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エッセイ706:詹亜訓「パンデミック・グローバル内戦・幸徳秋水」

幸徳秋水の『帝国主義』から始まった私の研究生活はコロナ禍でジレンマに突き当たった批判的思考力の危機と向き合っている。パンデミック保護主義と非常事態の日常化、社会的疎外に覆われていた2年あまりの間、国境と主権国家の統治を前提としたロックダウンとスローダウン、シャットダウンなどの動きが続いていた。

 

一方、ひっそりと地理的境界線を越えて繰り広げられたのは、戦争と内戦として現れた暴力である。世界が注目するロシア・ウクライナ戦争のほか、パレスチナとイエメン、シリア、エチオピア、ミャンマー……、世界各地に暴力の影が依然として潜んでいる。現代の戦争形態は工業化とグローバリゼーションにともなって変化し、必ずしも物理的攻撃とは限らない。社会の隅々にまで浸透し、見えずとも日常生活につながっている暴力の実態は現代政治思想のなかでグローバル内戦とも呼ばれる。パンデミック下の大規模な渡航制限の関係で、他の国・地域情勢は容易に自分とは無関係で別世界のことだと思われる。人間の存在にとどまらず、社会的孤立状態が国際社会でも起きているなか、グローバル内戦の現実はさらに想像がつきにくいかもしれない。

 

1900年代初頭に出版された『帝国主義』は遠くから2020年代のパンデミックとグローバル内戦の課題と呼応している。結論で幸徳は「愛国的病菌は朝野上下に蔓延し、帝国主義的ペストは世界列国に伝染し、二十世紀の文明を破毀し」尽くすと、近代帝国主義への注意を喚起する。当書の執筆時期にはペストの日本での初流行と子年(ねずみどし)の大流行必至のパニックが起きていたので、病菌とペストのメタファーが用いられた。また、全書をつらぬく愛国心への問いかけから帝国主義の心理的メカニズムを見抜いたことが際立っている。他者への憎しみとの絡み合いこそが愛国の構造なのだと、帝国という暴力装置にかかわったメンタリティが析出される。こうした構造のもとで、「非愛国者なり、国賊なりと」愛国を理由に他者を差別・攻撃する傾向が必然的に内部の対立を深め、「世界人民は遂に敵を有せざる能わず、憎悪せざる能わず、戦争せざる能わず」という世界人民の敵対をもたらすと、幸徳は語る。

 

『帝国主義』は実に帝国主義の大流行による世界規模の戦争・内戦状態という恐ろしい結末へのパンデミック・アラートなのである。この書を出してしばらくのあいだ注目を集めていたが、日露戦争の最中あえて非戦論とトランスナショナルな連帯を堅持した幸徳は平民社同人とともにひどい目に遭い、『平民新聞』の発行部数は急落した。それは当局の弾圧によるものであり、読者に見捨てられたのもあった。『帝国主義』が世に問われてわずか10年で、「愛国的病菌」と「帝国主義的ペスト」と闘ってきた幸徳の生涯は監視と入獄、亡命を経て、大逆事件のフレームアップによって終止符が打たれた。政権の恨みを買ったと言われるが、愛国の要求に応じなかったから非国民扱いをされたという愛国主義の社会的雰囲気と対照的な社会的孤立も看過できないだろう。大逆を口実に反対する声を圧殺した政権の暴走を社会の内戦的傾向の芽生えとすれば、暴走に歯止めをかけられなかったことは社会連帯の限界を反映していたのではないか。

 

パンデミック・アラートとして、愛国の構造と世界規模の戦争・内戦状態との関わりへの鋭いまなざしは今日でも欠かせない。むろん、『帝国主義』がそのまま通用するわけではなく、今の時代状況に基づき、冷静な目で課題解決を見つめなければならない。パンデミック下、難しい決断か戦略的操作かとまでは言い切れないが、ワクチン・ナショナリズムと国境封鎖のような自国優先で保護主義的措置がまるで残された唯一の選択肢であるかのように取られている。トランスナショナルな連帯が弱まるなか、紛争地域の衝突と南北格差、ジェンダー不平等、人種差別、移民難民問題などの課題は世界規模の感染拡大とともに深刻化している。これは現在進行形のグローバル内戦である。従来の国際協調体制の限界を認め、主権国家の固定観念を変え、国境を越えて社会的連帯の可能性を模索していくことは、コロナの時代と向き合う基本姿勢だと考える。『帝国主義』をリアルタイムで読むことで、この時代のパンデミック・アラートとしての批判的思考力を引き出せば、積極的な取り組みにもつながるだろう。

 

 

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<詹亜訓(せん・あくん)CHAN Ya-hsun>
台湾国立交通大学社会と文化研究科修士。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻修士、同専攻の博士後期課程に在籍中。専門は、東アジア政治・社会思想史。20世紀日本の社会問題と帝国主義論の相互関係について研究している。

 

 

2022年5月19日配信