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エッセイ393:韓 玲姫「国境を超えて」

歩いて2分ほどのところに国境がある。中国と朝鮮の国境線―鴨緑江である。幼いころよく川辺で洗濯をしていた母の隣で、川の向こうにいる人にまで声が届くかなあと、大きな声を出してみたり、手を振ってみたりした。また、川が凍結する冬には、川の真ん中まで歩いてみたり、氷にぽつんと空いた穴を囲んで黙々と洗濯している(中国と朝鮮の)人達の姿をわざわざ覗きにいったりしたことを、今も鮮明に覚えている。ということもあって、私にとって国境は程遠いものではなかった。いや、むしろ身近で親しいものだった。

 

そのような国境が私の心で変化し始めたのは、来日して韓国系の企業に就職してからだった。そもそも、子供の時に住んでいた町は朝鮮族が16%で、大半が漢民族であったこともあって、小学校の時から家と学校では朝鮮語、外では中国語と二つの言語を使い分けてきた。たまに近所の意地悪い男の子にからかわれたこともかすかに覚えてはいるが、それよりも彼らと楽しく過ごした記憶のほうが今も懐かしく思われる。当時の私にとって朝鮮族の人も、漢民族の人も一様だった。だって、私達は同じ中国の同じ場所に住んでいるのだから。私達は同じ中国語を話す中国人なんだ。私達は産みの違う母親から生まれた兄弟なんだ。という認識だったかもしれない。

 

一方で、中国語と朝鮮語のバイリンガルに、日本語ができるという語学能力が決め手となって、私は念願だった日本での就職を果たした。生れて初めて中国の朝鮮族として少し優越感を感じる瞬間だった。韓国にある親会社と日本支社、日本にある得意先、そして中国、海外にある取引先を連携する橋渡し役は、なかなかやりがいのあるものだった。そして、かつて地理の授業で必死に覚えていた一本一本の国境線が少しずつ心の中から薄まっていった。

 

しかし、ある出来事で私は自分のアイデンティティについて疑問を持つようになった。それは韓国人の駐在員と外回りの際は必ずと言っていいほど「韓国人の○○です。」と紹介してもらうことだった。「実は中国人ですが…」と喉まで出かかった言葉を飲み込み、笑顔でごまかすが、なんだかすっきりしない気分になる。自分のルーツを辿ってみると、確かに祖父の世代に朝鮮半島から中国に渡ってきたゆえに、韓国・朝鮮人の血が流れているには違いない。だが、中国で生まれた3世として、朝鮮族の学校に通ったとは言え、中国教育と漢民族の影響を多く受けながら育ってきた私には、韓国人のことをあまりにも知らなさすぎた。はっきり言って、今の韓国社会についてはまったく門外漢なのだ。来日までに私のアイデンティティは韓国・朝鮮人という認識よりも、朝鮮語が話せる中国人という意識のほうがもっと強かった。

 

同じようなことが繰り返され、私は次第に彼らの目に映った自分は韓国語が話せる中国人ではなく、かつて中国に住んでいた同じ民族であることに気付いた。彼らは同じ韓国人として私を受け入れてくれた。今振り返ってみると、30年も異なる世界で離れて暮らしてきた私を、快く受け入れてくれた彼らに心より感謝したい。しかし、当時の私には正直何とも言えない不思議な気分だった。そして、「私はいったい何者?」、「私のこれまでのアイデンティティはなんだったの?」と、初めて心の中に葛藤が生じた。

 

幼いころ、川一つ挟んでまったく違和感を覚えず暮らしてきた身近で親しい「国境」が、なぜか疎遠になったように感じた。いや、まるで小説の中の世界のように私から遠ざかっていくようだった。いつの間にか私の心の中にはひそかに国境線が引かれていたのである。とはいうものの、それが自分のルーツを考え直す契機となり、その後韓国社会について調べたり、韓国のエンターテインメントを通して韓国の文化や歴史を理解したり、かつて心の中から遠ざかっていった「国境」に少しでも近づけようとした。

 

その後、自分のアイデンティティとは関係なく、私は日本語教育を目指して筑波大学の博士後期課程に入った。いつからかはわからないが、名前を言っただけで「韓国人?」と聞かれる時が多くなった。昔だったら「いえ、中国人です。」ときっぱり否定したかもしれない。だって、パスポートの国籍にはっきり「中国」と書かれているのだから。しかし、今は「う~ん、宇宙人です。」と冗談交じりで返すことが多い。まあ~、中国人でも韓国人でもいいや。私はわたしだから。私は国境を超えて生きているから。このような考えはかつて国籍に縛られていた私を気楽にさせる。

 

今年の10月から東京で日本語講師として勤めることになった。そもそも日本での日本語講師といえば、日本語母語話者がほとんどであるようだ。そのためなのか。応募した学校の中には、模擬授業の時に「先生~わかりません」と、何度も何度も質問を投げてきた生徒役の審査員がいた。いじわるなのか、まじめなのか、教職経験を持つ私にはなかなか理解しがたい。

 

グローバル化が進んでいる現在において、「日本語教育は日本人が教えるもの」という固定観念を捨て切れず、未だに一本の線で分断しようとする現場の考え方に正直戸惑う時も多々ある。そのような気風があふれる現場で、冷たい風当たりを感じながら、この道を歩き続ける魅力があるのかと思うと、ちょっと虚しい気分になってしまう。しかし、いつかは国境を超えて世界でつながっていく日本語教育の可能性を信じて、願って、私は今日も、明日も一歩一歩、歩み続けたい。

 

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<韓玲姫(カン レイキ) Lingji Han>

中国吉林出身。延辺大学日本語学部卒業後、延辺大学外国言語学及応用言語学研究科にて文学修士号取得。延辺大学の日本語講師を経て来日。日本の貿易会社で7年間勤務後、2013年3月に筑波大学で学術博士号取得。現在東京で日本語講師非常勤、中国語講師非常勤を務める。研究分野は比較文化、日本語教育、中国語教育。

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2013年11月20日配信