SGRAかわらばん
エッセイ399:金 崇培「日韓関係のナショナリズムに関する一試論」
日本と韓国の葛藤と摩擦は、21世紀に始まった問題ではない。20世紀の戦争と植民地の遺産が常に燻り続けていたものであり、それは現在でも突如として出現し、国家間に緊張状態をもたらす。国家を形成する主権、領土、国民の三要素はまるで共鳴するかのようにナショナリズム/民族主義を発動させる。特に領土問題はその領土の実質的な規模に関わらずナショナリズムを派生させ、この情緒的でありながらも強力な感情にも似た現象は歴史認識問題と重なり合い、過去から現在までを貫通する一つの認識を形成する。
ナショナリズムを煽り助長することは、瞬間的で容易であるが、問題を冷静に対処し和解の方向に導くには長期的な時間と共に知識や知恵、そして行動を要する。領土問題に関しては様々な意見や主張があると思われるが、それに関連する日韓関係のナショナリズムを巨視的に見る次の三点もまた考慮しなければならない。
第一に市場経済と民主主義。日本と韓国の共通項として市場経済と民主主義が挙げられてきた。両国の市場経済はグローバリズムと直結しており、特に資本と人は簡単に国境を越える。しかし、これらの移動は異文化との接触という新しい世界観の創出だけを意味するのではない。既にヨーロッパでも見られるように他者の流入によって自国で雇用機会を喪失した者は移民や異なった民族・人種に対して排他的、規制的思想と行動をとる傾向もある。グローバリズムに伴う資本と人の移動は一方で国家独自のアイデンティティを喪失しないようナショナリズムをより強固にする側面を持っている。
また、日本と韓国は異なる民主主義の歴史がある。戦後日本はアメリカの7年にわたる間接統治により、上からの民主主義を導入した。一方韓国は国内の独裁政治に対して、下からの民主主義の要求があった。民主主義が共通な価値であると安易に考えず、その形成過程の相違から両国のナショナリズムの本質を把握しなければならない。民主主義国家は互いに戦争をしないというテーゼが注目されてはいるが、民主主義国家からも独裁者は誕生し、国民も熱狂するという事例もまた歴史が示している。
第二に地域共同体。内在的に不安要素を残す東アジアに、EUのような東アジア共同体を形成しようとする努力が行われており、これが国民国家のナショナリズムの障壁を取り除くかもしれない。しかし、ヨーロッパは比較的類似した生活様態や文化、言語、宗教を有し、独自のアイデンティティや規範を見出しやすい基盤があった。EUの双璧であるフランスとドイツは、過去何百年において何度も戦争をしては和解してきた。両国を含めたヨーロッパの平和体制は戦争によって崩壊したが、その都度新しい国家間条約や平和条約によって平和体制を作り上げ、国境線を確定する作業も繰り返されてきた。EUの起源はそのような歴史と共に第二次世界大戦後にもドイツによって多大な損害を被ったにも関わらず、フランスがドイツに手を差し伸べて始まった。当時の東アジアの状況を考えるとフランスになりえる国はなかったであろう。
アメリカと共にG2の一角を担う中国の存在が東アジアはもちろん世界にもたらす影響は計り知れない。中国と地政学的に隣接している日本と韓国はより慎重な外交をする力が問われる。それは8千万人もの共産党員を有している現実の中国を直視しながら、その中国をも含めた共通する価値規範の模索が先決であろう。すでに日本と韓国、中国は共に高度な経済的依存の中にある。しかしこの関係がこのまま持続すればいいが、政治的確執によるナショナリズムはこの経済的依存さえも呑み込み、経済力という武器によって、その領域でも軋轢が生じる危険性をはらんでいる。 第三に帝国主義と植民地、そして国際法。戦争と平和の反復は過去の歴史に対する記憶と経験として学習され、今のヨーロッパを作り上げてきた。東アジアはこのような過程を経ずに19世紀に西洋の衝撃によって近代西欧国際法体制を受容、または編入された。文明国を自負していた西欧諸国は東アジアに国際法を適用した。当時の国際法には、いうまでもなく、帝国主義と植民地の問題に関連する法規範と意図が付随されていた。人類は戦争と平和とは何であるかを長い歴史の中で問い続けてきたが、帝国主義と植民地に対する認識の変化は比較的最近である。1910年代後半にアメリカ大統領であったウィルソンが主張した国際連盟(League of Nations)は植民地支配を受けている人々の民族自決を反映させず、国際連盟規約の前文にあるように、国際連盟に参加できた諸国家の平等を理念とした。その国際連盟の理念を一部継承しながら1940年代半ばに発足した国際連合(United Nations)は憲章で平和を掲げたが、国際連盟規約にあった委任統治の変容である信託統治を採用し、帝国主義と植民地に対する解決策や清算を提唱しなかった。国際連合の下では1960年に「植民地諸国、諸国民に対する独立付与に関する宣言」を採択することで、植民地支配を受けている人々の独立の要求を是認した。この時期はひとつの転換期ではあったが、60年代以降も植民地を海外領土として保持する国もある。
1905年の竹島/独島に関連した国際法や、アジア・太平洋戦争を終結させた1951年のサンフランシスコ平和条約もまた帝国主義時代の潮流からは自由ではなかった。ナショナリズムを呼び起こす日韓の領土問題は二国間の問題でありながらも同時に帝国主義と植民地、そして国際法とは何であったのかを想起させるものであり、その世界史的な脈絡での帝国主義の残骸が今現在のグローバル社会において、どこにどのような形態で拡散しているのか追究すべきであろう。
衝突するナショナリズムに対して、簡単に解決策を述べることはできない。外交力と市民力という二つの柱を中心に段階的な改善策が求められる。以前から提唱されてきたように、引き続き東アジア共同体の構築、政府間での対話、市民レベルでの交流、学術的交流など多様な外交政策と交流が同時進行されなければならないであろう。政治家であれ、学者であれ、またはそのような職業に属していない者であっても、ある国を背景にして生まれた一人の人間であるならば、社会的責任と同様にナショナリズムを有していても不思議ではない。問題はナショナリズム自体でなくナショナリズムの方向性である。両国の主張と立場を理解しながら発するメッセージや行為は、時に第三者的立場として追いやられ、両国のナショナリズムの批判対象となる。それにも関わらず閉鎖的なナショナリズムに巻き込まれずに開かれたナショナリズムを保つためには、他者を排除せずにその存在を認識し、自分の思考を整理する「主義」を養うしかない。
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<金崇培 (キム・スウンベ) KIM Soongbae>
政治学専攻。関西学院大学法学部法律学科卒。韓国の延世大学政治学科にて修士号取得。博士課程修了。現在博士論文執筆中。2011年度に慶應義塾大学へ訪問研究員として滞在。研究分野は国際政治史。特に日韓関係史、帝国史、反共史について研究。 在日韓国人三世。
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*本稿は、2012年9月12日にSGRAかわらばん432号で配信したものを、著者の了解を得て再送します。
2014年2月19日配信