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エッセイ652:郭馳洋「故郷の異邦人」

 

桜が咲き始めた3月の下旬、東京のアパートで窓の外を眺めると、暖冬最後の冬らしさを主張するかのように雪が降っている。僕にとって雪が見られるのは日本にいる時に限る。冬でも軽々と20度を超える日が多い故郷では雪なんか降らないからだ。

 

大学3年生の頃は、交換留学生として筑波大学に1年間在学していた。初めて日本に来たのがその時だった。交換留学の申請は地元で入学した大学2年の後半に始まったが、ようやく大学生活に馴染みはじめた僕は留学なんかに乗り気ではなかった。留学を熱望した「意識高い系」のルームメートに付き合う形で申請書を提出したものの、早くも煩雑な手続きに頭を抱えた。とはいえ、「こんないいチャンスはめったにないんだよ。今のうち行かないと後悔するぞ」と先生方から何度も言われたし、どうせ1年だけだから、人生に1度ぐらい非日常的な異国体験ができるのも悪くないと思い、逡巡しながらもなんとか手続きを最後まで完了させ、留学に旅立った。そして留学先での勉強生活を通じて学問の世界に興味を抱き、研究したいことも見つかり、結果的に日本の大学院への進学が決まった。

 

大学院は甘くない、けれど数年辛抱すれば学位を取って帰国し、元の日常生活に戻れるはずだ。そう思っていた僕は地元の大学を卒業したあと再び日本に渡り、修士課程を修了し博士課程にあがり、気づいたら6年半の歳月が流れた。ところがいつからか、自分のなかで「日常」と「非日常」が逆転しはじめたようだ。狭いアパートでの1人暮らしと大学院の研究生活が日常になってきて、カレンダーは大学や学会の行事で埋まっている。一時帰国は年に1回か2回程度で、帰ったあとも相変わらずレポートや論文で忙殺されていた。いったん街に出ると、かつて見慣れた故郷の景色をどこかよそよそしいと感じてしまい、近所の市場で買い物する際にぎこちない方言を操っている自分がいた。町並みに関する記憶も、地図で確認しないと同窓会が開かれる有名な店の場所すら分からないくらい薄れている。どうやら僕は、自分の故郷の異邦人になったみたいだ。

 

そこでふと思った。故郷とはなにか、と。そもそも、中国の南の沿岸部に位置するこの都市は僕にとって果たして故郷といえるだろうか。たしかにここに両親が住んでいる。その意味で実家というのは間違いない。だが故郷はたぶん実家以上の何かである気がする。それは、明確な輪郭を持たないにせよ、「家」を取り巻く1個1個の原風景を?き集めたようなものではないか。しかしいま、心のアルバムをめくっても、思い出の写真はそれほど出てこない。

 

というのも、この都市に住んでいたのは中学3年から高校3年まで、せいぜい4年間なのだ。1つの場所を故郷として胸に焼き付けるには4年という時間は短すぎたかもしれない。それ以前はずっと都市部からやや離れた小さな町(行政区画では同じ「市」の管轄下にあるが)で暮らしていた。中学2年の夏、親の転勤で引っ越しと転校を余儀なくされた。そのとき、仲間との別れや新しい環境への不安にさいなまれ、大きな抵抗感を覚えた。引っ越し先のすべては新参者の僕にとって疎ましい存在だ。毎日のように元の町に帰りたいと駄々をこねて、実際何回か戻ったこともある。そしてあそここそ真の故郷だと思っていた。

 

しかし、やがてインフラ整備や大規模の改築工事が次々と行われ、町の雰囲気はすっかり変わり、昔の知人たちも相次いで引っ越してしまった。あの故郷に帰ったところで、親しみのある人も物ももはや見当たらない。少し大人になったためか、単に15歳の自分を裏切った結果か、僕はあるときからあの町に帰ることを口にしなくなった。かといって、高校を卒業し大学に行ったあとも、ついに「新しい故郷」に馴染むこともできなかった。なるほど、現実の物理的な空間を占めた故郷には大した思い入れがなく、思い入れのある故郷は過去の時間にしか存在しない。帰郷という言葉さえ空しくなるほど、故郷という存在が抜け殻のようになっている。僕は期せずして故郷の喪失といういかにも現代人らしい宿命を自分なりに体験することになった。

 

窓を開けてみると、雪が止んだ。季節は移ろうとしている。もう少し、淡い郷愁を誘うこの移ろいを味わいたいものだ。

 

<郭馳洋(かく・ちよう)GUO_Chiyang>
2019年度渥美国際交流財団奨学生。2011-2012年、筑波大学に交換留学。2013年、廈門大学日本言語文学学科を卒業。2016年、東京大学大学院修士課程を修了、修士号を取得。現在、東京大学大学院総合文化研究科博士課程に在学。日本学術振興会特別研究員(2016-2019)、東京大学東アジア藝文書院リサーチアシスタント(2019-2020)。日本近代思想史を専攻。訳書に『中国近代思想的“連鎖”』上海人民出版社、2020(原著:坂元ひろ子『連鎖する中国近代の“知”』研文出版、2009)。ほかに研究論文多数。

 

 

2020年11月12日配信