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エッセイ311:フェルディナンド・マキト「マニラ・レポート2011年夏」

今回のマニラ訪問のハイライトはフィリピン大学の労働・産業連携学院(UP SOLAIR)で8月24日~25日に開催された学会である。以前のマニラ・レポートでお知らせしたように、SGRA顧問の平川均名古屋大学教授とベトナムのハノイ国際貿易大学のビック・ハ教授とミャンマーのタンタン先生と一緒に、論文2本を発表することになった。

基調講演はフィリピン大学副学長のアマンテ教授である。彼は、僕と同じ頃に日本留学(慶応大学卒)を終えてからフィリピン大学に戻った。途中で韓国の大学で教えたこともあったし、UP SOLAIRの学部長にもなった。基調講演のなかで、UP SOLAIRは1950年代に設立された時から労働・産業連携についての教育や研究において東南アジアでも権威ある機関であったが、その後、地位が下がってきているという問題提起があった。ASEAN諸国に抜かれることがすでに目前に迫っていること、依然として日本から学ぶべきこと、学部のなかで建設的に批判し合い・新しいアイデアについて議論し、改善の努力をしていくことが必要だと促した。

ご無沙汰していたにも関わらず、会場に座っていた僕の方に質問を振った。それは「今の世界的な経済危機の中でそろそろアジアの通貨を設立すべきではないか」というものだった。僕の専門は国際金融ではなく開発経済学だということをわかっていただいた上での質問だったようだ。僕は以下のように答えた。「東アジアの域内貿易は、NAFTAより大きくなったし、EUに追いつく勢いで拡大している。このような経済協力はユーロのような制度的な装置がなくても実現できた。その主な原因は、トヨタのような日系企業が図った東アジアにおける国際分業化だと思う。フィリピン・トヨタ自動車のソブレベガ氏(フィリピン労働・産業関係協会(PIRS)会長兼務)が指摘したように、他のASEAN諸国にあるトヨタ関連企業と仕事をする時、標準化と多様性の尊重との絶妙なバランスを取らなくてはいけない。ASEANがここまで比較的上手く存続できたのは内政不干渉の原理があったからだろう。フィリピンはアジアにおける民主主義のモデルとされ誇りに思うが、大げさに自慢しないようにしていただきたい。シバル学部長やアマンテ教授が先ほど指摘したように、気をつけないとベトナムやミャンマーのように政府が強いASEAN諸国がフィリピンを追い抜くかもしれない、ということを肝に銘じなければならない。もちろん近隣諸国が発展していくことを、我々も嬉しく思わないといけない。ただし、フィリピンが犠牲にならずに、一緒に発展しないといけない。だから、今なによりもフィリピンに必要なのは、共通通貨のような金融制度より、東アジアの経済連携の駆動力である実物の国際分業化にいかに上手く入り込めるかということのほうだと思う。」

マカラナス先生に指名された平川先生は、「以前、東アジアでは共通通貨を設立しようという試みがあったが、米国の強烈な反対を受けて失敗に終わった。現在は、中国の人民元が自然に共通通貨になり得るではないか」というご意見だった。

ベトナムのビック・ハ教授も発言した。日本語のほうが得意なので僕がなんとか英語に通訳した。「以前、ベトナムではフィリピンの発展が大変印象的だとみなした時期があったが、実際にこうして(初めて)訪問してみると、インフラ整備は進んでいるが、スラムのような問題を多く抱えて一般市民の生活水準があまりよくないのにビックリした。ベトナムが比較的上手く進んでいるのは、主に海外からの直接投資のおかげである。一石三鳥だと思う。海外直接投資により雇用、技術移転、現地の中小企業の育成が可能になっている。ベトナムではフィリピンとは違った政府と労働組合との協力関係があり、それについてフィリピンの皆さんと建設的な会話を進めることができると思うので、これからも貢献することができればと思う。」

ミャンマーのタンタン先生は、同日午後、平川先生とビック・ハ先生の支援を受けながら、ベトナムでの共同調査の結果を英語で発表した。事前に僕と相談して、発表の最後にフィリピンに対する含意を取り入れてくれた。それは、「ベトナムでは労働者の国外への出稼ぎを抑えているので、国内の人材育成が実現できて国の競争力の向上に貢献してきた。一方、フィリピンは国外への出稼ぎ労働者を国家戦略としているので、国の競争力がなかなか伸びないのが現状である。フィリピンでは、労働者をいかに国内にキープし、出稼ぎ労働者を再びフィリピン社会に受け入れるか(RE-INTEGRATION)が、重要な政策課題であろう」ということだ。

このように積極的に議論し合い、互いに学びあうことで、ASEAN諸国間の新しい協力の道を開くことができるかもしれない。残念ながら、僕は別のセッションに割り当てられ、3人のセッションに参加できなかった。

僕のセッションは「日本から学ぶ」というテーマだった。発表者は3人で、そのトップ・バッターとして僕は日本企業と米国企業の労働契約を、共有型成長の観点から比較した。続いて、ソブレベガ氏が製造業の事例としてトヨタについて、また労働組合会長がサービス産業の事例としてフィリピン航空について発表した。その後のオープン・フォーラムにおいて、僕が発表で紹介した日系企業の幾つかの共有型成長の原理を、パネリストがトヨタとフィリピン航空の事例をめぐる議論に何の抵抗もなく適用していたことを大変嬉しく思っている。確かに、僕の発表の重要な狙いの一つは、制度的な多様性(INSTITUTIONAL DIVERSITY)を保つために、フィリピンは、日本から学べる共有型成長の制度全ての保護地域になるべきであるという認識を高めることにある。

学会の二日目に、僕達4人は同じセッションに参加して、貧困や不平等な社会を引き起こす児童買春、ジャパ行き、性差別、出稼ぎ労働者、土地改革について考える貴重な時間をともに過ごした。我々4人にとっては初めてのUP SOLAIRの学会だったので、今後改善すべき問題も発生したが、充実した発表と議論、そしてUP SOLAIR+SGRAの家族の暖かい出迎えによってそれをカバーすることができたとしたら嬉しく思う。

学会の翌朝7時に3人のホテルに迎えに寄り、7時半にスビックの開発を一緒に考える仲間のフィリピン大学建築学部の先生を乗せて、鹿島建設も関わった高速道路を走って2時間半ぐらいかかるスビック自由港地帯に向かった。丁度台風11号がフィリピン北部に上陸していたので、天気が荒れてゆっくり走らざるを得ないにも関わらず、10時の約束時間ぴったりに、スビック港メトロ管理局(SUBIC BAY METROPOLITAN AUTHORITY:SBMA)の本部に到着できた。SBMAのガルシア会長に挨拶した後、11時から1時間ほどスタッフがスビック自由港地帯について説明してくれた。その時に、平川先生の調査研究プロジェクトの実施の段取りについても相談した。ランチをしてからさらに1時間ぐらい見学して、マニラに戻ったのは夕方の5時ごろだった。

ガルシア会長とも話したように、スビック自由港地帯は当初順調だったが、最近勢いが衰えているのではないか。会長はスビックからの撤退例をいくつか取り上げて、やや低迷している現状を説明してくれた。当初、台湾の高雄とスビックとの間に自由貿易回廊を構築するために、300ヘクタールの台湾テクノ・パークを建設しようという動きがあったが、中国からの反発で行き詰まった。スビックにある国際空港は以前FEDEXという大手の運送会社のアジア本部だったが、中国に移転した。またNAFTA市場に接近するため、日本からの借款で建設したコンテナ港から米国企業がメキシコなどに移転した。

以上の事例の共通点は、スビックが中途半端なところにあるから、せっかく参入した企業が大きな舞台に逃げやすいということだ。しかし、会長はこの特徴を逆にテコとして利用しながら、スビックを地域の倉庫としてこれから発展させたいと言う。「スビックは、東アジアの主要都市に飛行機で3時間半のところにある。船の航路からみても戦略的な位置にある。スペインや米国海軍がスビックを基地にしたもう一つの理由は自然に深い港であることだ。(そういえば、台風11号が接近中であっても港の海は比較的に穏やかだった)最後に、スビックは自由港地帯である故に、あらゆる法律上や管理上の面でフィリピン政府から独立性があるので、単純にスビック=フィリピンという方程式は成り立たない」と強調した。

以上の要素を考慮すれば、確かにスビックがフィリピンを引っ張る可能性も十分にあるといえよう。スビック未活用の現状の中にも、希望の光を照らすことがある。韓国の大手海運会社ハンジンはスビックに世界で第4位の造船所を営んでいる。しかも、これから200ヘクタールも拡張し、今まで輸入していたものを国内企業に委託しようとしている。世界経済が低迷しているにも関わらず、ハンジンの造船量は衰えていない。積極的にフィリピンの発展を応援している。会長は、日本側からの応援も期待している。

※学会の模様はPIRSのFACEBOOKで閲覧できます。

※僕が忙しいときに、平川先生方を案内してくださったテオドシオ先生とマカラナス先生、父と妹のレニに感謝しています。テオドシオ先生とマカラナス先生を今年の3月に名古屋大学に、ビック・ハ先生とタンタン先生を今回のUPSOLAIRの学会に招聘してくださった平川先生にあらためて感謝の意を表します。

English Version

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<マックス・マキト ☆ Max Maquito>
SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。
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2011年10月12日配信