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エッセイ321:李 恩民「今まで私に一番影響を与えた人――父」

私はこの世に生をうけて30数年間、実に多くの師に恵まれたが、その最初の師はやはり父であった。父は中国の受難の時代である「文革」(文化大革命)に、自らも迫害を受けたにもかかわらず、私に正直という美徳を伝え、人間としての教育を授けてくれた。

父は高校時代に西安でその時代の潮流である「革命思想」に目覚め、延安に入り込み、中国革命に身を投じた。そのため、祖父は国民党の兵隊に逮捕されたが、革命勝利のため、わが家は「革命幹部の家」となり、辺鄙な故郷で英雄としてもてはやされた。解放後、父は中央政府核工業部に直属していた地質調査局に勤め、次官の直前まで昇格していた。しかし、そんな父を「文革」という人為的な災難が襲ったのであった。1966~1976年の「文革」では、管理職に就いていた人達は、上は国家主席の劉少奇から、下は農村の村長まで、ほとんど例外なく、「階級の敵」の嫌疑をかけられて、民衆の攻撃の対象となった。父もこれを免れることができず、「歴史的反革命分子」という罪名をつけられた。そして一切の権利を剥奪され、一時期監禁さえもされたのである。重病のため実家に送還された後は、監視つき強制労働を課せられることになった。その時、私たち家族も都市から追い出されて、父と一緒に山西省の農村で不自由な生活を10年間も強いられることとなった。その時、誰もが、私たちをどなりつけ、説教し、あれこれ命令した。私も自己批判や思想報告を書かされたり、罰として道路を掃除させられたりしたことが何回あったか数え切れない。私たちは、誰かが自分に援助の手を差し伸べてくれるのを心から熱望したが、人々はわが身も危うい状態で、他人を顧みるゆとりなどなかった。こんな苦境の中で私を支えてくれたのはやはり父であった。

父は自分には恥ずべき何事もないと確信し、「民衆が私を理解してくれる日が必ず来る」と信じていた。しかし、当時の実情では、父親が政治問題を抱えていれば、子供たちの進学や教育は非常に不利だった。1970年、私はすでに9才になっていたが、まだ小学校に入っていなかった。というのは「歴史的反革命分子」の息子だという理由から、私は公民としての教育を受ける権利をも剥奪されたからである。私は入学を拒否された日のことを今なお忘れることができない。父は激しく憤り、監視の幹部に叫んだ。「すべて私に打ちかかってくるがいい。あらゆる災いが全部やってくるがいい。しかし、子供たちには累を及ぼすな」と。子供たちが正常な教育も受けられないという実情に直面した父は、母と共に兄弟の今後の行く末を案じて、どんなひどい暮らしであっても、子供たちにぜひ良い教育を受けさせようと決心した。そして、ある日の夜、父は家族全員を集めて私たちに語った。「君たちがお父さんのことを信じているのなら、今から学問をしっかり身につけ、将来は国家への貢献を通じてお父さんの潔白を証明してくれ」と。翌日から、父は毎晩、農場より戻ってから私たち4人兄弟を相手に塾のように授業を始めた。その後、6年間、父は昼間にどんな侮辱を受けようとも、相変わらず教え続けた。その最初の頃は、村には電気がまだついていなかったが、私たちは石油ランプの光の下で学校必修科目以外に、禁じられていた『論語』、『孟子』など古典書をも通読した。「文革」後、父の名誉は回復された。また、大学受験制度が復活すると、父の授業により得られた基礎学力のお陰で、私たち兄弟は次々と大学に合格した。

「文革」とは中華民族の災難であったが、私たち一家もその辛酸を共にした。当時、もし、父の教えがなかったなら、不合理な苦境に追いやられた私は、この人生最大の難関を乗り越えることができなかったかもしれない。それゆえ、私はいつも人生の最初の師である父のことを思い出す。人間社会の平和と幸福のために、そして苦労をした父の期待に答えるために、私はぜひとも日本での研究を成功させたいと願っている。

(著者の了承を得て、渥美財団1995年度年報より転載)

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<李恩民(り・えんみん)Li Enmin>
1961年中国山西省生まれ。1996年南開大学にて歴史学博士号取得。1999年一橋大学にて博士(社会学)の学位取得。南開大学歴史学系専任講師などを経て現在桜美林大学リベラルアーツ学群教授、SGRA研究員。専門は日中関係史、中国近現代史、現代中国論。
著書に『中日民間経済外交』(人民出版社1997 年)、大平正芳記念賞受賞作『転換期の中国・日本と台湾』(御茶の水書房2001年)、『「日中平和友好条約」交渉の政治過程』(御茶の水書房2005年)など。共著に『歴史と和解』(黒沢文貴・イアン・ニッシュ編、東京大学出版会2011年)、『中国内陸における農村変革と地域社会』(三谷孝編、御茶の水書房2011年)など多数ある。
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2011年12月28日配信