SGRAかわらばん

エッセイ305:包 聯群「アメリカの地震とハリケーン」

この夏、東京大学のグローバル・スタディーズ・プログラムによる派遣で、アメリカ東海岸のマサチューセッツ大学に来ている。そして、この短い滞在期間に、アメリカ東海岸史上(100年以内)最強の地震を体験し、アメリカ史上最大の災害をもたらすと予測された大型のハリケーン「アイリーン」に遭遇することとなった。

1.アメリカでの地震体験

8月23日午後、ヴァージニア州中部を震源とするマグニチュード5.8の地震があり、ワシントンやニューヨークで建物から人々が避難するなど、一時騒然となった。原子力発電所2基が運転を停止する措置が取られた。地震が発生した時、私がいるマサチューセッツでは少し揺れを感じたものの、それほど大きくないし、日本で地震に慣れているから気にしなかった。しかし、テレビの報道をみると、首都ワシントンでは、ホワイトハウスや近郊の国防総省などの建物が一時閉鎖され、職員が避難したり、記者会見も中断されたりしていた。ワシントンの街は、ビルから逃げてきた人々で、道路が埋め尽くされていた。そして、ワシントンやニューヨーク市では、地震で驚いて泣き出したり、お互いに抱き合ったりしている人もいた。ヴァージニア州では、建物の一部が崩れるなどの被害が出た。物が壊れたり、がれきが散乱したりしていたところもあちこちに見られた。

中国の四川地震と同じ年(2008年)に仙台市にいた私は宮城県で起きた震度6弱(マグニチュード7以上)の地震を経験したが、それほどの被害はなかった。地震が終われば、すぐに日常生活に戻り、外に避難した人もあまり見かけなかった。

アメリカのテレビニュースでは、地震をあまり体験していない人々があわてふためいている様子が映し出されていた。建物も、少なくとも私が住んでいるところでは、煉瓦で作られているのが多数を占めているので、危険度は高いのだろう。

日本にいる時に夜中にマグニチュード6ぐらいの地震が起きて目が覚めてもすぐにまた寝てしまう自分を思い出すと、日本の建物の丈夫さに感謝すべきであると改めて感じた。日本では当たり前のものが、外国からみると当たり前でないことが多くあることに気付くべきであり、日本の良さを忘れてはいけないと思った。

2.大型ハリケーン「アイリーン」に遭遇

金曜日に大学からメールが来て、大型ハリケーン「アイリーン」に備え、土曜日と日曜日は図書館や関連施設がすべて閉鎖するという。図書館に引きこもっている私にとっては、本当に嬉しくない知らせだった。

オバマ大統領がマサチューセッツ州での休暇を中断してホワイトハウスに戻り、国民に向けて、全力でアイリーンに備えるよう呼びかけた。そして、多くの市民も避難しはじめたが、それにしても日曜日(8月28日)の時点ですでに20人を超す犠牲者が出ている。

私たちも、金曜日にスーパーに行って、3日間分の食事の準備をした。こちらのキッチンではガスを使用しておらず、電気に頼っているため、一旦停電すると何もできない状況になってしまうのである。

ニューヨークで全ての公共交通機関の運行停止という史上初めての措置が取られ、ニューヨーク近郊の空港も閉鎖された。アイリーンは土曜日にニューヨークに上陸し、中心部では木が倒れたり、道路が冠水したりする被害が出ている。

ハリケーンを体験したことのない私にとっては、とにかく皆と同じようにするしかない。土曜日は一日中家でインターネットのニュースを見て、ハリケーンの動向を見守っていた。午前中は晴れていたものの、午後から大雨が降り始め、日曜日の夜まで、時に小雨になったり、時に土砂降りになったりする状況が繰り返されていた。

土曜日は、私が住んでいるアパートからAmherst市中心を通過して学校まで行けるバスが平常通り運行していたけれども、日曜日には完全に運行中止となった。

日曜日の午前中は小雨だったので、外に出て少し歩いてみたが、周辺には人影が少なく、風や雨の音しか聞えず、物々しい雰囲気であった。夕方6時ぐらいに雨が一時止んだが、風は強く空は真っ黒だった。私たちの地域に到達したハリケーンはすでにスピードを落としており、ゆっくりと通過した。夜の10時頃になってまた強い風が吹き始め、10時40分、つい停電してしまった(この文章は電気がない状況で書き始めた)。

次の日の朝、外に出てみると、私が住んでいるアパート(大きな集合住宅)の庭では枯れそうになっていた大きな木が根底から倒れていたが、道路の両側に散乱しているのは枯れ枝ばかりで、大きな被害がなく通過したようで、ほっとした。

3.困難に対して平常心を保つ

アイリーンに対して、アメリカ政府は軍、消防、警察などの全てを動員した態勢で臨んだ。ニュースをみると、多くの人々が避難する際に、「平常心」を保っていたことが窺われる。ある人は、窓ガラスやドアに「薄い板」を張って養生し、その上に「Good NITE Irene」と書いた。自然災害が到来した時にも、ユーモアを忘れず、困難があっても前向きの態度が取られていることに心が打たれた。

私の住む町の人々が皆、自分の家でハリケーン「アイリーン」の通過を見守った週末だった。

————————————
<包聯群(ボウ・レンチュン)☆ Bao Lian Qun>
中国黒龍江省で生まれ、内モンゴル大学を卒業。東京大学から博士号取得。東北大学東北アジア研究センターの客員研究員/教育研究支援者を経て、現在東京大学総合文化研究科学術研究員、中国言語戦略研究センター(南京大学)客員研究員、首都大学東京非常勤講師。言語接触や言語変異、言語政策などの研究に携わっている。SGRA会員。
————————————

2011年8月31日配信