SGRAかわらばん

エッセイ701:楽曲「日本留学断想」

帰国まで1週間しかない。4年余りの留学生活をいかにまとめたらよいのか実に難しい。記憶ほど曖昧なものはない。時の流れにつれて常に変わっていく。過去の真実を求めようとすれば、曖昧な記憶に頼るよりもむしろ当時の記録を振り返った方が確実かもしれない。

 

日本語の訓練として、来日からずっと随想のようなものを書き続けてきた。4年間の留学生活の縮図として、3つを選んでみる。
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◇2017.09.27(来日から2週間)

 

雨が降りそう。いや、もう降っているかもしれない。風に揺られて、部屋のガラスが一日中カラカラと響き続けていた。しかしそれでも、空気がなおよどんでいるままで、暑さは少しも減っていない。

 

加藤周一の本があまりにも分かりにくい。気分転換として、一旦本を置いて魚屋さんに向かった。本当にいい店だ。決して安くはないが、ものは新鮮でしかも種類が豊か。今月はもうお金に余裕がない。残りの数日をうまく過ごすために、あまり贅沢してはいけないはずだが、結局誘惑に負けて、たくさんの食材を買った。後日のために、この初めての「爆買」の内容を書き留めておく。

 

真鯛の頭、赤エビ、カニコロッケ、大アサリ、白貝、ムール貝、秋鮭、シシャモ、イワシの唐揚げ。

 

冷蔵庫にはまだ前日に買ったアサリ、手羽先、甘エビ、豚ステーキが残っている。これで楽しい1週間が過ごせそうだ。食生活の豊かさに対し、勉強の方は全く進んでいない。入学試験まで4カ月しかない。早く軌道に乗らないと。

 

◇2018.03.02(博士課程入学1カ月前)

 

本日分の翻訳が終わった(『溝口健二著作集』の翻訳をしていた)。溝口を訳し始めてからもう1カ月以上経ったのに、全然上達していない。このペースでは原稿の締切に間に合わない。明日から翻訳の時間を増やさないと。

 

『枕草子』の写本を読み終えた。どれだけの時間をかかったのかもう分からない。くずし字とは言え、遅すぎる。「新潮古典」の注釈も届いた。やはりもう1回読み直した方がいい。

 

ところで、今日は本当に天気がよかった。雲ひとつなく、日差しがぽかぽかでいい気分だった。散歩にうってつけな天気だけど、未完成なことがたくさん残っているので、気楽に出かけるわけにはいかない。すべてが終わったら湖と山に行きたい。

 

◇2019.02.12

 

学問の意味は何だろう。損得を問わずに真理を求めること自体が意味のあることだけど、学者たちの努力によってそれを一般人の生活に役立たせることも重要だろう。人々に影響を及ぼすためには、文章の論理性よりもむしろ感性的な働きかけがより有効だ。そのために、論理性の面では少し弱いかもしれないが、鈴木大拙は日本人の精神や世界を構成する全てのものを「霊性」の一点をもって説明しようとした。さらに彼は「霊性」を「大地性」という感性的な表現と結びつけて、ますますその感化力を上げた。あの時代の論著にはこうしたものが多かったような気がする。実際鈴木氏はこの論を通して仏教、特に禅宗の魅力をとても効果的に欧米に伝えた。目的が達成した以上、正確性や論理性はもう二次的なものでしかない。このようなことは、鈴木氏ほどの学者はもうとっくに分かっていたはずだ。こうして見れば、主観的(感性的)な学問もそれなりの意味があるのだろう。
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買い物、勉強、思考、季節の景物を楽しむ。こうしているうちに4年間はあっと言う間に過ぎ去った。今日になっても、さまざまなことに対する試行錯誤は依然として続いているが、この充実した4年間のおかげで、未来の研究や生活に自信を持つようになった。日本からもうすぐ離れる現時点の願いといえば、ただひとつ。今回の別れは終わりではなく、もうひとつの始まりとなるように。

 

 

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<楽曲(がく・きょく)YUE Qu>
2021年度渥美奨学生。早稲田大学大学院文学研究科日本語日本文学専攻(博士)、北京師範大学文学研究科比較文学と世界文学専攻(修士)、南京師範大学文学部国家文系センター専攻(学士)。2022年9月より北京師範大学文学院専任講師。

 

 

2022年3月31日配信