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エッセイ524:謝志海「歩きスマホの護身術」

スマートフォンが世にでる前から、私は歩きながら携帯電話を操作しないようにしている。私の友人の友人が、仕事帰りに最寄り駅から自宅までの夜道で携帯電話を見ながら歩いていて、たまたま工事中でロープが張られていたことに気付かず、それに引っかかり転倒し、膝を大きく切り11針を縫うことになったという。翌日から沖縄旅行を控えていたが、医者に海に入るどころか飛行機に乗ることも禁じられ、旅行はキャンセル。当日のキャンセルで代金は全額戻らず。私はこの惨事を被った方とは全く面識はないが、話を聞いた時「この出来事は私へのメッセージ、明日は我が身、今後携帯電話を見ながら歩かない」と決心した。それ以来、私はスマホを見ながらずんずん向こうから突進してくる人々にもなぜか寛容になれた。私が気をつけていれば大丈夫だと。しかしスマートフォンの急速な普及、そして様々な使われ方で、歩きスマホは社会問題、いや世界の課題のようだ。

 

ある日の日本経済新聞の見出しに「歩きスマホ万国共通」とあり、この記事には様々な国の歩きスマホ対策が紹介されていた。どの国でも事故があり問題視されているが、これといった解決策は見出されていないことまで共通している。中国湖南省で、母親の歩きスマホが原因でその子どもが交通事故死となった例が冒頭に紹介されていたが、中国の歩きスマホは深刻だ。死亡事故まで多発している。

 

例えば、2013年10月北京市で、17歳の女子高生が深い溝があることに気付かずに転落死。2016年8月には浙江省の男性が信号のない横断歩道をスマホを見ながら横断中に車に跳ねられ死亡。2015年11月、江蘇省の男性が階段に気付かず転落死。このように、歩きスマホの事故はキリがないほど出てくる。死に至るケースも多い。一方で歩きスマホに対する対策や危険の周知に関しては、これといって出てこないこともまた驚きだ。中国のスマートフォンユーザーは9.2億人と言われている。そのうち歩きスマホをする人は何億人いるのだろう?想像するだけでゾッとする。

 

歩きスマホが怖いのは中国だけではない。日本にもたくさんの歩きスマホ者がいる。日本で生活していて、歩きスマホに関して特に怖いと感じるのは、都心の混み合った駅のプラットホームで歩きスマホをする人たちと遭遇する時だ。スマホを凝視しながら足早に向かって来る人に何度もぶつかりそうになり、また歩きスマホ同士が接触している様も何度も目撃した。プラットホームで彼らにぶつかって、線路に落ちたらと思うととても怖い。最近私はホームの端っこに近づかないようにしている。日本のような先進国でもホームドアの設置が遅れている。

 

前述の新聞記事の結論は「結局は一人一人の意識改革が必要になる」であった。私がいつもしていることは、「混雑している場所でのスマホの操作は、道の端、柱の陰に速やかに移動して立ち止まって行う」である。迷惑にならないようにということと、衝突などから我が身を守るためである。実は私は歩きながら携帯を操作するというマルチタスクが苦手という自認もあるのだが。当分の間はこのように、自分で歩きスマホの人々から身を守るしかなさそうだ、どの国にいても。

 

<謝志海(しゃ・しかい)Xie_Zhihai>
共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。

 

 

2017年3月9日配信