SGRAかわらばん
エッセイ315:ボルジギン・フスレ「ウランバートル・レポート2011」
2011年はモンゴルが清朝から独立して百周年になり、それを記念して、モンゴルではさまざまな記念行事、シンポジウムが企画・実施された。SGRAがモンゴル科学アカデミー国際研究所と共催した第4回ウランバートル国際シンポジウムも8月に開催された。その準備のため、私は8月8日にウランバートルに入った。同月9日~13日に国際モンゴル学会(IAMS)主催の、「モンゴル独立百周年記念、第10回国際モンゴル学者会議」にも参加したが、会議の傍ら、国際研究所の方と一緒にシンポジウムの準備をした。
8日の午後、モンゴル科学アカデミー国際研究所にて、同所副所長、実行委員会のモンゴル側の委員長でもあるシュルフー(D. Shurkhuu)氏と打ち合わせをした。問題は山積していたが、一番心配したのはやはり経費の問題であった。同時通訳設備や通訳謝礼、会場借料、車のレンタル代などの経費が確保できていなかった。モンゴル側の協賛団体の関係者に資金の提供について打診したが、はっきりした答えはなかった。急いで、SGRA代表今西淳子氏にも現状をつたえ、資金の追加をもとめたが、大震災の後、日本での資金調達も難しかった。
その後の数日間は、要旨集の印刷、新聞社・テレビ局の取材に応じたほか、資金をあつめるため、関係団体と交渉しつづけた。そして、11日に、朗報があった。モンゴル国のある協賛団体が気前よく寄付金を決定し、国際研究所に渡した。これで実行委員会のメンバーは、やっとほっとすることができた。
今回、モンゴルの企業が大口寄付をしてくれたのには、同国の経済の飛躍的発展がはじまっているという背景がある。世界が注目するなか、巨大な資源をもつモンゴルは史上空前の大変動期をむかえている。資源立国戦略をうちだしたモンゴル国は世界最大級のオユー・トルゴイの銅・金鉱山、タバン・トルゴイの石炭、ドルノド、マルダイ、ゴルバン・ボラグのウラン、ツァガーン・ソブラグの銅、アスガトの銀、トムルティの鉄、タムツァグ盆地と南東部東ゴビ盆地の石油など、豊かな資源を持っており、本格的な資源大国と認められている。列強が虎視眈々と狙っている中、モンゴル国政府が数年間にわたって、オユー・トルゴイの銅・金鉱山、タワン・トルゴイ炭田の開発について国内で議論を繰り返し、何回も開発案を訂正してきたのも、それなりの戦略があったからであろう。すでに開発がはじまっているオユー・トルゴイ鉱の本格的な生産は2013年から始まる。イギリスの権威ある大手調査機関によると、モンゴル国の鉱山開発の生産高は今後4年間だけでも4倍に成長し、2015年には115億ドルに達すると予測されている。タワン・トルゴイ鉱床の初期投資の資金は73億ドルにのぼると言われている。
モンゴルは、たしかに、目がまわるほど変わっている。それは、経済だけではなく、外交などの分野にも反映されている。SGRAの今回のシンポジウム開催の前後にも、韓国の李明博大統領、フィンランドのタルヤ・ハロネン大統領、アメリカのジョー・バイデン副大統領、中国共産党中央政治局の周永康常務委員を団長とする中国政府代表団、日モ友好議員連盟、カナダのベヴァリー・オダ国際協力大臣等が相次いでウランバートルを訪れた。そのねらいはいうまでもなくモンゴルの鉱山だ。
SGRAのモンゴル・プロジェクトは、2007年に企画され、2008年に正式にはじまり、今年は4年目に入った。日本の経済が芳しくない状況の中、さまざまな団体、企業からの支援を得て続けてきた。それと同時に、SGRA代表の今西氏をはじめ、英文要旨・論文のネイティブ・チェック担当のフェルディナンド・マキト氏とコロンブス・マキト氏、2009年シンポジウム論文集のロシア語の論文を翻訳してくださった一橋大学名誉教授田中克彦先生、論文集の原稿の一部をチェックしてくださった東京外国語大学二木博史先生、モンゴル語の挨拶文を翻訳してくれたSGRA会員のハムスレン・ハグワスレン氏、マンダフ・アリウンサイハン氏、運営委員の石井慶子氏等、みんな無報酬のボランティアで、SGRAのウランバートル国際シンポジウムの活動に携わってきた。
大震災・原発事故の影響で、今年度のウランバートル国際シンポジウムの資金調達はさらに厳しかった。幸いなことに、渥美財団の渥美直紀評議員会長のご紹介により三菱商事と鹿島建設から賛助をいただくことができ、また、守屋留学生交流協会理事長守屋美佐雄氏、事務局長高橋準一氏、西岡隆秀氏も即決で同協会の助成金を提供してくださった。東京外国語大学のOB、OGの集会で、SGRAのモンゴル・プロジェクトのことを知った涌井秀新氏も、積極的に関係企業に働きかけ、株式会社「モンゴルの花」社の支援を得ることができた。同社の社長星野則久氏は、ウランバートルのシンポジウムに参加してくださった。
8月上旬に国際モンゴル学者会議があったため、日本からの研究者東京外国語大学二木博史教授、上村明氏、早稲田大学非常勤講師青木雅浩氏、亜細亜大学非常勤講師荒井幸康氏、日本学術振興会特別研究員橘誠氏等、内モンゴル大学チョイラルジャブ(Choiraljav)教授、ロシアの研究者V. V. グライヴォロンスキー(V. V. Grayvoronskiy)教授、クズミン(S. L. Kuzmin)教授、インドの研究者シャラド・ソニ(Sharad K. Soni)氏等はすでにモンゴルを訪れていた。そして、SGRAのシンポジウム開催の前日、ロシア科学アカデミー言語学研究所上級研究員アイサ・ビトケーヴァ(Aysa Bitkeeva)氏、東京大学大学院総合文化研究科で研究している韓国の研究者崔佳英氏、千葉大学児玉香菜子准教授、愛知大学高明潔教授、法政大学王敏教授等も予定通り、ウランバートルに到着した。
8月15日午前、私は在モンゴル日本大使館の青山大介書記官と同大使館でおこなう招待宴会などの件について、連絡をとった。青山氏には2年続けてたいへんお世話になった。ここで、これまで終始、SGRAのモンゴル・プロジェクトを支援してくださった在モンゴル日本大使館のみなさまに感謝の意を表したい。午後、私はモンゴル・日本人材開発センターにて、同センターのKh. ガルマーバザル総括主任、佐藤信吾業務主任に挨拶した。そして、国際研究所の職員と一緒に、会場、同時通訳設備のセッティングなどを確認した。その後、空港にて、今西淳子代表、一橋大学田中克彦名誉教授をむかえた。
8月16、17日の2日間、第4回ウランバートル国際シンポジウム「20世紀におけるモンゴル諸族の歴史と文化」がモンゴル・日本人材開発センターで開催された。
開会式では、モンゴル科学アカデミー副総裁T. ドルジ(T. Dorj)が司会をつとめ、モンゴル道路・運輸・建設・都市計画大臣Kh. バトトルガ(Kh. Batulga)、モンゴル科学アカデミー総裁B. エンフトゥブシン(B. Enkhtuvshin)、在モンゴル日本大使館参事官日野耕治、SGRA代表の今西淳子が挨拶と祝辞を述べた。続いて、モンゴル科学アカデミー会員D. ツェレンソドノム(D. Tserensodnom)教授、一橋大学田中克彦名誉教授、内モンゴル大学チョイラルジャブ教授、東京外国語大学二木博史教授、モンゴル科学アカデミー国際研究所ロシア研究室主任O. バトサイハン(О. Batsaikhan)教授、ロシア連邦科学アカデミー東洋学研究所モンゴル研究室主任V. V. グライヴォロンスキー教授が基調報告をおこなった。午後の報告は、ボグド・ハーン政権や1921年の立憲君主国家の樹立に対する再検討、再評価が中心となった。その日の夜、チンギス・ハーンホテルで、モンゴル科学アカデミー主催の招待宴会がおこなわれた。そして、翌17日の発表は、国境をまたぐモンゴル諸族がどのようなプロセスを経て現在の状況にいたったのかなどについて、歴史と国際関係、文化、言語の視点から議論を展開したものであった。発表の詳細は別稿にゆずりたい。その日の夕方、在モンゴル日本大使館公邸で、日本大使館とSGRA共同主催で招待宴会をおこなった。城所卓雄大使が挨拶を述べた後、今西代表とモンゴル科学アカデミー副総裁T. ドルジ氏が祝辞を述べた。
2日間の会議に、モンゴル、日本、中国、ロシア、韓国、インドなどの国の研究者約100人あまりが参加し、共同発表も含む、28本の論文が発表された。また、『日報(Daily News)』や『首都・タイムズ』、モンゴル国営テレビ局は同シンポジウムについて報道した。
18日、会議の参加者は、テレルジのチンギス・ハーン記念リゾート、亀岩などを見学した。
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ボルジギン・フスレ(Husel Borjigin):東京大学大学院総合文化研究科学術研究員、昭和女子大学非常勤講師。中国・内モンゴル自治区出身。北京大学哲学部卒。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程修士。2006年同研究科博士後期課程修了、博士(学術)。内モンゴル大学講師、東京大学・日本学術振興会外国人特別研究員をへて現職。著書『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、共編『ノモンハン事件(ハルハ河会戦)70周年――2009年ウランバートル国際シンポジウム報告論文集』(風響社、2010年)他。
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【付録】今西淳子「朝青龍さんが教えてくれた新聞記事」
フォーラムの翌日、ウランバートルから東京へ帰る飛行機の中で面白いことがありました。通路を隔てて隣に座っていた人が「すみません、これあなたじゃないですか」と声をかけてきたのです。見てみたら、モンゴル語の新聞に私の写真が大きく載っているではありませんか!(シンポジウムの時に取材をうけました。)そして、その声をかけてくださったのは、なんと朝青龍さんだったのです。そして、私はその新聞をいただきましたが、今回かわらばんのためにSGRA会員のナヒヤさんが抄訳してくださったので、やっと内容がわかりました。朝青龍さんは、来年モンゴルの選挙に出馬する予定で、現在、モンゴルでノモンハン戦争を舞台にした映画を製作中だそうです。(SGRA代表)
ジェー・ガンガー 「モンゴル民族の歴史と文化」
(モンゴルDaily News 2011年8月19日掲載記事)
(抄訳)
近年、モンゴル国は旧ソ連圏の国家と違う非常によいイメージを作り出してきた。今年もいろいろなイベントが行われ、それが世界にモンゴルを宣伝するいいチャンスになったが、「選挙のショー」に終わったものもあった。しかし、モンゴルの歴史と文化について、人々は何を考えているのだろう。周年記念特別イベントに際して、8月16日~18日の三日間、国際シンポジウム「20世紀のモンゴル民族の歴史と文化」がウランバートルにて開催され、各地より研究者が集まった。同シンポジウムはモンゴルの歴史と文化に焦点をあてた学術研究会であり、世界にモンゴルを宣伝するとてもいい機会になった。ここで特に注目されるべき点は、このシンポジウムは日本側主催者の企画プログラムによることである。在モンゴル日本大使館、日本国渥美国際交流財団、三菱商事、モンゴルの関係団体などの支援により、十数地域から約百人もの研究者が集まった。日本はモンゴルに対して友好関係を築いてきたが、その象徴の一つとしてこの国際シンポジウムが開催された。
(シンポジウムの報告について簡単に紹介:橘誠(日本)、デ・シュルフー(モンゴル)、 青木雅浩(日本)、 ナ・スフバートル(モンゴル)、 チェ・ボルドバートル(モンゴル)、 ボルジギン・フスレ(日本)―――詳しくは原文をご覧ください)
シンポジウムの主催者、渥美国際交流財団理事長(編者註:常務理事)、関口グローバル研究会(SGRA)代表の今西淳子さんは、「今回は私の4度目のモンゴル訪問である。私たちの財団はこのように、アジアの各地域でそれぞれ最も関心のあるテーマを選んで、フォーラムを催してきた。今回は、財団OBのフスレ博士の企画を支援して、モンゴル民族文化をテーマにしたフォーラムを開催した。フスレさんはモンゴル人であるため、ウランバートルで会議が開かれた。中国では、自然と環境をテーマにした若者向けのフォーラムを、北京とフフホトにて催す予定である。つい最近は台湾で、「国際日本学研究の最前線にむけて:流行・言葉・物語の力」をテーマにしたフォーラムを開催した。私たちの団体は、このように各地域の特性に応じた重要テーマを選び、シンポジウムをしている。日本政府には属さない(編者註:民間の)組織ではあるが、政府側はこのような活動を行うことに対して、税金を取らないという形で支援を表明している。さらに、今回は日本駐モンゴル大使館にご支援いただき、たいへんうれしく思っている。最後に、今年の春に起きた地震に際して、ご支援してくださったモンゴルの皆様へお礼を申し上げて、ごあいさつとさせていただきたい」と言った。
そして、大きな成果が期待され、今後もこのような場を継続して持っていくことを確認し、シンポジムは閉会した。
(抄訳文責:ナヒヤ)
会議の報道
日報
2011年11月9日配信