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エッセイ439:奇 錦峰「憂慮すべき現在の中国大学生(その5)」

「憂慮すべき現在の中国の大学生(その1)」
「憂慮すべき現在の中国の大学生(その2)」
「憂慮すべき現在の中国の大学生(その3)」
「憂慮すべき現在の中国の大学生(その4)」

まずは両親の責任

 

以下の3点(溺愛、放任、偏向)から今の親たちの責任を追求してみましょう。

 

1. 溺愛

 

親が何でもかんでも子供のためにやってあげる、その程度が酷すぎる。大学に来る前のことは後述するとして、まず、新入生が自分一人で入校手続きに来ることはほとんどない!サーバントアテンダントのように両親や祖父ちゃん婆ちゃん、或いは親戚の人々が大勢で来校し、かつトランクを引っ張ったり、いろんな荷物を運んだりして、その忙しい風景は賑やかである。一方、本人は何も持たずにぶらぶらやってくる。当然のことながら、両親が入校手続きを全部やってあげ、更には宿舎の掃除、ベッドメイク、等々を全部担当する。幼稚園に子供を送ってあげていた時より細やかだ。しかし本人達はこれを当たり前のことだと言うのだそうだ。もっと傑作なのは、本来「見送り」に来た親が、学校の近くに部屋を借りて、子供に付き合ってあげる(洗濯、部屋の片付け、食事の支度などをしてあげるため)ことも結構あるそうだ。何故両親達は、このようにしてあげるのか?彼らの理屈を一言で表すと、とにかく「心配、不安」である。例えば「家(うち)の子は今まで家を出たことがない……最初の旅なので」とか、「重要な書類を紛失する恐れがある」とか、「治安が悪くて心配」とか、また「子供は自己制御力(セルフコントロール)が弱いから」、これも心配、あれも心配、例えば朝寝坊、夜のネット遊び、そして男女同棲……。この親達は、どうして自分の学生時代のことを考えないのか、誰だって生まれた時から何でもできるはずはない、やらせなければ永遠にできないということを何故忘れてしまったのか、不思議だ。

 

2. 放任

 

大学に入学した子供の生活費が、ほとんどの親達にとって非常に難しい問題だそうだ。すなわち、多く渡しすぎると金使いが荒い習慣がつくことを心配し、他方、少なすぎると不当な扱いを受け、つまり苦しい生活を送らせてしまうことをまた心配する。親たちの暖かい心に感心はするが、言い換えれば、まさに世の中に子供を可愛がらない親はいないということだ。中国では父母が金持ちであれば、子供も豊かなのが事実で、「豊かな第二世代」という新しい用語も近年出来ている訳はこういう現実があるからだともいえる。しかし「親がいくら金持ちでも子供たちに贅沢はさせない」と言う欧米人の哲学との間には、どんなに差があるだろうか!中国の諺でも「子を甘やかすのは殺すようなものだ」と言われているのに、今の親達は、これを忘れたのか?

 

大学の食堂(特に国立大学)は政府が補助金を出しているので食事代は安い、おそらく全国どこでも5 元か6 元(1元=19円)で一人分の食事が十分購入出来、しかもキャンパス外の飲食店の物より清潔且つ安全だ。しかし一部の大学生(つまり生活費を多く貰う人)はメンツの為か?美食者?なのか、よく外食し、しかもパーティー、食事会(集まり)などを必要以上にやるのだ。この様な贅沢な習慣を、親が黙認するから彼らは平気でやる。

 

コンピューターは、学校の自習室、図書館にたくさん設置されていて、インターネットをするには非常に便利だ。しかも、大学2年生までは基礎教育なのでごく少数の専門以外コンピューターはいらない。しかし今の学生は1人1台(しかも全部ラップトップ)持っており、基本的にはゲーム遊びに使用されている。特に、家庭の経済状況がよくない学生は、自分で用意する必要はないのに!外国語を勉強するためどうしても必要と親に言っていた理屈は、全部嘘だ。ゲームに夢中になり、その結果、学業を断念せざる得なくなる「事件」は少なくない。パソコンを保有することの悪い点は、絶対に良い点より多いのだから、買わない方が得策だ。

 

大学生が、数年前まではMP3/4、今はスマートフォンで音楽を楽しむか、ゲームなどのネット遊びで時間を費やしている現象は極めて一般的になってしまっている。寮の中に固定電話、大学の講義室の近くや図書館など、至る所にカード電話が設置されていたが、今の大学生は、みんなスマートフォンを持ち歩いていて、これらの電話を使う人がいないため、ほとんどが取り払われた。はっきり言って、携帯電話やコンピューターは必需品ではない。大半の学生にとって、携帯電話で親と連絡する必要があるのは、お金を使い過ぎて「お~い、ちょっと送金してくれ」と言う時のみだ。

大学生の中にもう一つの怠け(横着)行為がある。それは、教師が黒板或いはスライドで示した宿題(課題)を、数多くの大学生が書き取らずに、講義後にスマートフォンで撮っていく。そのため今の学生は文字を上手に書く能力(楷書)に欠け、幼稚園の子供より下手だ。またほんの少しの距離でも歩きたくない、すぐ電話!隣の部屋にいる人とも電話で連絡するのが普通だ。いわば今の大学生はなるべく力を出さずに、楽に生活、勉強するということだ。

 

多くの親達、特に小さい町や田舎の低収入の家庭は「自分の収入の範囲で生活する」という基本的なことを忘れたように、家庭の収入の大半か全部(スマートフォン、パソコンなどの費用は、普通の田舎の家庭にとって耐えられないぐらい高価だ!)を大学生の子供に費やしてしまうことを、一般の人は理解できないだろう。中国式の考えでは「親がどんなに貧乏でも子供に貧乏をさせない」、せっかく子供が大学に受かったので、お金が必要な時には渡し、品物が欲しい時には買ってあげるべきであるという哲学がある。このような愚かな考え方は、自分を苦しめ、子供を甘やかし過ぎ、悪い習慣を助長させる他に、良いことは一つもない。今日の中国の大学は、「80後(八零後と言う:1980年代に生まれた人)」が卒業し、「90後(九零後:1990年代に生まれた人)」が在籍している。各方面の情報が示すのはこの90後は80後より更にダメだということである。消費の面ではいうまでもなく、上述した各方面で悪化が著しい。心が痛いのは今日の大学生の生活支出は、一般的に両親の生活支出より高いが、親たちはこの問題の深刻さにほとんど気が付いていないことだ。そのため、大学生の悪いこと全ては、親が放任しすぎで生まれたものだとも言えるだろう。

 

3. 偏向

 

今の大学生の親達は、子供が大学に入るまで、学業を監督する以外は何もしなかった。教科書の内容以外に何も教えなかった。日常生活の中で、家事を一切させず、物質的生活は全部満足させていた。そのため大学生になった時に、物欲が強い、親の苦労に感謝しない、金使いが荒いなど、良心が欠如した行為をするようになるのは当然だ。1990年代以降、両親、小、中、高校の教師まで、試験の点数だけを重んじてきたため、幼い頃から彼らの心の中では勉強が唯一の良さと悪さの基準になり、人間社会全体のことに無関心になってしまった。子供たちは長い期間、家庭教育や法を守ることなどの社会教育を全く受けてこなかったのだから、今の大学生の人間性が正常に育成されるはずはないだろう。社会学者の視点から分析してみれば、この国の子供向けの教育の多くは無駄になっていたようだ。人類文明が21世紀に入っているのにもかかわらず、教育が逆の方向へ向かっているのが、どうしても理解できない。
(つづく)

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<奇 錦峰(キ・キンホウ)  Qi Jinfeng>
内モンゴル出身。2002年東京医科歯科大学より医学博士号を取得。専門は現代薬理学、現在は中国広州中医薬大学の薬理学教授。SGRA会員。
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2014年12月3日配信