SGRAかわらばん

エッセイ671:マリダン・ヌルマイマイティ「私の日本留学」

 

私は日本から直線距離にしておよそ4,348㎞離れた遠い世界にある東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)からやって来たウイグル族出身の留学生である。私が子どもの頃、周りの人が使っている家電製品や人気の車はほとんど日本製だったので「日本の知識、技術はすごい」という印象が芽生えた。小学生の頃から始まった日本の漫画やアニメに対する興味も好印象をもっと深めることになった。

 

1990年代後半、インターネットの広がりによって世界で海から最も遠いところにいる我々が世界をもっと知るチャンスが生まれた。医者になりたいという夢を持っていた私にとって、日本は知識や技術、発明生産能力や経済水準などだけでなく、医療水準も世界トップレベルであることが分かった。これが日本留学を決意した一番のきっかけだったと思う。そして大学に入る前から、本当の力を持つ立派な医者なるために、日本で世界トップの医学を学びたいという夢を持つようになり、2015年にやっと、その夢を実現することができた。

 

最初の日本語学校、そして大学院、ほとんどが学生生活だった。その間にしたいろいろなアルバイトでの「半社会人生活」も楽しかった。その中で、来日から私が感じてきた日本のイメージはほとんど変わらなかった。例えば、とてもきれいな、発展した国日本は確かに前に思っていた通り、別世界だった。今まで見てきた人々の中でも、とても礼儀正しい民族だった。負けず嫌いで、いつも非常にまじめな態度にすごく感動した。さすが、「大和民族」日本人だと。

 

それでも、やはり以前の印象と少しずれているところもあった。日本に来る前、日本人は本が大好きで、電車の中ではみんな本や新聞を読んでいるということをよく耳にした。来日して自分の目で見てみたら、日本人は書籍が大好きで電車の中で本や新聞を読んでいる人もまだいるものの、それほど多くはないし、ほとんどは年上の人だった。若い人は本の代わりにスマートフォンにはまっていた。

 

一番びっくりしたのは最近の日本人の結婚と人口の減少率だ。今の若い日本人は結婚ということがあまり気にならないようだ。人口はどんどん減少しており、あと50年で日本の人口はどうなるのか、こんな素晴らしい民族がだんだんいなくなるのかなとちょっと心配している。

 

初めての海外生活で日本に到着してから、ルールや生活の常識が違うため、何度も壁にぶつかった。しかし、留学を決めたのは私自身、苦しくても耐えるしかなかった。苦痛も孤独もやる気に変えて、一生懸命がんばった。これは、留学する人には避けられないことである。しかし、努力は自分を裏切らない。アルバイトで初めて日本人の友達ができ、奨学金に受かり、おかげでアルバイトもやめて、時間をサークル活動と勉強に回して楽しい学生生活を満喫し、大学院を無事に卒業することができた。

 

6年間の留学生活の中で一番の感想は「困難に遭ったとき、逃げずに、諦めずに、向き合って、努力を貫くことが大事だ」ということだ。いろいろな事が自分の思うように行かなくても、諦めないでください。今不足している部分を考えて、その欠点を埋め合せれば次はきっとできる。

 

最後に、留学を考えている方へ。最初は文化の違いや言語の壁、そして経済面の問題、様々な挑戦に向き合わなければならない。誰しも辛い目に遭ってしまうだろう。しかし、諦めてはいけない。苦難を乗り越える経験は、きっと人生の宝になる。人生の修行だと思いながら、初心を忘れずに頑張ってください。

 

 

英語版はこちら

 

 

<マリダン・ヌルマイマイティ Mardan Nurmuhammat>
2020年度渥美国際交流財団奨学生。ウイグル族出身。順天堂大学医学研究科神経学専攻。中国大連医科大学臨床医学学士。順天堂大学医学研究科神経学博士後期課程修了。研究テーマ「光遺伝学を用いたiPS細胞由来ドパミン神経細胞のα-シヌクレイン分泌調節」。

 

 

2021年5月27日配信