SGRAかわらばん

エッセイ388:アーロン・リオ「Sさんを待ちながら」

ミニバスの運転手と2人きりでガタガタ山道を走っている。ちょっと前までは農家と田んぼとガソリンスタンドがいくつかあったけど、今は窓から外を見ると、杉林の起伏ばかりが続き、真夏の昼間なのに杉が太陽を遮ってとても暗い。運転手は、僕の不安な表情に気づいたのか、「カントリーサイドやねん」と、わけのわからない日本語で喋り出してくすくす笑っている。「カントリーサイド?それってちょっと控えめすぎるんじゃない?」と思いながら、やがてまた杉のリズムに戻っていく…

 

その数年前に、大学を卒業したら大学院で日本の美術史を勉強すると決心した。まずはまだ行ったこともない日本を味わってみようと思い、航空券代を稼いだら一週間東京へ。新宿西口の夜の賑わい、東京国立博物館で見た大徳寺聚光院の襖絵、山手線の大混乱、はじめての酎ハイ…今顧みるとそれぐらいしか思い浮かばない。帰国後、ジェットプログラムに応募した。仏教美術に憧れていたので、軽々しく奈良と京都を第一、第二希望にした。

 

卒業後の夏、一日千秋の思いで待って、遂に日本国文部科学省から手紙が届いた。「Placement」という欄にローマ字で「Soni Village」としか書かれてない。ワクワクしながらインターネットで検索してみても結果が出ない。 漢字も分からず、 グーグルマップがまだ存在しないあのとき、不安いっぱいで日本人の友人に聞いてみたけれど、「ソニって?漢字は何だろう」。ぶつぶつ言いながら何日かたつと、「Soni Village」のSさんからの簡単な挨拶メールが入った。大変きれいな英語でなぜかほっとした。漢字も委細もわからないまま荷造りをしたり、別れの挨拶をしたりして、一夏を過ごした。関西空港に到着したら、優しそうなSさんが迎えにきてくれると期待していたけど、ミニバスの運転手しかいなかった。

 

…とうとう、ミニバスが山を下りはじめ、無限の杉林が開けて、明るい谷間が広がった。渓流の両岸に田んぼとビニールハウスが並び、山腹に農家が点在している。一本道は、軽トラックだらけで、川に沿って伸びていって渓流の遠端に消えていく。まさに一度離れたら戻ることができないという桃源郷のようだ。ミニバスはまた坂を上って森を背にして建っている小屋の前に止まった。「ジス、イズ、ハウス」とミニバスの運転手が口ごもって言う。ミニバスの運転手は一緒に荷物を中に運んで、しばらく半分関西弁(当時は一体何語なのかと思ったけど) 半分片言英語まじりで、家の中を回って、指差しながら説明する。布団、固定電話、冷蔵庫、炊飯器、洗濯機。浴室で、これを押し回しこれをガチャガチャ回転させ何とかなると、細かいジェスチャーで何かを説明しているけど意味不明。「Sさん、来週、カムバック」と、妙に親切なミニバスの運転手は小腰をかがめながら家を去った。

 

ミニバスの運転手が指差した冷蔵庫の扉に、付箋紙で「Please drink!」とSさんによる指示があった。冷蔵庫の中に見つけた「American Cola」の印がついた赤い缶を開け、不味いけどそれを飲みながら、窓から目の覚めるような景色を眺める。渓の向こう側に、あとになって名前がわかった「鎧岳」という山が空に聳えている。目を下ろすと、目の前に広がる田んぼのど真ん中に腰の曲がったお婆さんが篭を背負ってこっちを凝視している。んん?と思いながら、畳の上に横になってぐっすり寝入ってしまう。少しして、玄関から震える女性の声で「先生?先生?」と聞こえてくる。畳の上から襖をそーっと開けて首を伸ばすと、人の姿は見えないけれど、大きい段ボール箱が置いてある。躊躇いながらこそこそと玄関へ這って行くと、なぞの箱にはトマト6個、茄子2個、ほうれん草1束、信じ難いほどたくさんのお米(一年分?)など、ぎっしりと詰まっている。今も尚、誰だったかわからないけど、あの田んぼのお婆さんだったと勝手に信じている。

 

暫くの間、幾人かの見知らぬ人が突然玄関に現れて、野菜やお米をくれたり、人がたくさん集まった誰かさんの家に連れて行かれて食べさせてくれたりした。酔っ払っているミニバスの運転手もなぜかよくいて、何時も「Sさんがー」なんちゃらかんちゃらと。はじめての日本酒もミニバスの運転手と。ある日突然、医者っぽいおじさんがエアコンを携えて来て、説明も無く壁に取り付けた。別の日、ミニバスの運転手が僕を車に乗せて、途中でお爺さんを迎えに行って、最後にある家の前に止まった。お爺さんだけが家に入って、20分後に車に戻って僕から3万円を求めてまた家に入る。お爺さんが10分後にもどったら、僕に車の鍵を渡して「マイカー」だと。帰りはお爺さんを「マイカー」になったばかりの軽カー(軽自動車)に乗せて。

 

ミニバスの運転手が約束した通り、着いてから1週間後にSさんが玄関に現れた。英語ぺらぺらの美人のSさんは僕の上司だそうだ。1週間ぶりの英語のためか、初めてなのに久しぶりの親友のように、多事な1週間をSさんに語り尽くす。田んぼのお婆さんが隣人のTさんでSさんの夫の母、エアコンを取り付けた医者っぽいおじさんがクリニックの院長のFさん、3万円を求めたお爺さんが教育長のMさん、姿を表さないマイカーの売り手が教育長のMさんの秘密の恋人、ミニバスの運転手がSさんの友人で役場の整備員のIさん、漢字が「曽爾」、等々、Sさんが1週間の神秘を解いてくれた。

 

あれから10年も経って東京で博士課程を終えつつある。不慣れなところも未だに多いけど、留学の経験や日常生活や研究によって、日本について色々学んできた。今でも、東京の喧騒から逃げたいときは、時折第二の故郷の曽爾へ。Sさんと一杯やりながら、現実からの息抜き。そのときにいつも考える、今も僕が日本について「知っている」事のほとんどは、Sさんを待ちながら学んだ。

 

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<リオ・アーロン Aaron M. Rio>

コロンビア大学美術史考古学部博士課程後期。2004年インディアナ大学東アジア研究部・文学部を最優等で卒業。2008年コロンビア大学美術史文学修士、2010年日本美術史哲学修士。同年より東京大学東洋文化研究所訪問研究員、2012年より学習院大学文学部哲学科客員研究員。研究分野は中世日本の地方画派。

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2013年10月2日配信