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エッセイ319:梁 蘊嫻「私にもっとも影響を与えた人」

私は、去年の十月に博士号を取得して、今年の八月から大学の教員になった。研究の道を歩んでいるのは、間違いなく私の父からの影響によるものである。

父は地元の百貨店(百貨店といっても、今から見ると、大きな雑貨屋のようなものだ)の六男として生れた。若いときは血気盛んで、喧嘩ばかりする不良少年であったが、結婚して子供が生まれたら、すっかり責任感の強い父親に変わった。

父は、怒り出すと、いつも「三字経」(人を罵る乱暴な言葉)を連発するが、子供に対してはとてもやさしかった。いまでもはっきりと覚えているのは、幼いころ、寝る前に、必ず私に腹巻をしてくれたことである。大きな温かい手は、幼かった私にこの上ない安心感を与えてくれたのである。大人になった私は、よく「素直ですね」と褒められるが、このような性格は、幼少時からやさしい父の下で安心して育ってきた結果だと確信している。

スポーツが得意な父は、放課後いつも私たち兄弟三人を連れてバスケットボールや野球などをしに行った。投げられたボールを受け損なって顔に当たってしまった時に、父は「プレーするときは、集中しろ」「相手に隙を与えるな」「取れなかったのは全力を尽くしていない証拠だ」と厳しく叱って、少しも同情してくれなかった。私は、スポーツは一向に上手にならなかったが、何事も集中してやらなければならないということは覚えた。運動した後、私たちは必ず行きつけの店へアイスティーを飲みに行ったが、父は一気に飲み干してから、「コラ、まだ飲み終わっていないか」と女の子の私にまで言う。私はある意味で男の子として育てられていたのである。

高校を卒業したら、すぐに運転免許を取ったが、父はよく路上運転に同伴してくれた。しかし「初心者だから、ゆっくり運転しなさい」と言うのではなく、「追い越すなら、早く決断しなさい。事故はためらったときに起こるんだ」と教えた。また、父親は時々格闘技を兄と弟に教えていた。「人と喧嘩するな」と言わずに、「人と喧嘩することになったら、いかにして勝つかを考えろ」と教えた。このように、父親は、伝統に反する教育法で私たちを訓練していたのである。

父は手先がとても器用で、工芸品の製作、彫刻などが得意であり、植物の栽培にも興味があった。私は、このようなところはまったく親から受け継いでいないが、読書の習慣は父から強い影響を受けた。

よく檳榔(台湾で労働者がよく噛むヤシ科の実)を噛んでいた父は、労働者の豪快さがある一方、本を読むのが好きであった。父はよく本を薦めてくれたが、一番印象に残ったのは、1970年代の有名な散文家・王鼎鈞の『開放的人生』である。この本から得るものは多かったように思うが、その具体的な内容はもう覚えていない。このエッセイを書くために、あらためてこの本を読み直した。「鶏口?牛後?」という散文を読んで、記憶がよみがえった。「わが子よ!将来何をやっても、その業界でもっとも優れて、傑出した人になりなさい。たとえ、道端で豆乳を売ることになっても、一番よい豆乳屋になりなさい」という一文がある。確かに父がこの文章を読ませてくれたのを覚えている。「一番になりなさい」は私の遺伝子の一部になったのである。小学校入学のときにも、クラスで最年少の私に、「努力によって未熟さを補うことができるよ」と何度も言い聞かせた。そのためか、私はコツコツと頑張る性格が形成されるようになった。

父は、不幸でありながら離婚できずにいる女性をたくさん見ていたせいか、「台所から出なさい」と繰り返し言っていた。お金を稼ぐ能力があれば、男性に振り回されないで済む、また、その能力を身につけさせるのは教育だと彼は考えていた。教育で運命を変える、という福沢諭吉に似たような考え方なのである。小学校時代、父は、夜の7時半から9時までの間を勉強時間と定め、国語、数学から社会まで、すべての科目を自ら教えてくれた。苦手な算数の時間、いつも怒られて泣いていた。9時を過ぎても、父の講義がなかなか終わらないので、目を擦りながら、一生懸命に眠気を覚まそうしたことを、いまでもよく思い出す。あの頃のデスクライトは電球だったので、異常に熱を発していて、夏になるとひどく暑かった。こうして、勉強に付き合ってもらったおかげで、本来平凡な私が、クラスの中でいつもトップの位置を占めることができた。

台湾では、「猪没肥去肥到狗」(豚を育てるつもりだったが、犬のほうが肥えることになってしまった)ということわざがある。これは、男尊女卑の旧社会でよく聞かれることわざであり、男性より女性のほうが大成したという意味である。父はむしろそれを望んでいたようだ。私は博士号を取って大学で教鞭を取るようになった。まさに、彼が期待していたとおり、自立した女性になった。父はきっと天国で喜んでくれているに違いない。いまでも、「一番になりなさい」「人より倍以上努力するんだ」という誡めが聞こえてきそうである。

「おとうさん、これからもコツコツ頑張っていくから、どうか見守っていてください」。

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<梁 蘊嫻(りょう・うんけん)☆ Liang Yunhsien>
台湾花蓮県玉里鎮出身。淡江大学日本語学科卒業後来日。東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化研究室博士課程終了。現在は台湾の元智大学応用外国語学科の助理教授。
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2011年12月14日配信