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エッセイ676:呉勤文「日本文学に出会ってしまった人生」

高校3年生の頃、国語の先生の薦めで遠藤周作の『深い河』を読み始めた。日本の文学作品の中国語訳が大量に本屋に並べられるようになったのは台湾の戒厳令が1987年に解除された後だった。『深い河』の世界で何かの意味をつかもうとしていた信仰のない私は、この歴史の長河で浮遊する一人の読者に過ぎなかった。

 

ある日、「国語」の模擬試験のために『紅樓夢』の注釈を探す同級生に付き合って本屋をまわっていたとき、夏目漱石の『吾輩は猫である』のタイトルが面白かったので、手に取って読み始めた。これがきっかけで、『こころ』を読んで日本語文学科の受験を決意。陽射しが暖かくて爽やかな風が吹く故郷を離れて、日本語が学べる台北の大学に進んだ。

 

漱石の生きていた立身出世と生存競争の明治時代を知れば知るほど、それが台湾の学歴社会にとても似ていると気付かずにはいられない。大都会の大学に進んだ若者たちは、明治時代の学生のように高い物価と悪い居住環境に加えて、人間関係の孤立と社会からの期待にストレスを感じる。特に台北の天候はいつもじめじめしているので、それに気付かずに心身失調になった子が少なくない。

 

『子どもはあなたの所有物じゃない』という社会批判のテレビドラマが最近、台湾で話題になった。もっと早めに制作されるべきであった良い作品だと思う。社会の地位などにこだわりがない両親のもとで育った自分は、子どもの頃から学校の教育体制に違和感を抱いてきた。特に、都会出身の若者と話す際に、期待に応えることを両親と先生の「愛」と結びつけるという社会の功利的な雰囲気で育てられていることについての認識がより深まった。「これに挑戦して楽しい」よりも、「何者かにならなければならない」という焦りが、若者の間に蔓延している。学歴を重んじる東アジアにおける共通の問題として、これから教育において思索され続けるべき課題だと考える。

 

博士課程に進学する少し前から、日米安保体制の推進に伴い、米国流の実用を重視する教育体制への調整が始まった。日本の文系排斥運動は台湾の教育圏にも影響を及ぼした。文系が崩壊し始めるこの時代の中で、日本近現代小説を翻訳していた同級生も「文学には何の効用がある?」と言い出すほど、自己内面の混乱を抱えていた。さらに少子化の問題、大学のポスト激減と雇用の不安定化が原因で、とても良い大学に進学する後輩も、博士号を取ってから社会にどう見られるか焦りを感じていた。博士課程の学生を増加させることで文系の需要と供給のアンバランスをもたらした政策の失敗、それに高学歴の無職者に対する社会の軽蔑、院生の自己アイデンティティの喪失が悲劇をもたらし続けるのである。

 

留学の前後は鬱々とした日々だった。同じ出身の先輩によるソーシャルメディアいじめに遭わされ続けた。ある学会に参加したいと言い出した時点で攻撃され、自分の悪口と噂も同じ分野の人の間に流された。フェイスブックで単純に生活のことをシェアしても嫌味を言われた。何もしていなかったのに、誰かの進路を邪魔しているような罪を着せられた。研究発表の際にもほかの先生を通じて言いつけにきた人がいる。専門分野における留学生の採用率が高くない日本や欧米での就職を勧められ、女性は嫁ぐのが当たり前という旧観念をもつ方から日本で結婚相手を探す男性を紹介されたこともある。他者の欲望を自分の欲望にし、欲しい物に手段を選ばず、利益の衝突があるとすぐ裏切るような人間と「共依存」の(特定の相手との依存関係を強いられる)関係に陥っていたのだと思う。

 

思い出せば、日本文学の世界に導いてくれた『深い河』の中で、主人公は人生の意味を探すためにインドへ長旅をした。長い間、信仰のない、窮屈な人間関係の中で生きてきた「わたし」も、何を信じるべきなのか、と問いたくなった。

 

ただ、日本における自分の実存の世界は、自然に恵まれた全く違う居場所である。昔に比べてだいぶ開発されたと聞いたが、受験の前夜もシーンとした大きな森に囲まれて、バス停でガス燈に照らされる綺麗な蜘蛛糸の網を不思議に眺めつつ、心穏やかだった。本屋でもほかの所にない「森と鳥の楽しい生活」コーナーが設けられている。晴れた休日には親子ともに野原を走り回り、魚や鴨に餌をやり、のんびりした生活を過ごす人が多い。同じ院生室の後輩が冗談半分に言っていたが、ここに来た留学生の中で優しくて親切な方が多いのは、大自然に浄化されたおかげかもしれない。

 

西行や芭蕉を読んで我々がほっこりするのは、おそらく同じような長旅を心の中でたどったからではないだろうか。そう言えば日本文学を知る前に、日本では失恋すると旅に出ると聞いて不思議に思った。失恋と言えば歌とお酒、というのが台湾の通俗文化の世界だった。自分が馴染んできた日本文化の世界が上品すぎて、父母兄弟との間にできた世代差を時々、面白くすら感じる。

 

英語版はこちら

 

<呉勤文(ご・きんぶん)WU_Ching-wen>

台湾大学日本語文学科・修士(2015年・修了)。台湾大学言語センター・日本語講師(非常勤2015~17年)。日本台湾交流協会奨学生(2017~19年度)、渥美国際交流財団奨学生(2020年度)。筑波大学人文社会科学研究科博士(国際日本研究)(2021年・修了)。筑波大学博士特別研究員(2021年度)。2021年8月より台湾大学日本語文学科・專案助理教授。

 

 

2021年7月15日配信