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エッセイ565:孫軍悦「この国の指導者、なんとかせなあかんと思うけど、ちゃうか?」

就活、婚活、妊活、保活、習活、終活……活きることに忙殺される時代で、私も久しく世間に眼を向ける余裕がなかった。

 

1歳の息子を保育園へ送る朝、国会議員が駅前で演説をしていた。改札を出て、信号を待ち、道路を渡った約2分のあいだ、彼は延々と天気の話をしていた。息子は、街頭演説があるたびに身を乗り出して熱心に聴いていた。でも、息子よ、今は天気の話だ、お前の未来の話ではないのだ。

 

保育園から出て喫茶店に入った。授業を準備するために魯迅の『阿Q正伝』を開いた。が、隣のおばちゃんが話しかけてきた。

 

「何してんの?お勉強?えらいなあ。今の時代は勉強せなあかんな。おばちゃんの娘も言っとったわ、英語があかんから、昇進できへんって。娘はもう40やけど、東京で一人暮らししてんねん。こないだ、娘は指が痛いから病院へ行ってん、先生は何の病気かわからへんから、とりあえず薬を出してくれはったんやけどな、家に戻ったら失神して倒れたんや。おかしいやろ。おばちゃんも、大きい病院へ精密検査でも受けてきいやって言ってるけどな、仕事が忙しいからいけへんって。こないだ、こたつに入って寝てたら、焦げくさい匂いがしたって、新しいのをこうたらええのに。近くにホームセンターあるんやろうか。おばちゃん心配やけど、でもいかへん。いったらじゃまになる。

 

あんた結婚してんの?あ、そう、子供もいてはるの?ご両親は?あ、そう、中国からきてるの。おばちゃんは偏見もってへんで。昔働いてたところにも中国人の子何人もおったわ。みんなええ子やった。中国もいま大変やなあ。あれ、なんちゅうの?あたりや?あれほんまにかわいそうやわ。自分から車にぶつけていくなんて。あれは、国の指導者なんとかせなあかんと思うわ。ちゃうか。日本には、こんなかわいそうなことはないわ。」

 

私は何か言おうとしたが、何も言えなかった。間抜けな愛想笑いをしただけだった。おばちゃんの言っていることは誠に正しい。魯迅はロシア語訳「阿Q正伝」の序文に、次のようなことを書いた。人と人との間に築かれた高い壁のせいで、われわれはいま他人の肉体的苦痛だけでなく、精神的苦痛でさえも感じられなくされてしまった。小説が出版された後、「病的だと思う者、滑稽だという者、風刺だと考える者、あるいは冷嘲だと受け止めた者もいて、自分でさえも、本当は心の中に恐ろしい氷塊が蔵されているのではないかと疑ってしまうほどだ。」「ただ黙って生き、萎れ、枯死していく」沈黙の国民の魂に、たとえいかなる固陋があったとしても、魯迅は単に諷刺、冷笑するために書いたわけではなかった。

 

止まっている車にわざとぶつかっていくあたりやの男性の滑稽な姿も、傷つけられたと嘘を付いて賠償金を迫り、無辜の少年を自殺に追い込んだ老婆の不誠実さも、現代中国の国民の魂にほかならない。それに同情の念が微塵もなく、道徳的退廃ばかりを嘆き、国の指導者の責任に思い至るどころか、むしろ国家のために弁解めいた言葉を無意識のうちに探している私の心にも、やはりいつのまにか、恐ろしい氷塊が蔵されたのではないか。

 

だが、おばちゃんよ、病院へ行く暇もなく働き詰めた娘さんが独りで焦げ臭いこたつに潜り気を失うなんて、この国の指導者もなんとかせなきゃあかんと思うけど、ちゃうか。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んできたこの国の国民もその国の国民もあの国の国民も、もはや「国家」という高い壁を越え、他者の肉体的、精神的苦痛――それは紛れもなく自らの苦しみの鏡像に他ならないにもかかわらず――を思いやる余裕が持てなくなった。一度旋風が吹き荒れれば、赤でもグリーンでも熱狂する。このような現実ほど危機的な状況はあるだろうか。

 

喫茶店を後にして松屋に入った。一人の南アジア系の女性店員が水を注いでくれた。インド映画に出てくる女優のような大きな瞳だ。ある少年が食券を買い間違えたことを説明すると、彼女は首をかしげながら厨房に入った。5分ほど経つと、白髪のおじいさんが出て来て再び事情を聴いて厨房に入った。さらに5分経って、少年に小銭を握らせ、食券を買いなおすよう求めた。そういえば、この頃足繁く通った日高屋にも、日本人どころか、中国人の店員すらまだ一度も見ていない。大半東南アジア系の男性が中華鍋を振るっている。ここは、国籍も民族も性別も年齢も関係なく、低賃金の労働者と低所得の消費者が集う世界だ。グローバル時代の労働市場と消費市場には、中国人の作る毒餃子を日本人が食する、日本人の創る商品を中国人がボイコットできる、という阿呆な空想は通用しない。私がテレビ番組のプロデューサーなら、彼ら、彼女たちにマイクをむけたい。YOU、何をしに日本に来たの?YOU、日本に住み続けた理由は?YOU、どうして悠々自適の老後を楽しまず、こんなところで働いているの?YOU?YOU?YOU?

 

粒らの瞳の女性店員が作ったキムチチゲを平らげたとき、少年はまだお茶を啜りながら静かに待っていた。

 

コンビニに寄ると、名札に「リウ」とある青年が手早く商品の陳列をしている。時給820円、819円の最低賃金より一円高い。東大赤門前の瀬佐味亭のラーメンは一杯800円。税抜き価格なら、彼が1時間荷卸し、レジ打ち、声掛けしても、セサミンたっぷりのラーメン一杯が食べられないということだ。彼の納めた税金の一部は、沖縄県民の怒号のなかでオスプレイの配備に使われ、原発反対の住民の不安をよそに東電の事故処理に潰えてしまう。160円の交通代を節約するために一駅も二駅も歩く人は、1兆6000億の五輪開催費となると、訳が分からなくなる。滝川クリステルさんにもう一度やってほしい。「お・も・て・な・し」、「もっ・た・い・な・い」と。

 

年の瀬の北風は骨に沁みる。今夜雨が降りそうだ。明朝あの国会議員はまた駅前で天気の話をするだろう。彼に一言伝えてもらいたい。この国の指導者、いや、この世界の指導者たち、なんとかせなあかんと思うけど、ちゃうか。
(2016年12月初稿、2018年3月改稿)

 

<孫軍悦(そん・ぐんえつ)☆Sun_Junyue>
2007年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。学術博士。現在、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部専任講師。専門分野は日本近現代文学、日中比較文学、翻訳論。

 

 

2018年4月19日配信