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エッセイ645:ナーヘド・アルメリ「プロポーズ・スタイル」

 

卒業が近づいてくると周りの人たちから卒業後の計画について訊かれることが多くなった。特に卒業するのが数年間にわたって勉学をし続けた大学院生の場合、最初に訊かれることは卒業後の仕事に違いない。仕事の次は、特に女性で未婚の場合は、結婚や相手がいるかどうかの質問が必ず出てくる。

 

私は日本文学が専門なので、博士号を取得するために2011年9月に日本に留学した。8年あまりの時間をかけて、去年(2019年)の12月に書き上げた博士論文をもとに、先月(2020年3月)博士の学位を取得した。これから帰国する予定だが、帰国後の仕事と生活について訊かれるのは当然のことだろう。そんな中で昨年気に留まったことがある。これまでも話題になったことはあったが、あまり具体的な内容にまで触れられることがなかった、結婚に先だつ「プロポーズ」をめぐる話で、色々と驚くことがあった。

 

「なんてプロポーズすればいい?」「ナーヘドさんはなんてプロポーズされた?」というフレーズをなぜかわからないが、去年、仲が良くて年齢的にも同じくらいの日本人の知り合いや友達から聞くことが多かった。特に日本人の若い男性がプロポーズの言葉・場所・タイミングでとても頭を悩ませてしまうことがわかった。それに、プロポーズするときのプレゼントと高級ホテルやレストランなどの場所にもお金をかけてしまう男性が少なくないようだ。なぜそこまで頭を悩ませてお金もかけてしまうのかと驚き、その理由を訊いてみた。すると、社会的に男性にはそのようなことが求められている傾向が強くなっていることがわかった。そして相手の女性にとってプロポーズされた時のことは、女性同士のおしゃべりの恰好の話題になり、それで盛り上がることもわかった。

 

母国のシリアと日本のプロポーズ・スタイルの違いが大きいので、グーグル検索で「プロポーズ」をキーワードに打ってみた。予想以上のリンクがヒットした。プロポーズのときに何を言うか、どのタイミングでどのような場所を選べばいいかを提案しているページがたくさんあるのを見てがっかりした。

 

私は彼氏と日本に来る2年前から付き合っているが、なんてプロポーズされたか覚えていない。そもそも彼から直接「プロポーズ」とはっきり言えるようなことがあったかも覚えていない。それは私にとって、おそらく他のシリア人女性にとっても重要ではない。

 

シリアやその隣国では、男性と女性が互いに相性が良くて、互いのことを気に入っていることに気づくと、意図的に相手がいる場所に居続けたり、偶然であったかのように相手の通学や通勤タイミングを狙ってそこに現れて、そこで話しかけるまで時間をかけて、段々と会う時間や話す時間を長くしたりするようなことをする。国が違っても男性と女性の付き合いはそのようなことで始まることが少なくないでしょう。勿論シリアでは男性の方が積極的である。そしてそういった始まりから自然に恋人同士になり、互いの状況と互いのことをよく知り合ったうえで、付き合いを結婚に繋げることを決める。

 

結婚を決めるということは、恋人同士が話し合い、タイミングを決めたうえで、女性が母親に相手の男性のことを伝え、その母親が父親に話を伝え、女性が両親の合意を得られたら、相手の男性に知らせる。すると、今度は女性が両親に、相手の男性が両親を連れて婚約のことを進めるために訪問してくるタイミングについて相談して決める。決めたタイミングで男性が両親と一緒に相手の女性の家族の家を訪ねる。そこで、彼の父親が女性の父親に「あなたのお嬢さんを我が息子の嫁にもらえたら光栄です」と言って、女性のことを息子の嫁として求める。すると、女性の父親が「こちらこそ、私の娘と貴方の息子さんが結ばれ、私たちが一つの家族になって光栄です」と言って、家族間で2人の付き合いが認められ、2人の父親を通じてのプロポーズのもとで、婚約パーティーを行なう。婚約後に数週間、または数ヶ月間を空けて、結婚式の準備が整えられたら、結婚式を挙げる。これはシリアと隣国の伝統的なプロポーズの手順だ。父親たちを通じたプロポーズをした方がエレガントで女性が喜ぶ。

 

婚約パーティーを行なうまで、男性が女性に喜ぶようなプレゼントをあげたり、2人が好きそうなレストランで食事をしたりする。最初の段階にくれるプレゼントは花が多い。高い店で買った花ではなく、薔薇やジャスミンなど道端にたくさん咲いている花を摘んだものが多い。気に入った段階から真面目な付き合いになると、時計やカバンなど基本的に小さくて実用的なプレゼントをくれる。だが、どんなにプレゼントをくれても、相手の男性にどんなに「好きだ」とか「愛している」とか言われても、それが、両親を連れて、互いの父親を通したプロポーズに展開しないと、女性は喜ばない。そしてそのプロポーズの場所は女性の家族の家に決まっている。男性は両親を連れて果物やお菓子を持って女性の家族の家を訪ね、後は2人の父親たちに任せれば良い形で進む。

 

日本で社会的に素敵だとされているプロポーズ・スタイルを知った時、シリアとは違って日本の若者の間のプロポーズでは本人たちが主役となっていることが、男性の負担がどうしても重くなってしまう理由なのではないかと思った。伝統的でつまらないものだと思われるかもしれないが、シリアで生まれた私にとっては、当然ながら、親にサポートされ、親に見守られている中でのプロポーズの方が素敵だと思う。特に、インターネットやSNSで、男性にプロポーズの言葉・場所・タイミングなどが提案されていることを疑問に思う。

 

プロポーズ・スタイルは国や世代によって異なっていることは当然だが、社会の個人化が進んでいる日本で、家族を作る重要なステップであるプロポーズについてネット上に提案が山ほど提示されている状況を見ると、これから家族を作る時に、知らないうちに個人としての自発性や積極性が段々と闇に葬られてしまうのではないかと感じた。そして女性の方がプロポーズをめぐる理想を高くしていては、男性が自信を無くしてプロポーズの機会が少なくなるだろう。近代社会の在り方やSNSなどにあおられるプロポーズではなく、理想が高くない自然な成り行きのプロポーズこそが現実的な結婚に繋がるのではないかと思う。

 

日本に留学して9年近く在留しているが、大学院卒業が迫ってくると同時に、周りの人々からいろいろ訊かれるようになって、気に留まった「プロポーズ」についての私の考えである。

 

<ナーヘド・アルメリ Nahed_ALMEREE>
渥美国際交流財団2019年度奨学生。シリア出身。ダマスカス大学日本語学科卒業。2011年9月日本に留学。2013年4月筑波大学人文社会科学研究科に入学。2020年3月博士号取得。博士論文「大正期の童謡研究――金子みすゞの位置づけ」は優秀博士論文賞を受賞し、現在出版準備中。8月末シリアに帰国、ダマスカス大学日本語学科で教鞭をとる予定。

 

 

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2020年9月17日配信