人の作家は、その「無期限」の修正を大統領に申し立てた。

 

まだ徴兵されていない人も、別の形で役立つように頑張っている。若い時からスポーツオリエンテーションが好きな歴史家の友人もその一人だ。ハルキフとキーウの真ん中にあるポルタワ市の出身で、家族をポーランドに送ってから地元に戻って一般市民向けの「地図を読む講座」を開いた。スマホがつながらなくなった時でも避難できるようにするためだ。「YouTubeでしたら?」と提案したら、「だめだめ。実家の周辺は変わった地形なので、それをそのまま敵に知らせてはいけない。顔を合わせたオフラインの講座しかやらない」と言われた。確かにそういう時代だ。平和な時と違って、地図そのものも「大事な一品」になってきた。

 

感情を表に出すことが少ないウクライナの男たちが戦争になってから感情的になった。駅で家族を見送る時、子どもと奥さんに手を振りながら涙を流す。家族を避難させて家に帰っても一人で眠れなくて、夜遅くまで軍隊のためにバラクラバ(目出し帽)を裁縫する。今月キーウにミサイルが落とされた時、地下鉄の駅に集まった人々の中でおじいさんが泣いていたと教え子が言っていた。きっとキーウ駅近くのオフィスビルの破壊を目の当たりにして許せない気持ちになったのだろう。

 

◇子どもたち

 

子どもたちはまだ幼いから避難先で一番先に慣れて友達を作れるが、彼らも大変だ。

 

戦争が始まった後に描かれた子どもの絵を見ると、その中に口にしない戦争が見える。11歳の甥がオーストリアに避難してから初めての美術の授業で描いた絵を見せてもらった時に戸惑いを感じた。まず自分の手を写生し、そこから絵にするという課題だったようだ。一見したところ黒い背景に描かれた鮮やかな鳥に見えた。しかしよく見ると、その「手・鳥」は叫んでいるか、助けを求めているように見える。「避難は怖かった?」と聞くと、無表情で「別に」としか答えない。でもその絵の全部がなんとなく怖いものに見える。その子の他の絵を見ると、戦車、武器、軍人やウクライナの旗が出てくるものも少なくない。たくさんの怖い思いをしたウクライナの幼い子どもたちを守ってください。

 

父親たちは妻と子どもを海外に送り出すために国境まで一緒に来ることが多い。それで国境での別れがまた辛い話になる。小さい子どもは「パパを逃したくない」と泣きじゃくる。11歳の甥は国境の職員に抱きついて「おじさん、お願いだからパパを通してください」と涙を流してお願いした。職員は冷たかった。母親にむかって「奥さん、子どもをどかしなさい」と言った。

 

それより小さい子はまだ状況が分からないから「父親は一緒に行きたくないのだ」と勝手に思う。ハンガリーに避難した友達の5歳の子は、パパからくる電話に出たくなかった。「どうしたの?」と聞くと、「パパは私たちを捨てたから話したくない」と言うので、みんなびっくりした。小さい子どもの頭の中がどうなっているかは謎だが、それなりに考えている。

 

戦争が始まった時に、キーウ郊外の地下室に隠れていた知り合いの7歳の息子は戦争が始まった理由が分からなくて「どうしてプーチンは私たちを嫌いなの?」と聞いたそうだ。どうしてでしょうね。答えがない。領土が欲しいけど、ウクライナ人はいらないからだ。

 

子どもの現実と夢だけではなく、遊びの中にも戦争が入り込んだ。ウクライナの子どもは昔から家の前で大勢集まって遊ぶことが多かったが、戦争でそれがなくなりつつある。しかしながら、先日、友達の車が家に入る時に7歳から10歳くらいの子どもたちのグループに止められた。どうも「ブロックポスト」という戦争ゲームをしていたらしく、顔も知っているのに、きちんと家の住民かどうか確認された。お互いに笑って通してもらったが、「戦争で子どものゲームも変わったなぁ」と言っていた。やはり、そうです。

 

◇◇◇

 

女、男、子どもが自分を守りながら、この持ち込まれた戦争を嫌い、ウクライナのことを祈り続けている。自分が立っている場所に花を咲かせているのではなく、戦う。戦争は嫌いだが、戦わないといけない。戦わなかったらウクライナという国とウクライナ人が存在しなくなるからだ。イタリアの作家ジャーニー・ロダーリーの詩を最後に引用したい。「日中必要なものがある。遊ぶ、学ぶ、顔を洗うこと。そして昼には一緒に食卓でみんなで歌いながら笑うこと。夜にも必要なものがある。目を閉じて眠ること。そして、すべて実現できるような夢を見ること。ただし、絶対ダメなものが一つある。明るい昼でも暗い夜でも陸でも海でもみんなに悲しみをもたらすもの。それは戦争だ」。

 

 

<オリガ・ホメンコ Olga_KHOMENKO>
オックスフォード大学日産研究所所属英国アカデミー研究員。キーウ生まれ。キーウ国立大学文学部卒業。東京大学大学院の地域文化研究科で博士号取得。2004年度渥美奨学生。歴史研究者・作家・コーディネーターやコンサルタントとして活動中。藤井悦子と共訳『現代ウクライナ短編集』(2005)、単著『ウクライナから愛をこめて』(2014)、『国境を超えたウクライナ人』(2022)を群像社から刊行。

 

※ウクライナ首都の日本語の表記は、オリガさんによれば「クィーブ」が一番相応しいということですが、本エッセイではご了解いただき日本政府の決めた「キーウ」を使います。

 

※留学生の活動を知っていただくためSGRAエッセイは通常、転載自由としていますが、オリガさんは日本で文筆活動を目指しておりますので、今回は転載をご遠慮ください。

 

 

2022年10月27日配信