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エッセイ566:ジッリォ「私の日蓮(2):日蓮の多面性」

◆エマヌエーレ・ダヴィデ・ジッリォ「私の日蓮(2):日蓮の多面性」

 

数年前から鎌倉期の日蓮(1222~1282)の「写本遺文」(真蹟非現存、真偽未決、殆どが15世紀から文献として始めて歴史に登場)という資料を研究する機会をいただいている。その際に日蓮遺文の思想史的研究について色々思うことがあったので、この度はエッセイの形で発表させていただきたい。

 

日蓮遺文における特定の思想の全体像を、思想史の観点から明らかにしようとするとき、3つの問題に慎重にならなけなければならない。1つは日蓮の多面性である。2つ目は「思想史的研究」と「宗教的注釈」との違いである。3つ目はどのような主体性を前提に日蓮遺文の思想史的研究を行うべきかという問題である。「研究者の主体性」の価値を繰り返し強調している日蓮学者では現在、元早稲田大学教授の花野充道先生の存在が特に目立っている。筆者の場合はひとまず、「キリスト教の文化から仏教学研究へ」と、「生まれ育ちの文化環境から受け継いだ思想的なカテゴリーを乗り越えて」という道のりなので、今日蓮に対して存在するあらゆる伝統・解釈・カテゴリー・研究方法などを日本でひと通り学び、他方解体し乗り超えていこうとする主体性に必然的になっている。

 

日蓮の多面性について

 

日蓮は臨機応変で、多面的な思想の持ち主であり、同類のテーマに関しても、時と場と人によって異類の視点を展開してゆき、遺文に見られる数々の思想は、多くの文献の中でばらばらになっており、情緒的で非体系的な形で説かれることがある。また、佐渡流罪(1271~1274)を契機に「法華行者」としての自己認識が増し、彼の中で大きな変化も起きる。一言で言えば、日蓮はこういうテーマについてこう考えていたと思えば、そうでもないと述べる文献が真蹟の中でも出てくる可能性が常にある。

 

例えば、羅什訳『法華経』「如来寿量品第十六」所伝の「久遠実成」の釈尊はこの娑婆世界の一切衆生の主師親にして本尊とすべしと述べる遺文は数多いのだが、「我等が己心所具」の釈尊を述べる遺文もある。他に、日蓮が己自身に対して主師親の三徳を授ける遺文があり、末法時代において釈尊ほどの仏よりも法華行者と称せられる日蓮とその弟子たちのほうが大事であり、供養に値すると述べられる遺文も見られる。さらに、『法華経』はそのまま釈尊の身体・力・命であるという「経仏同一説」が述べられる遺文があるが、『法華経』を「師」とし、仏を「弟子」とする遺文も見られる。

 

要するに、諸宗派と各教団はどれも、ある程度まとまった思想体系を紹介しているが、宗教思想史を見てみれば、それを立てるとき、宗祖の何かを選び、何かを無視し捨てなければならない。「体系」というものは、合理性を最重要と考え、経験の世界に何らかのコントロールを厳格に定めようとして始めて成立するものだからである。だが、日蓮ほどの多面性は日本仏教史のなかでも特殊な事例であり、簡単にコントロールできるものではない。ある意味で、諸宗派と各教団の思想体系や日蓮を首尾一貫した解釈に閉じ込めようとする試みは、どれも一つ残さず彼の実際のあり方から逸する要素を必然的に含んでしまう。そのときはむしろ、日蓮をより柔軟に受け止められる自由な思想史的研究の価値が明らかになってくるのではないかと考えている。

 

問題は、日蓮をどのような存在として考え、それを前提に彼の遺文をどのように扱うかである。この点で、「思想史的研究」と「宗教的注釈」との違いを考える必要性が出てくる。(つづく)

 

<エマヌエーレ・ダヴィデ・ジッリォ☆Emanuele_Davide_Giglio>

渥美国際交流財団2015年度奨学生。トリノ大学外国語学部・東洋言語学科を主席卒業。産業同盟賞を受賞。2008年4月から日本文科省の奨学生として東京大学大学院・インド哲学仏教学研究室に在籍。2012年3月に修士号を取得。現在は博士後期課程所定の単位を修得のうえ満期退学。博士論文を修正中。身延山大学・東洋文化研究所研究員。

 

 

2018年5月3日配信