SGRAかわらばん

エッセイ588:朴鍾爀「スポーツバカ」

(私の日本留学シリーズ#28)

 

韓国の「受験戦争の事情」は日本のメディアでも度々取り上げられている。韓国の大学受験、いわゆる日本でセンター試験に当たるものは「大学修学能力試験」といわれ11月に行われる。毎年警察が出動するという騒ぎも起きる。そのため、韓国が日本以上の学歴重視社会であると認識されている方が多いだろう。これは韓国の失業率に起因すると言われており、いわゆる「よい大学」に合格することが、少なくとも就職するための最初のハードルである。良い大学に合格するために、受験生は早朝から夜遅くまでひたすら勉強のみで毎日を暮らしている。そしてまだ受験生ではない子供でも、複数の塾に通いながら1日中机に向かって生活しているのが大半である。

 

韓国では、勉学面だけでなく、エリート体育(アスリート)の場面においても事情は変わらない。子供の時からある種目を決め、そのスポーツを本格的に始めたら、プロスポーツ選手になることを目標に人生をそれだけに邁進して生きていく。勉学よりスポーツが優先になる。すなわち、スポーツか学業かどちらかを選ばざるを得ない。

 

実は、私は後者であった。率直にいえば、前者のような受験の大変さは経験していない。アスリートとして、学生時代にやるべき勉強はさておき、サッカーだけで学生時代を過ごしてきた。私は、プロサッカー選手を目指し、小学生の時から大学1年までサッカーだけをやってきた。当時は、ヨーロッパや日本の部活のようにスポーツと勉学が両立できる環境ではなく、小学校の時から寮で合宿しながらプロサッカー選手を目指して、ひたすらサッカーの練習をしなければならない厳しい環境であった。いわゆる「スポーツバカ」であった。夏休みだけではなく、新学期が始まっても、全国あちこちで大会があったため、大会に出るのが当たり前のことであった。学校の先生には「すみません、サッカー部ですけど…」と一言告げればすべてが許された。授業を受けなくても、宿題なんてしなくても運動部は大会で成績さえ出せればすべてのことが許される環境であった。学生時代に他の学生たちにいつも「サッカー部はいいな。勉強しなくても進学できちゃうんだから…」と言われた。当時は、自分もラッキーだと思っていた。

 

中学校まではせめてもと午前中の授業は受けさせられた。高校のときは、練習、練習、練習…授業すらも受けず、朝、昼、夜をひたすら練習で費やした。サッカー部は学校の制服も持っていなかった。恥ずかしい話だが、高校3年間このような感じで、真面目に授業を受けたことが1日もない。サッカー部の中には自分のクラスが何組か知らない子もいて、そしてほとんどが自分のクラス担任の先生のお名前も知らなかった。高校1年の秋、全国大会で予選落ちしてしまい、翌日監督は怒りながら「お前ら、授業を受けてこい!」と叫んだ。サッカー部の罰というのは授業を受けさせることであった。制服も持っていない私たちが、背中に「○○高校サッカー部」と書いてあるジャージ姿で、しかもめったに入ったことのない教室に入るなんて…とにかく、みんなが勇気を出してそれぞれの教室に入った。すると驚いたことに、私のクラスに私の机と椅子はなかった。いつも空席なのでその机と椅子は倉庫にしまわれてしまったのである。しかも教室で勉強していた学生たちは、「あの人、誰?誰?」とこそこそ話していた。

 

ショックだった。同じクラスメートなのに1人も知り合いがいない。恥ずかしくて、どうすればいいのか戸惑った。この時のショックから、私は大学に入ったら授業も受けて、レポートも書いてみたい、勉強のストレスを味わいたい、と熱望するようになった。しかし、大学生になっても授業を受けずにひたすら練習をする環境は全く変わらなかった。ガッカリした。ある日、午後の練習のためにグラウンドに向かっている時だった。キャンパスを横切ってグラウンドまで歩いていくのだが、そこには、授業に遅れたのか腕時計をみながら走る学生、授業が終わったのかノンビリしている学生たち、かっこよく片手には分厚くて難しそうなテキストをもっている学生が目に入った。これが大学のごく普通の風景かもしれないが、私にはまるで別の世界のように見えた。

 

その時、決心した。スポーツ選手であってもみんなと同じく勉強がしたい。しかし、どちらかの道を選ばなければならなかった。サッカーを続けるか、退部して一般の学生と授業を受けるか。今までできなかった分、より広い世界でたくさんのことを学びたいと強く思うようになった。散々考えたあげく、監督と相談し、10年以上やってきたサッカー部をやめ、新たな出発点に立つことにした。最初は、サッカーをやめても本当にうまくやっていけるのか、全く異なる世界に入って大丈夫なのか、不安でいっぱいだった。しかし、10年以上の時間をサッカーに注いできたことに関して、決して無駄だったと思ったことはない。むしろ、スポーツ選手生活をやってきたからこそ今の自分がいると思う。ただ、あの時、強制的ではなく、そして勉学とスポーツが両立できる環境だったら自分の人生はどう変わっていたのだろう、とずっと思っていた。

 

結果的に私はプロサッカー選手にはなれなかった。しかし、その時に味わった挫折感は逆に私に勇気を芽生えさせてくれた。その時に新しい道を歩もうとした決断は決して間違っていなかったと思う。そして2010年、大学卒業後に日本へ留学した。その時の決断のおかげで、日本に来て研究することができ、最先端の実験技術を習得することもできた。そして渥美財団の奨学生になる機会にも恵まれた。2018年には医学博士号も取ることができた。

 

今の時代は、私の時と比べて大分変わったらしい。小学校のサッカー大会は夏休み中や週末に行うことが義務化され、大学生の選手も学業の成績が何点以上とれないと大会に出場できないなどスポーツ先進国システムを真似しつつある。とはいうものの、まだ試合結果重視の昔の方式で行われている所も残存している。

 

私は現在、運動と脳機能に関する研究を行い、研究成果を学会、論文に随時公表し、総合的に研究者として実績を積んでいくことを希望している。そして将来的には、私のようなスポーツバカの学生たちに、この道の楽しさを教えてあげたい。また、日本での修士・博士課程及びポスドク時に習得した経験や知識を活かして、母国のスポーツ生理学やスポーツ医学分野の発展に貢献したいと強く願っている。

 

<朴ジョンヒョク(パク・ジョンヒョク)Park Jonghyuk>
渥美国際交流財団2017年度奨学生。韓国出身。韓国の世宗大学体育学科を卒業後、2010年来日。
2013年日本体育大学体育科学研究科にて修士課程を修了し、2018年東京慈恵会医科大学医学研究科にて博士号を取得。現在、日本医科大学スポーツ科学のポスト・ドクター研究員。実験動物を用いて、高強度の走運動が脳、とりわけ認知機能や記憶を司る海馬機能向上に及ぼす影響について研究を行っている。

 

 

2019年2月28日配信